真夏の島に咲く花は/垣根涼介

[Books]

manatsuhana.jpg真夏の島に咲く花は/垣根涼介

 本屋で何となく表紙とタイトルに惹かれて購入。舞台は日付変更線が通る国、フィジー。元イギリスの植民地で、労働力として連れてこられたインド人が人口の半分近くを占める。ビジネスに長けたインド系フィジー人、対して元々島に住んでいた"フィジー系フィジー人"。文明が発達する(持ち込まれる)につれ、両者の間に軋轢が生じるのは当然の流れであり、事実20年間で3回もクーデターが起きている。そんなフィジーの事情の話を、限りなくノンフィクションに近い形で噛み砕いたのが本作。

 話は、日本食レストランを経営するヨシ(フィジー人)、生粋のフィジー系フィジー人、インド系フィジー人、そしてワーキングビザで日本から観光業者に働きに来ている日本人の4人の視点から語られる。フィジー系フィジー人は、どこまでも大らかで、のんびりしていて、素直に生きている。島の土地(村)は皆のものであり、困っている人がいれば助けるし、逆に誰かのものは皆のもの。食料は豊富に採取できるため飢えることがない(生きることに困らない)から、向上心もない。彼らにしてみれば、いつの間にか自分達の島に乗り込んできて(実際には強制連行されて)、商売を始め、自分達よりも富を築いているインド系フィジー人や、その他の移民が許せない。俺たちの島で得たものなんだから、利益を皆で共有するのが当たり前なんじゃないか。そういうのが当たり前だと、誰もが考えている。

 僕たちは自然と近代文明=資本主義みたいな考えをしているけれど、もっと原理的な考え方をすれば、それで失われるものが数多くあるのも事実(社会主義や協賛主義、ましてや軍国主義が良いとは思わないけど)。我々が富の象徴―おそらくそれは貨幣と交換して得られるものを指すことが多い―として得られるものは、果たして人をどこまで幸せにするのだろうか。本当に必要なものって実はそんなになくて、色々と手に入れるから、もっと欲が出てくるし、逆に失うのは絶対嫌になる。資本主義国に生きる僕らは、知らないうちにあまりにも多くのものを抱えてしまっていたのかもしれない。だから何だと言うわけではないけれど、漠然とそんなことを考えさせられた。

 この本を読むまで、フィジーは南の島の観光国の1つであり、正直パプアニューギニアやニューカレドニアなんかとたいして変わらないだろうと思っていたけど、実は軍事政権だし、クーデター起きまくりで、民主化の遅れから諸外国とも対立している。でもきっと、ほとんどのフィジー人達は我関せずという形で飄々と生きているんだろうな。ストーリーとしてはごく普通のものだけれど、フィジーの情勢をここまで読みやすく綴ってくれたことに僕は感謝したい。


ハゲタカ/真山仁

[Books]

hagetaka.jpgハゲタカ(上)/真山仁
ハゲタカ(下)/真山仁
ハゲタカ II(上)/真山仁
ハゲタカ II(下)/真山仁

 ちょっと前に話題になった時は例によって冷めた見方をしていたのだけど、意を決して読んでみたら、あまりの面白さに1ヶ月弱で続編のII下巻まで読みきった。幸か不幸か、資本主義の世界において、お金の話があるところに、社会のあらゆる要素がつまっている。

 話は主に3者の視点から描かれる。一人は外資キャピタルファンドに勤める鷲津、その名前からgolden eagle(イヌワシ)の異名を持つ。最初は彼がなぜファンドの仕事に就くのかから始まり、日本で企業買収を手がけ、続編ではさらにその後まで発展する。もう一人が銀行員の芝野、彼もまたファンドとは異なる形で、企業再生に携わり、続編でも話の鍵を握る。最後に名門ホテルのオーナー、松平。彼女は自分が継ぐホテルの存続を守ろうと、戦い続ける。

 基本的には三者三様の話が展開されるのだけど、この3人がだんだんと絡み始めるところから、随時物語が始まる。1つの話がずっと続くわけではなく、中にはこれで終わり?という感じで幕が引いてしまう話もあるが、それぞれの成長というか変遷が丁寧に描かれているのがとにかく面白い。うまくいきそうな話が突如ぶつ切れになったり、展開があるだろうと思ってた伏線が何もなかったり。これはこれでアリだなと思った。主人公の鷲津なんて、最初とIIの最後では全然別の人間になってる気がしなくもない。

 内容は一言で言ってしまうと企業買収の話なので、どうしても経済の知識が求められるけれど、その解説もきちんとしてくれているので、ちゃんと話に追いつけます(自分も経済は素人)。実際に起こった事件がモチーフにされているところもあるので、そのあたりをどこまで割り切るかだけれど、フィクションとノンフィクションのギリギリの狭間で、これほどまでに楽しめる作品もそうそうないだろうと思う。

 さらなる続編も出ているので、文庫になったら読もうと思います。


Live at Last/Stevie Wonder

[Music]

liveatlast.jpgLive at Last/Stevie Wonder

 2008年、イギリスのO2アリーナで行われたスティービー・ワンダーのライブDVD。彼のライブ映像が公式DVDとして出るのはこれが初めてとのこと。価格も輸入版なら安かったので(リージョンフリー、ちなみに国内版は倍以上する)、ついつい購入。とびっきりの音楽がつまってて、先週届いてから1週間、ほぼ毎日ちょこちょこ見てます。

 もちろん捉え方は人それぞれだろうが、ライブ内容はスティービー・ワンダーの歴代ヒット曲がほぼ全て網羅されている。日本でも色々な場面で彼の楽曲を耳にすることは多いけど、そのいずれの曲も入ってる。バンドは14人と豪華な編成で、娘のアイシャもバックボーカルとして参加。当然<Isn't She Lovely>も聴けます。演奏は基本的にはオーソドックスだけど、細かいアレンジやホーンが何とも良い味を出してるし、何よりスティービー・ワンダー本人のパフォーマンスが凄すぎる。音楽、そして生きることに対する愛で溢れている、ものすごく楽しそうなステージ。

 それにしても客席のイギリス人達のノリの良いこと。促されての大合唱はもちろん、出だしの演奏から一緒になって歌うし、サビも合唱。お行儀の良い日本人の一人である自分にとっては、これだけ自由な気持ちでライブに臨めたら最高だろうなと思ってしまう。もちろんこれは自分の心がけ次第ではあるのだけどね。

 つい2,3年前までスティービー・ワンダーの作品は何となく敬遠してきたけれど、純粋に音楽という視点からすれば、今の時代で頂点に立つのはこの人だろう。同じ時代に生きられていることを音楽の神様に感謝したい。というよりも、彼こそが音楽の生ける神様と言っても過言ではないかもしれない。神様が音楽と戯れる、というのはいささかオーバーな表現だが、

 不謹慎で申し訳ないが、二十歳のときに偶然見かけた言葉がある。「この人が亡くなったとき、そのときの世間の悲しみはジョン・レノンの比ではないだろう」。僕はこの言葉がいつまで経っても忘れられない。


ThinkPad X61が2台

[Moblog]

愛用してたThink Pad X61の液晶が割れてから約1週間。結局、同じものを「買い増し」しました。英語キーボード、メモリ、HDDを古いのから付け換え、無線LANのドライバをインストール(SDカード大活躍)。とりあえず、これまでの環境は復元できました。
一応新しいPCなのに全然嬉しくない…。CPUのクロックは若干下がったし(CPUの交換はちょっと難しそう)。次壊れたら、さすがに何か別の機種を探そうと思います。


よこはま

 約1年前にお祝いで横浜ロイヤルパークホテル(ランドマークタワーに入ってます)のディナー券を頂き、有効期限が迫ってきたので、鉄板焼き“よこはま”に行ってきました。ちなみに、他にもフランス料理、中華、懐石と、68Fのレストランを選ぶことができたのだけど、僕の一存で地下1Fの鉄板焼きに(もらったのは妻の友人からなのに)。

 焼き物としては、ほたて、黒毛和牛フィレ&サーロイン、野菜にガーリックライス等を頂きました。サラダはフレンチドレッシングなのに、最後味噌汁が出てくるという一貫性のなさは気になったけれど、それなりに美味しかったです。ただ、正直に言えば、3年半ぐらい前に神戸で食べた方が美味しかったです(ご馳走様でした)。ホテル併設レストランなので、こんなもんですかね。どうでもいいけど、「お肉の焼き方はいかがしましょうか」という質問に、隣の人が「おいしく焼いてください」と言ってたのは面白かった。

 ともあれ、久々にゆったりとした時間を過ごせてよかったです。


春風の吹く頃に

 半年ほどのプロジェクトがついに今週完了した。面白かったと言われれば面白かったし、でもそれだけじゃない感情も山ほどあった。終わってしまえばあっという間だった気もするが、どう考えても長かったし、辛かった。

 何よりも辛かったのは、プロジェクト半ばでの異動。結局仕事を一緒に持っていって、慌しく行き来したけれど、それまでと同じように仕事を進めることはできない。そんな状況からか、色々と葛藤もあり、時に感情的になって上司に思いっきりぶつかることもあった。現実と信念の狭間で、自分自身の進むべき道を、常に確認しながら歩いていった日々。

 それでも入社4年目、気づいたらだけど、だいぶ自分自身のポジションを確立できてきたことも確か。異動先でも「えっ、こっちに来ちゃって誰がやるの?」と、自分のことを認知してくれていたことが、何よりも嬉しかった。僕にしかできなかったというほどの驕りはないけれど、間違いなく、自分が献身的にやることが最も効率的に最もパフォーマンスを上げる唯一の解だった。僕はそんな期待と、義務感みたいなものを背負い、少しばかりのプライドを持って。そして、一人じゃなくて、皆で手を繋いでのゴール。色々な人に助けられ、支えられ、ここまでくることができた。

 最後、全てが一通り完了したとき、一緒になってこのプロジェクトを進めてきた先輩に「あー、終わったね」と声をかけられたとき、胸にこみ上げるものがあった。毎年色々とやってきたけれど、1年目よりも、2年目よりも、3年目の去年よりも、大きな充実感と達成感。

 終わっちゃったんだという心地よい寂しさを感じながら、しばらくはゆっくりしたいと思います。休日出勤することもないし、帰宅が午前様になることもほぼないでしょう。きっとまた4月から何かが始まるのだろうけど、今は休憩。


・・・

[Moblog]

起動させたら液晶が割れてました。床に起きっぱなしにしておいた自分も悪いので、責める気にはなりませんが…。
どうするか思案中です。


dot and line

 前の職場の上司から、大学時代の同級生の話を聞いときのこと。その人は某研究所に勤めているのだけど、休日出社なんて年に1,2回あるかどうか、平日も19時ぐらいには帰ることができ、毎日ジムに通ったり趣味に費やしているとのこと(そして給料は我々と大差ない、はず)。なんとも羨ましい職場だなと思いながら聞いていたら、その上司は、「そういう息抜きの時間も大事だけどさ、毎日そんなのってちょっと気を抜きすぎというか遊びすぎだよねぇ」と、僕に同意を求めるように言ってきた。その思いがけない言葉に僕は生返事を返したけれど、その時に感じた違和感は今も変わっていない。

 最近プロジェクトが佳境のせいもあって、(自分基準では)入社以来最も忙しい日々を送っている。いつの間にか週6日勤務がデフォルトになってしまい、残業時間も過去最多更新中。仕方ないといえば仕方ないが、さて、これが本当にあるべき姿なのかどうかは、わからない。単に人の割り当てが良くないのか、あるいは、自分が無能なだけなのか。

 たまに19時ぐらいに帰ると、何をするわけでもないけど、すごくハッピーな気持ちになる。毎日だったらそのありがたみがなくなるのかもしれないが、でも、会社を出る時間の10時間後にはまたデスクで仕事をしているっていうのも、何か違う気がする。寝るのが毎日1時過ぎて、次の日は満員電車に揺られ定時に出社。

 朝は定時開始を強要するくせに、定時に帰るために上司に一言というのはおかしいし、認められた権利である有給休暇を全て消化できないのもおかしい。残業時間に上限があるのもおかしいし、サービス残業なんていうのはもっとおかしい(というか法律違反)。初めの上司の話のように、19時まで仕事をして文句を言われるのもおかしい。こういう感覚が、社会人不適合とみなされるのも、きっとおかしい。

 何のために仕事をしているのか、そんなことを考え続ける毎日です。何かというと、せっかくのD90を外に連れ出す機会が皆無でストレスがたまりまくっているのです。多分。