ものごとにはタイミングというものがある。それはある日突然訪れることもあるし、自らそれを求めていくこともある。僕の少ない経験から言わせてもらえば、人生においては後者の方が圧倒的に多い。正確に言うと、大体の場合においてうまくタイミングをつかめるのは後者であり、前者の場合は後から気づく、気づいたら過ぎていたということがほとんどだ。結果的に後者が多くなるのである。
先日、ようやく仕事が一段落した。ゼミ発表を無難にこなしたし、教授に頼まれてた研究室のパソコンの廃棄もした。もちろん他にもやるべきことはたくさんあるのだろうけど、1つの区切りとして、今日はずっと見たいと思っていた映画を見て帰ることを決めていた。上映スケジュールを調べ、携帯電話は家に置きっぱなしにし(これは単に忘れただけだ)、大学からの帰り道、7年以上単なる通過駅でしかなかった駅で降りた。
僕は映画そのものは好きな方だと思うけど、映画館に足を運ぶということはあまりしない。理由は単純で、面倒だからである。最後に映画館で見た映画は「ロード・オブ・ザ・キング−王の帰還」だし、それだって駅前の銀行に行ったらたまたま友人と出会って、成り行きで見ただけだ。大学に入ってからこれまで映画館に行った回数なんて両手で数えられる程度である。もしかしたら片手で足りているかもしれない。
そんな僕が、あるレビューの文章に強く惹かれ、これは絶対に見たいと心から思い、生まれて初めて、映画館で一人で映画を見てきた。何から何まで凄く良かった。この一言に尽きる。初めて、スタッフロールが流れている時に席を立ってスクリーンを後にした。あえて作品名は挙げない。もったいぶっているわけではないけど、何となく言いたくない。そういう作品だった。
今から2年ぐらい前、本気なのか冗談なのかわからないけれど、「一緒にアメリカ行こうよ、1年間ぐらい」と言われたことがある。もちろんこれだけ聞けば冗談にしか捉えることはできない。でも同じようなことを、僕が記憶している限り合計3度言われた。冗談と断定するには曖昧な数字だ。
そして僕は、これに対して真面目に返答することはできなかった。本音としては、できるものなら一緒に行きたかった。二人でアメリカで暮らせたらどれだけ素敵だろうと思った。でもそれと同じぐらい、今の生活が変わってしまうことを恐れていた。もう少し時間が欲しかった。自分のことしか考えることができなかった。1つだけ言えることは、もしあのとき僕が「行こう」と答えていたら、今の生活は多少なりとも変わっていただろうということである。でも今再び同じことを言われても、おそらく僕はうまく答えられない。もちろんそんなことを今さら言っても仕方のないことだし、どこにも行けないというのは、嫌というぐらいわかっている。全ては終わってしまったことだ。
僕はかなり偏った、狭い世界で生きている。自分の街についてぐらいは知っているのかもしれない。隣の街についてぐらいなら何とかわかるかもしれない。でも2つ隣の街についてはほとんど何も知らない。それぐらい狭い。そして多分、世界というのは圧倒的に広い。
どこかで漠然と、その広い世界に飛び出したいという思いがある。そこで何かを得られることを期待しているのだろう。おそらく心のどこかで、僕がこれまでに失ってきた何か、そして未来に繋がる何かを求めている。実際に得られるかどうかはわからないけど、何もしないで嘆いているよりはマシだろうと思ってる。だがしかし、今ひとつ自信がない。わからない。うんざりするぐらいソフィスティケートされたこの世界で、ちっぽけなこの僕に一体何ができるのか。できることなんて何一つない気がするし、何もしなくていいのかもしれない。だけど、何かをしたいという思いだけは確かに存在している。そのことを今日改めて認識した。これを行動に移すためには、それに値するだけの理由が必要だ。僕は今、その理由を何よりも求めている。
一緒にアメリカに行こうと口にした彼女に、「君は人のためになる仕事をするべきだよ」と言われたことがある。それが何を意味しているのか、まだ僕にはよくわからない。しかし幸いなことに、まだタイミングは失っていない。つかもうと思えばつかめる。あとは僕次第だ。