2005年04月11日

communication chronicle

witten on Dec. 29th, 2004

 「僕が君に言いたいことは、その、つまりね、君をとても大事に思っているということなんだ。」

 そのことだけを伝えたくて、君ならわかってくれるだろうと信じて、僕は言葉を風に乗せた。

 アメリカに行ってた2年間、僕はひどく無口な少年だった。多分周りの人が口にしている言葉が100%わからなかったから、自分が考えている100%のことを伝えられるという自信がなかったから。変なところから誤解が生じるのが不安で、自分を理解してもらえないことが怖くて、僕は口を閉ざすことが多かった。
 ・・・誤解?理解してもらえない?そんなの日本語に囲まれてる今だってたいして変わらないじゃないか。

 中学に入る時、知り合いが誰もいない街に引っ越した。そして一部の友人を除いて、僕は心を開かなかった。半年ほど周りに合わせて不自然なまでに明るく振舞っていたことがある。楽だった。でも何も残らなかった。自分自身が失われてしまいそうで怖かった。気づいたら全体的に一歩距離を置いていた。そんな僕を見て、いつしか周りにクールだなんて言われるようにまでなった。違う。僕は僕でありたいだけだった。周りの人たちが何を考えているのか理解できなかったし、僕が何を言うべきかもわからなかった。
 思春期の僕らはやけにたどたどしく、自分の考えていることをうまく言葉にできなかった。言葉を言葉として扱う能力が未熟だった。思いが言葉を圧倒していた。だからお互い無責任に相手を傷つけまくったし、誰も明日のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。僕はそういうことにうんざりしていた。

 高校生の時、当時つきあっていた子に考えていることがわからないと言われたことがある。自分が考えていた人とは違うと言われ、別れ話を切り出された。君は僕じゃない僕が好きだった。僕は良い面も悪い面も可能な限り全部見ていきたいし、見せていきたいと思ってた。誰かとつきあうというのは、そういうことだと思っていた。そういうことを受け入れられない君を哀れに思った。そんなことを言われた自分がひどく惨めで情けなかった。
 あの頃の僕は先のことばかり、結果ばかり追い求めていた気がする。友人の何気ない、のんびりいこうか、という言葉に救われた。やけに重たい言葉だった。急がなくていい、まわり道をして歩いてもいい。それから僕は、他人がどう思おうと自分は自分だし、理解してもらえなくても別に仕方ないと思えるようになった。1つのターニングポイントになった。

 大学に入ってから、ずいぶん系統だった思考をするようになったと思う。熟成されたというよりは、思考がパターン化されてきている。時にそれは論理的で説得力を持つものであり、その相手は他人だけでなく自分でもあった。それは僕が成長しているからなのかもしれないし、もしくは何か大切なものを失っているだけなのかもしれない。他人と自分、共に言葉でアクションに繋げ、喜ばせ、そして傷つけてきた。改めて言葉の持つ意味を、大きさをかみしめた。

 そしてこうやってブログを書くようになってから、色々な出会いが会ってから、言葉というものをさらに意識するようになった。何かの本に、コミュニケーションで重要なのは、自分が何を言いたいかでなく相手に何を理解して欲しいかだと書いてあった。そうかもしれない。
 実のところ、相手に自分の伝えたいことを理解させるのは、簡単なことではないけれどそこまで難しいことでもない。そのためにはしかるべき術が存在しており、その手順に従って、慎重に前に進めていけばいい。

 でもそれとは全く別の次元で、自分の考えていることを、気持ちを伝えたいという相手がいる。自分にとって凄く大切な存在。今の僕には数えるほどしかいない。その人たちに対しては、自分はひどく無力だということをいつになっても痛感する。自分の言葉は相手にどう伝わっているのだろうか。相手の言葉はそのまま受け止めていいのか、それとも僕が単純すぎるのだろうか。自分の不器用さを責め、不安になり、やりきれない気持ちでいっぱいになる。しかるべき手順に則れば楽なのだろうが、僕はそういうことを望んでいない。相手に対しフェアでありたいし、対等な位置にいたい。おそらく言葉を越えた心のつながりを求めている。
 そして、多分同じことを相手にも期待している。でもそれはあまりにも自分勝手な考えだし、割り切りが必要だということもよくわかっている。だから心のどこかで、他人と心から分かり合うことなんてできないんだと諦めている部分がある。決定的に。23年間生きてきた中で、そのことを認識できる強さを獲得したと思う。時々それが揺らぐけど、時間をかければ安定させられる。寂しいとは思うが、どうにもならないことだってある。
 ただし、それでも。自分が大切に思う人たちと、心から分かり合うことができたらなという思いは消えない。もっともっと心で繋がっていたい。一瞬でもいい。それは生きる喜びの大きな1つのように思える。たとえそれが良い結果に繋がらないとしても。

Posted by take at 00:58 | TrackBack(0)
Comments
Post a comment









Remember personal info?