2004年10月 archive


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タイムは平凡だったけど、10キロ最後まで走り続けた。凄く気持ち良かった。
昼からビール飲んで、酔っ払って、もう言うことは何もない。感無量。おやすみなさい。


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天気は快晴!
できればもう少し雲が出てくれると…


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さんぴん茶とオリオンビール、沖縄はこれがないと始まらない。


 これは僕の感じていることを、できる限り率直に言葉にしたものである。決して冗談でも、軽い気持ちでもなく、心の底から思っていることだ。確信はもてないけれど、こうやって言葉にすることできっと新しい命が生まれる。これを滑稽だと思う人がいれば、そう思えばいい。君にとっての輝かしいスタートだ、誰が何と言おうが構わない。
 もう1つ、これはフィルタを通すことなくそのまま、そして極めて一方的に書いたものでもある。僕“なんか”なんて言わないでくれと君は言う。でも、僕は自分のことを割とどうしようもない人間だと思っている。少しぐらい救いはあるのかもしれないけど、僕はかなりの場合において後先考えず行動するし、言ってしまった後で後悔することばかり口にしている。誰かに何かを与えることができたという覚えはほとんどない。その代わり誰かを傷つけてきたことは数え切れないほどある。もしかしたら、この文章もそうなってしまうかもしれない。その時は申し訳ないけれど、僕“なんか”の言うことは気にしないで欲しい。でも、それでも、うまく伝えられるかどうかわからないけど、僕は君に伝えたいと思う。そしてもし、ほんの少しでも受け止めてもらえることがあれば、それは僕にとって何よりの喜びだ。


 「どんな髭剃りにも哲学はある」 ?サマセット・モーム

 恥ずかしい話だけれど、僕は今までホテルのアメニティとして置いてあるような使い捨ての髭剃りしか使ったことがなかった。父親が年中出張に行くので、そのホテルに置いてある、10本200円ぐらいで買えそうな髭剃りで髭を剃るのが当たり前だと思ってた。でもどうやら、違うらしい。
 もともと僕は髭がほとんど伸びなかった。そういう体質なんだろうなと思ってた。でもこの1,2年、20代になってから結構伸びるようになってきた。最初はあまり気にすることもなかったんだけど、最近みっともないだろうと思うようになり、たまに時間をかけて綺麗に剃るようになった。しかし、それにはおそろしく時間がかった。特に顎のラインのところは、どれだけ剃っても改善の見込みがなかった。大体において諦めていた。しかしどうやら、それは髭剃りのせいでもあるということを、友人が教えてくれた。
 ということで、本屋の帰りに、近くの薬局に髭剃りを買いに行った。Donald Fagenの“I.G.Y”が流れている素敵な薬局だ。そして、本来の意味からは離れるけれど、「どんな髭剃りにも哲学はある」という言葉を思い出さずにはいられなかった。髭剃りの世界がここまで広がっていたなんて22年間以上全く知らなかった。
 刃の枚数が2枚、3枚、挙げ句の果てには4枚まである。さらに首振りの有無、最近は3Dで動くらしい(この表現についてはいささか疑問があるけれど)。そして刃の種類も、ダイアモンドコーティングなどがある。もう笑うしかない。当然迷った。友人にはSchickの製品を勧められていた。横に動かしても切れないような安全対策が施されてないやつの方がいいらしい。でも彼はそれしか教えてくれなかった。刃は何枚がいいのか?首は振った方がいいのか。替刃まで考慮した方がいいのか。そういうことについて15分ほど悩んだ。それは非常に無意味な作業だった気がするし、何度も諦めそうになった。安っぽいプラモデルみたいなデザインの髭剃りは、どれも僕を幻滅させた。
 結局買ったのはSchickのFxDIAという製品。2枚刃で、ダイアモンドコーティング、刃が顔の形に合わせて曲がるらしい。家に帰り、早速髭を徹底的に剃ってみた。たしかに全然違う。今までの使い捨て髭剃りは、「髭を剃れればいいんでしょ」というような印象しかなかったが、この髭剃りは「自分は髭を剃るために生まれてきました」みたいな雰囲気がある。少し火照った、綺麗さっぱりとした顔が、アフターシェーブのローションを塗った後ひんやりとするのがいい。新しいことをするんだぞ、という気持ちにさせてくれる。
 髭剃り1つにも哲学はあるものだ。

(本来の意味としては、髭剃りそのものを指しているわけではなく、髭を剃る行為を指していると思われる。つまり、日常の些細な行為においても、毎日続けていればそれなりの意味をもつものだ、というのが本来の意味。と僕は捉えている)


 宮古に持っていく本を買いに近所の本屋に行った。行く前から、おそらく置いてないだろうなという予感はあった。そして予感は的中した。かつてそこに置かれていたことがあったという形跡すらなかった。まるでそんな本この世に最初から存在してなかったかのように、絶望的に存在していなかった。やれやれ。
 仕方ない、別の本屋に行くしかない。「走れよ」と誰かが僕に言う。「そうするしかないみたいだね」と僕は返す。隣町の駅まで走ろう。2つの丘をこえておよそ3キロ。F1では、グランプリ直前にシェイクダウンと言って、実際に使用するマシンの慣らし走行を行う。今週の日曜に10キロ走る僕にとって悪くない距離だ。2つ目の上り坂で、少し足が痛む。明らかにシューズが足に合っていない。止まろうと思えば僕は止まれる。でも僕は止まらない。遠くを見るから辛くなる。もう少し視線を手前にもってくれば割と楽になる。焦る必要はない。そして丘を越え、ちょっとした自信へと変わる。僕は止まらない、止まれない。タイムは約14分、息も切れてない。悪くない。
 横浜の地下街にある有隣堂。僕はこの本屋が昔から大好きだった。小さい頃よく父親に連れてきてもらい、色々な本を買ってもらった。新しい本は、僕に無限の可能性を期待させた。今でもこの本屋にくると、無限の世界が広がっていることを僕は想像する。ワクワクさせてくれる。
 文庫本を1冊買って、普段ほとんどかけてもらうことのないブックカバーをかけてもらった。丁寧な青色のブックカバー、宮古に持って行くには悪くない色だ。 

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 最近は個人的なことばかり書いているけど、たまには皆さんの役に立つことも。僕はFirefoxというブラウザを使っているんだけど、翻訳最強サイトであるALCを右クリックから一発で別タブ表示する方法を紹介します。
 まずDictionarySearchというプラグインをインストールし、設定でこのリンクのアドレスをいれるだけ。Textは「ALC Search for "$"」にでもしておき(正確には英辞郎なのかもしれない。重要なのは"$"で、これがないとダメ)、Access Keyは適当に。僕はLにしました、一応。
 これで気になる英単語を見つけたら、右クリックで選択すると、ALC for "**"というメニューが現れる。あとはクリックなり、Ctrl+さきほど設定したキーを押すなりすれば、別タブでALCの検索結果が表示されます。


 今週末、宮古島で行われるマラソン大会で10キロ走ってくる。ちなみに僕はそのためだけに宮古島まで行く。8回目だ。それ以外の予定は何もない。29日に出発し、2日間で向こうの天候に慣れ、日曜日に走り、その後3日間海でも眺めながら本を読み、11月4日に帰ってくる。
 10キロという距離がどの程度のものなのか、僕にはよくわからない。たかが10キロ、されど10キロ。これまでそれに向けて少し意識的に走ってきたものの、実のところ10キロを測ってきちんと走ったことは一度もない。今日も少し走ったが、およそ4キロを20分ちょいというペースだった。用事があったのでそこで一度やめなければいけなかったが、まだまだ走れると感じた。用事を終えた後同じ道を再び同じペースで走って帰ったが、今回も依然まだまだ走れるように思えた。だからといって10キロをきちんとしたペースで走れるのかどうかはわからない。気温だって横浜とは10℃以上違う。でも、走り始めた頃はこの半分ですら息を切らしていた。少しは進歩していると思う。
 走るという行為は割と悪くなかった。むしろ楽しかった。あてもなく走るというのはどこか非生産的な部分があるような気もするけれど、走ることに集中してくると、余計なことを考えなくなる。考えずにすむ。普段は次から次へと色々なことが思い浮かんでくるが、一定のペースで走り続けていると、そのうちいくつものことを考えられなくなってくるのだ。僕はその残ったことをとても大事に考えたし、それは何よりも有益な時間のようにすら思えた。
 さてさて、本番は一体どうなることやら…。


 どうやったら人魚に会えるか知ってますか?僕は知っている。というか、少なくともこのページを見てくれている人は、既にその方法を目にしている。このブログの“blue jam”の上にごちゃごちゃっと書いてある文章、これが人魚に会うための方法だ。
 この言葉は、ダイバーのバイブル的な映画である“LE GRAND BLEU”に出てくる台詞である。この映画はどうも全体的にバランスを欠いているような気がするんだけど、それでもダイバー達は大体これに惹かれて海に潜る。もちろん僕も例外ではない。
 今さらだけど、この言葉を取りあげようと思う。心のどこかにとどめておけば、もしかしたら人魚に出会えるかもしれない。

Do you know what you're supposed to do to meet a mermaid? You go down to the bottom of the sea where the water isn't even blue any more. The sky is only a memory. You float there, and you stay there. And you decide that you'll die for them. Only then do they start comin' out. They come, and they greet you, and they judge the love you have for them. If it's sincere, if it's pure, they'll be with you. And take you for ever...

 人魚に会うためにはどうすればいいか知ってるかい?まずは海の底まで行くんだ。そこはもはや水の青さはなく、空は記憶でしかない。そこに留まり、彼女のためなら死んでもいいと覚悟を決める。そのとき初めて彼女は姿を現し、君を迎えてくれるだろう。そして彼女に対する愛が確かめられる。それが誠実で、純粋なら、ずっと一緒にいてくれる。永遠にね。
(Translated by K.Takeda)


 ものごとにはタイミングというものがある。それはある日突然訪れることもあるし、自らそれを求めていくこともある。僕の少ない経験から言わせてもらえば、人生においては後者の方が圧倒的に多い。正確に言うと、大体の場合においてうまくタイミングをつかめるのは後者であり、前者の場合は後から気づく、気づいたら過ぎていたということがほとんどだ。結果的に後者が多くなるのである。
 先日、ようやく仕事が一段落した。ゼミ発表を無難にこなしたし、教授に頼まれてた研究室のパソコンの廃棄もした。もちろん他にもやるべきことはたくさんあるのだろうけど、1つの区切りとして、今日はずっと見たいと思っていた映画を見て帰ることを決めていた。上映スケジュールを調べ、携帯電話は家に置きっぱなしにし(これは単に忘れただけだ)、大学からの帰り道、7年以上単なる通過駅でしかなかった駅で降りた。
 僕は映画そのものは好きな方だと思うけど、映画館に足を運ぶということはあまりしない。理由は単純で、面倒だからである。最後に映画館で見た映画は「ロード・オブ・ザ・キング?王の帰還」だし、それだって駅前の銀行に行ったらたまたま友人と出会って、成り行きで見ただけだ。大学に入ってからこれまで映画館に行った回数なんて両手で数えられる程度である。もしかしたら片手で足りているかもしれない。
 そんな僕が、あるレビューの文章に強く惹かれ、これは絶対に見たいと心から思い、生まれて初めて、映画館で一人で映画を見てきた。何から何まで凄く良かった。この一言に尽きる。初めて、スタッフロールが流れている時に席を立ってスクリーンを後にした。あえて作品名は挙げない。もったいぶっているわけではないけど、何となく言いたくない。そういう作品だった。


 中学時代からずっと付き合いのある友人が、明日から2ヶ月イギリスに行ってしまう。来年就職する奴で、授業も何もなくて卒業するのを待っている状態だというから、「じゃあ世界でも見てくれば」と旅行でもしなよというつもりで軽く口にしたんだけど、いつの間にか語学留学することになっていた。そんなにたいしたことではない気もするんだけど、未だに1ヶ月に2,3回は会っているので、2ヶ月も離れるというのはそれなりに寂しいものがある。
 昔はよく彼から「暇人」とだけ書かれたメールが突然送られてきていた。君が暇だから何だよという感じではあるけれど、もちろんこれは暇だから遊ぼうという意味であり、こちらもほとんどの場合暇なので、じゃあ海でも行こうかってことで、あてもなく海ばかり見にいってた気がする。
 そんな彼にも彼女ができて、僕に対する比重が少し変わったが、それを責めることはできない。もちろん少しだけ寂しく思ったことはあるけれど。その合間をぬって僕に連絡をしてきてくれるし、新年だって彼女と迎えればいいのに、必ず僕らと過ごしてくれる(中学時代から、僕ともう1人の友人を加え3人で新年を迎えるのが恒例になっている)。今日だって最後なんだからその子と過ごせばいいのに、僕らと過ごすことを選んだ。そういう奴だ。
 2ヶ月後、どんな姿になって帰ってくるのかは知らないけど、まあ変わらないだろう。2ヶ月という期間では人は変わらないという意味ではなく、彼の根本的なものは昔から、8年前から何一つ変わっていない。2年だろうが20年だろうが、どれだけ時が過ぎてもきっと変わらないだろう。そして僕らの仲もきっと変わらない。物理的に離ればなれになるかもしれないけれど、きっと2年経っても20年経っても、何一つ変わらない。言葉にするとやけに安っぽいけど、そういうのは何となくわかる。僕が変わらないと確信を持てる数少ないことの一つである。


 Eaglesと言えばとにかく“Hotel California”が有名だけど、僕はこの“Desperado(ならず者)”の方が好きである。この曲は、雑踏の中で聴いてもいいし、星を見つめながら聴いてもいい。そろそろ人のぬくもりが恋しい季節なのかもしれない。

Desperado/Eagles

Don't your feet get cold in the winter time?
The sky won't snow and the sun won't shine
It's hard to tell the night time from the day
You're loosin' all your highs and lows
Ain't it funny how the feeling goes away?

Desperado, why don't you come to your senses?
Come down from your fences, open the gate
It may be rainin', but there's a rainbow above you
You better let somebody love you, before it's too late

寒い冬を一人で過ごすというの?
空を見上げても雪は降ってこないし
太陽が輝くこともないかもしれない
明日のことなんて誰にもわかりはしない
このままだと何もかもが消えていくよ
そんな風に失っていくのはおかしいと思わないかい?

デスペラード、そろそろ目を覚ましたらどうかな?
フェンスを乗り越え門を開けてあと一歩
雨が降ってるかもしれないけどその後にはきっと虹が出る
誰かを愛そうよ
誰かに愛してもらいなよ
手遅れになる前にね
(Translated by K.Takeda)


 昨日、今日と、何も手につかない状態だったため、久しぶりに海を見てきた。それで何かが解決されるわけではないけど、僕は昔から何かあると鎌倉の海を見にいくのがクセになっている。海までのお決まりのコース、お決まりの場所。
 当然の事ながら何もすることがないので、ずっと太陽が沈んでいく様子を眺めていた。みんな、それぞれの事情を抱えて海にやってくる。波が全ての音を消す。僕は、潮と排気ガスが混ざった、何とも言えない空気を胸一杯吸い込むしかなかった。

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 村上春樹の『1973年のピンボール』に、こんな一節がある。


 「僕は不思議な星の下に生まれたんだ。つまりね、欲しいと思ったものは何でも必ず手に入れてきた。でも、何かを手に入れるたびに別の何かを踏みつけてきた。」
  ・
  ・
  ・
 「・・・そしてこう思ったんだ。もう何も欲しがるまいってね。」


 僕自身が不思議な星の下に生まれたのかどうかはわからない。でも、これまでに程度の差こそあれ、僕も欲しいと思ったものはほとんど全てを手に入れてきた。どういう形であろうとも、最終的には思い通りの点に到着した。そしてここにあるように、その度に別の何かを踏みつけてきた。すぐにそのことを認識できるものもあれば、そうでないものもあった。いずれにしろ、それらは僕をうんざりとさせた。何も求めたくないと思ったことがこれまでに一体何度あったことだろう。
 しかし僕の中では、人はどこまで行っても一人なんだという思いと、誰かを愛して誰かに愛されたいと思う気持ちとが、まるでカバンに入れっぱなしにしておいたイヤフォンのコードみたいに複雑に絡み合っている。これまで、それをほどく作業を一生懸命してきたつもりだった。ある時はそれを自らの手で意図的に絡めたりもしたし、ほどこうとして余計に絡まったこともある。何度も繰り返しほどいているうちに、その作業に少しずつ慣れてきているような気もする。でもそれはたいしたことではない。結局、またカバンにいれたら絡まるのだ。
 人はどんなことからでも何かを学べるとしよう。前に進んでいるかどうか、それが生産的かどうかは別として、少なくとも何かしらのことは学べる。僕はそう信じたい。そしてこれまでにわかったのは、僕はどこまでいってもこの作業から逃げられないということだ。広大な世界からすれば、自分が何をしようとも、それは不確かな動きをするほんの一つの原子でしかない。僕が今この場で何をして、どういうことを思っていようとも、星が一つ潰れようとも、君の生活は何一つ変わらない。例えばそういうことだ。君のために一体僕は何ができるだろう。
 これまで僕が踏みつけてきたもののために、傷つけてきた人たちに対する償いのために。君が流してきた涙のために、溢れんばかりのその笑顔のために。きっと、僕にだってできることがあるはずだ。もしもかすかな救いというものが存在しているのなら。


 なぜ日中の空は青く、夕焼けの空は赤く見えるのか知ってますか?

 空気中の分子は光の波長よりも小さいため、大気中の光の散乱はレイリー散乱となり、散乱強度が波長の4乗に反比例する。波長が0.4μmの青色は、0.7μmの赤色に比べ約10倍強く散乱するため、空は青く見える。光路が長くなる夕方では、青が強く散乱してしまった残りとして太陽が見えるので、赤く見える。

 というのが、理由です(2年前に受講したワイヤレス基礎理論のノートより)。今日は本当に夕焼けが綺麗だった。電車の窓から見たんだけど、あまりにも綺麗でしばし呆然とし、涙が出そうになった。最初は雲が紫っぽい赤に染まってて、雲のない部分の境界はグレーというかグリーンがくっきり。ほんの5分ぐらいですぐ暗くなってしまったけど、幸いにも西に向かう電車なので、もう1度見ることができた。今度は、空が燃え上がるような真っ赤に染まっていた。久しぶりに、雲が出ていたことに感謝した。


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今したいことベスト3
1.ベンチで読書
2.ベンチで日光浴
3.ベンチで昼寝

現実は、義理で取ってる教授の授業(非常につまらない)。


nikkansports.com / 芸能ニュース

クラプトンぶっ飛び216キロ、免許証没収

 ロックギタリスト、エリック・クラプトン(59=英国)が14日までに、スピード違反で運転免許証を没収された。

 もうすぐ60だというのに、まだまだ元気なようで。制限速度86キロオーバーとあるので、フランスだと制限速度は130キロなのかもしれない。それもまた凄い世界である。たしか第二東名の制限速度が140キロになるとかならないとか聞いたことがあるけど、そんなの絶対実現不可能だよな…。軽自動車がそんな速度で走ったらバラバラになってしまいそうである。
 僕も昔、まだ若くてスポーツカーを乗り回していた頃、大きな声では言えないけど、首都高の湾岸線で一瞬だけどスピードリミッター近くまで出したことがある。まあ、86キロオーバーに近いところがある。やっぱり世界が違ったし、一気にテンションが上がった。生と死のギリギリのライン、死の感触をつかむすぐ近くまできているから、五感がとぎすまされるのである。もちろん世の中には湾岸線で300キロ出すことに命をかけていたりする人もいるわけで、そんな人達とはまた全然違うのだろう。ただ、特に男性ならわかってもらえると思うけど、速さには絶対的な「美」、あるいは「力」みたいなのがあって、誰しもが一度はそれに酔いしれたくなる。例え自らの命を代償にしても。
 だからといってやはりルールは守るべきだし、みすみす自分の生命を危機にさらすことの愚かさはきちんと認識しております。今考えても、なんて馬鹿なことをしてたんだろうと自分でも呆れている。もう二と度しません、多分。
 そんな僕も、三菱FTOから親のホンダ・アコードに乗るようになり、これがまたなかなかいい車で、制限速度を守って走っていても結構楽しい。で、そのおかげかどうか知らないけど、学生にしては割と車に乗ってる方だと思うし、それなりに速度を出すことがあるにもかかわらず、未だに無事故無違反である。このままいけば、来年の更新で早くもゴールド免許取得。平和に生きていきたいね。


 7年ぐらい前、まだ携帯電話がそれほど普及していなかった頃、知り合いの人が「朝出かけるとき、自然と財布と一緒に携帯を手にとろうとしてるんだよ。このままじゃやばいよね」と言ってたのを覚えてる。それから月日が流れ、今では外出時に携帯を持ち歩くのが当たり前になって、皆いたるところでピコピコやってるわけだけど、たまには一日携帯を持たない生活もいいのではないかと思う。
 とか何とか言いながら、早い話、自分自身が今日家に携帯電話を忘れてきただけである。別にたいした連絡があるわけでもないのに、それに気づいたときは少し不安になった。そのとき既に電車に乗ってたので引き返すわけにもいかず、まあいいやと割り切ることにしたんだけど、こうなってくると気持ち的にかなり楽である。
 なんだかんだで、あのちっぽけな携帯端末というのは僕らを束縛する。認識できるものもあるし、多分全くわからないようなこともあるだろう。当たり前だった風景が、ほんの些細なこと、携帯電話を持っていないということだけで、変わってくることもあるんじゃないかな、きっと。


 僕は今、大学院で無線通信の勉強をしてる。格好良く言うとワイヤレス・コミュニケーション。なぜ無線を選んだのかは自分でもよくわからないけど、気づいたら無線がやりたいと思ってたし、今現実に研究だか勉強だかよくわからないことをしながら毎日を過ごしている。割と幸せである。
 それはともかく、今日なんとなく地上ディジタル放送の論文を読んでいたら、数百個のデータ中1個の誤りがあると、それは大きなパフォーマンスロスである、というような記述があった。今まであまり意識することはなかったけれど、たしかにその通りなのである。
 日本の郵便システムの精度、すなわち誤配達・消失の可能性は、100万分の1程度だという。10の-6乗。大体通信の世界もこれと同じぐらいで、実際の詳しい話はよくわからないけれど、少なくとも10の-4乗から-5乗程度のオーダーでなければ、安定した通信は行えないとのことだ。そして当然のことながら、僕らもそういう10の-5乗の世界で、少しでも特性を改善しようと日々もがいている。
 世の中としては、100のうち1つぐらい誤りがあってもたいした影響はないのかもしれない。でも僕らはそういうわけにはいかない。改めて考えてみると、なんてちっぽけな世界だと思うけれど、しかし結構世の中の役に立っている。こうして、このくだらない文章が誤りなく画面に表示されているのも、電話で相手と会話ができるのも、過去の偉人達が10の-4乗だか-5乗だかの世界で頑張ってくれたおかげなのである。そして僕らはそれに満足することなく、さらに先を目指している。お前になにができるのかと言われれば、何も言えないのだけれど。


 19の春、当時もらっていたアルバイト料の半年分ぐらいを出して、ステレオセットを組んだ。音楽は僕にとってなくてはならない存在であったし、その音楽をできる限りいい音で聴きたいという気持ちが出てくるのは、多分自然のことだと思う。あまり知識もなかったので、色々と人を頼ったりして、なんとか完成させた。初めてそれで音を鳴らしたときの衝撃は今でも忘れない。全ての音がくっきりと、鮮やかに広がり、今まで気づかなかった音が、いたるところから聴こえてきた。今まで聴いてきたものは何だったんだ?と思わせるほど衝撃的だった。
 その頃僕はA.O.Rにどっぷりつかっていたので、レコーディング時に使うような、正確なキチキチッとした音の出るJBLのスピーカーを選んで買った。ギターのカッティングや、ライドシンバルの音が綺麗に出ることを望んでいた。本当はB&Wのものが欲しかったんだけど、ちょっと値段が高くて僕には手が出なかった。今でもたまに欲しいなと思うことはあるけれど、このスピーカーも時間が経つにつれ段々味のある音を出すようになってきた(と思えるようになってきた)し、さすがにトールボーイのスピーカーを部屋に4本も置くわけにいかない。メルセデスには憧れるけど、自分にはフォルクスワーゲンぐらいがちょうどいい、多分そんな感じだ。
 何を「いい音」とするかは、人それぞれである。オーディオの世界はこだわればいくらでもこだわれるし、金銭面もほぼ無限の広がりを見せている。真空管アンプを使ったり、1個数万のインシュレーターを置いたり、1m数十万のスピーカーケーブルを使用したり。さらに電源からのノイズを抑えるため、コンセントも病院などで使われているものを…と、言い出したら本当にきりがない。はっきりいって、実際に組んで鳴らしてみなければ、どんな音がでるかなんてさっぱりわからない。僕の場合、最初あまりにも音が硬すぎたので、生活用品店にいって適当なゴムシートを買い、それを切ってスピーカーの四隅に配置したら、驚くほど効果があった。たかだか数百円である。また、アンプをDENONではなく、もしMarantzにしていたら、また世界は大きく変わっていただろう。
 艶やかな山下達郎の歌声も、奇跡としか言いようがないスティーブ・ガッドのドラムソロも、最初から最後まで圧巻だった小沢征爾のマーラーも、どことなく不条理なアート・ペッパーのアルト・サックスも、全てこのステレオで聴いてきた。多分僕の中に、無数の組み合わせから偶然的に作られた、この音がしみこんでいっているはずだ。それがわかるのは、もう少し後のことだろうけど。


When you get caught
Between the moon and New York City
I know it's crazy but it's true
If you get caught
Between the moon and New York City
The best that you can do
The best that you can do
Is fall in love

月とニューヨーク・シティの間に
はさまって捕まったら
ちょっとクレイジーだけど、本当なんだ
そう、月とニューヨーク・シティの間に
はさまって捕まったら
一番いいのは
君にできる最善のことは
恋におちることさ

(Arthur's Theme/Christopher Cross 訳:山本さゆり)

とりあえずニューヨークに行かないとな。


花とアリス/岩井俊二

 見終わって、なんとも言えぬ寂しい気持ちで包まれている。うまく言葉に表すことはできないけれど、多分この作品に感動できない自分を寂しく感じている。4年前、18のときに見ていたらまた違ったと思う。でも僕は、それからあまりにも多くのものを失ってきてしまった。
 僕はもう、美しすぎる風景なんて存在しないことを知ってるし、そして「本物」であることの素晴らしさを知ってる。実際の風景が、情景が、どれだけ心に響くのかを、何よりもリアルな心の痛みを、温かさを。僕がそれを求め続けていることも。そういったことを全て知りすぎてしまっている。
 多分、二度と取り戻すことのない大きな何かが、いつの間にか僕の中から消えてしまったのだろう。


本日のニュース

伊良部町漁業協同組合(奥原隆治組合長)がダイビング業者などと締結する「海面利用協定書」が7年ぶりに改正されていたことが分かった。同書には、これまで対象外であったビーチからのシュノーケリングについては漁業協力金として1人につき1日300円、八重干瀬などのサンゴ礁で行うシュノーケリングは1人につき1日500円をそれぞれ徴収する文言などが新たに盛り込まれた。

 かつて宮古でのダイビングを満喫していた元ダイバーの自分としては、何か悲しい、というのが正直なところである。 僕はもう多分宮古で潜ることはないし、人様の生活にいちいち首を突っ込むこともないんだけど、やはり色々と気になってしまう。


tokyobay.jpg東京湾景/吉田修一

 結局買ったその日に読み切ってしまった。途中までそんなに面白くなかったけど、中盤以降一気に魅せられた。本当に「リアル」という言葉がよく似合う。この小説を楽しむには、無機質なお台場と、どこか寂しい品川の埠頭、そしてモノレールについて知っておくといいかもしれない。そういう情景がまざまざと頭に浮かんでくる。直接的にはストーリーに関係のないことかもしれないけど。

 ずっとどこに向かうのかさっぱりわからなかったし、時系列がごちゃごちゃになったりすることもあった。ストーリーの中に、同じタイトルの物語を書く作家が登場してくるというのは、いささか興ざめだった。でも、最後はきちんと収束させているところがいい。そして純愛小説に収まった。


 今日は久々に天気が良かったので、1週間ぶりぐらいに走った。10キロマラソンに参加するため体を作っていこうとこれまで少し走ってきたんだけど、最近は天気が悪かったのでほとんど走れなかった。3キロぐらいでペースを落とすことになったけど、まだそれなりに走れた。まあ、別にタイムを競う競技会ではなく、途中疲れたら歩けばいいさ、みたいな大会なのでそんなに力む必要もないんだけど。
 その後は机の上に散らかってる論文を片づけたり、ポータブルオーディオプレーヤーの曲を入れ替えたりして、また明日から始まる生活の準備をした。1週間の真ん中でこんなことができる位置にいる自分は、それなりに幸せだと思う。
 特にやるべきこともないので(全くやることがないというわけでもないけど)、バカラックを聴きながら、何となく気になってたので買った吉田修一の『東京湾景』をダラダラと読んでた。ちなみにこの間までやってた、同タイトルのフジのドラマとは全く内容が違う。この夏に東京モノレールに乗る機会があったので、出てくる風景が手に取るようにわかるんだけど、それだけかな。やけにリアルすぎて、あまり本を読んでいるという気分になれない。


 昨日、今日ゼミで発表予定の資料を助手の人に見せたら根本的なミスを指摘され、慌ててプログラム書き直し&特性取り直し&資料作り直し。焦ってて何がなんだかわからなかったけど、それでも形になったというのは、ここまである程度やり続けてきたおかげなのかもしれない。久々に前期に作ったプログラムを見直したんだけど、最初何をしているのか全然内容がわからなかったし、自分自身で、よくもまあこんなアルゴリズムを考えついたなあと思う。やることがありすぎて大変だったけど、不思議と辛いと感じることはなく、むしろウキウキしてた。
 そんな急きょ作った資料だからつっこみどころは満載で、ここ聞かれたらマズイよなと思ってたところをほとんど全て聞かれた。言い訳するつもりもないし、理解できていない僕の勉強不足なのは明白なので、仕方ない。もう少し頑張らなくちゃいけない。同じM1に刺激しあえる仲間がいないのは残念だけど、それを嘆いているわけにもいかない。せめて、後輩にきちんと示しをつけるのが僕の責任だと最近思うようになった。
 で、ゼミの後は今日届いたLinuxマシンの設定を行ってた。Vine3.0というOSをインストールして、その後にシミュレーションマシンとして使えるよう設定。一応研究室最速マシンなので、少しでもシミュレーションにかかる時間が減ってくれればと思う。CPUだけみると、今までの最速が2.4GHz(×2)だったのが、2.8GHz(×2)に。およそ1割強アップ。たかだか10%だとしても、今まで10時間かかってたシミュレーションが9時間で終わるとなると、かなり大きい。


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Xeon 2.8GHz×2というモンスターマシン。こいつが2台届いたおかげで、今から帰宅。


会えない時間の空白を 記憶の糸で繋ぐなんて
むき出しの青い空見上げ 思った一人になろうよ なれるよ
(砂の時計/上田まり)

 のんびりとしたリズムに、懸命な彼女の声が穏やかに響く。一瞬だけそれは僕の心に伝わり、そして曲の終わりと共にすっと姿を消す。まるで初めから何もなかったかのように。でも僕は、ふとした瞬間それを思い出し、その温かさを感じる。多分いつまでも変わることなく。


 いよいよ就職活動が始まるので、その記録を書いていきたいと思う。就活ブログなんてものもあった気がするけど、よくわからないので「Recruit」というカテゴリで。基本的には全て自分のためなんだけど、もしかしたら今後就職活動をする人にも役に立つことがあるかもしれない。

?9月:リクナビ、毎日ナビ、日経ナビに登録
9/24:ボストン・コンサルからウィンタージョブの案内
9/30:毎日就職ナビから案内
10/2:富士通から1日インターンシップの案内


 今日は紛れもなく、今年最高の天気だった。日差しはあるものの、かといって全く暑さは感じず、体中が心地よい感触に包まれた。それと同時に、はっきりと、僕に夏の終わりを教えてくれた。

 季節の終わりというのは、突然やってくる。こっちの都合などお構いなしに、好むと好まざるとにかかわらず。

 夏はいつだって美しかった。終わりたくなかった。終わらせたくなかった。でも今のぼくに必要なのは、夏を振り返ることではなく、秋の素敵なところを探すことなのかもしれない。

 夏に汚れたシャツで、靴で、秋を抱きしめていきたい。できるものなら。まだあの夏にいた君を、忘れられるかどうかはわからないけれど。


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空が綺麗だったので携帯で1枚。きちんとしたカメラをもってなかったのが悔やまれる。

Profile

take(take@blue-jam.com)
1981年12月23日生まれ
横浜市の端に在住
音楽と夏と海をこよなく愛してます。
強く、やさしく、フェアに

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