2004年12月 archive


 blue jamを読んでくれている方、いつも本当にありがとうございます。色々とあって9月の終わりあたりから意図的に文章を変えました。そうすることが自分には必要だったのだろうし、またそう望んでいたのだと思います。もしそうしていなかったらここまでのモチベーションを保てなかっただろうとも思います。大げさなようだけど、それは実際の僕の生活にまで影響を与えています。そして、それでも読み続けてくれている人がいるというのが本当に嬉しいです。
 中には明らかにそんなこと書くべきじゃないと思えるような内省的なものもあるけど、どこかにソリッドな線引きをしてしまうと、自分自身が限定されてしまうような気がしました。だからできる限り正直に思いをぶつけています。それは誰かを不愉快にしてしまうかもしれないし、傷つけてしまうかもしれない。そういう不安がないわけではないけれど、こうやって思うがままに(稚拙ではあるけれど)文章を書き続けるというのは、今の僕にとって大きな意味を持ってると思っているのです。
 僕が僕であるために、きっと来年もこのまま変わらず、好き勝手に書いていくと思います。ここで何かを見つけてもらえればそれは凄く嬉しいことだし、そのまま素通りでも、眺める程度でも全然構いません。たまにドアを開けて、そっとのぞいてもらえれば、それは僕にとって何よりの喜びです。

 I'd like to say thank you to all of you.
 2005年が皆様にとって良い年になりますように。

K.Takeda


 今年も残すところあと数時間となってしまった。思い返せば、今年も色々なことがあった。大学を卒業して大学院に入学した。ジャック・マイヨールが修行した禅寺を訪れ、伊勢神宮に参拝した。宮古島に2回行ったし、マラソン大会にも参加してきた。就職活動を始めた。このブログを書き始めたのも今年だった。気づいたら独自ドメインまでとっていた。
 素敵な出会い、寂しい別れがあった。本を読みまくって、音楽を聴きまくった。自分にとって大切なことを大切に考えた。いっぱい笑って、いっぱい泣いた。かけがえのないこの今を何よりも大切にしたいと思った。
 もしかしたら毎年そう思っているのかもしれないけど、それでも、今年は自分にとって本当に大きな年になったという思いが特別強い。何かが変わり始め、そして動き出したということを感じている。今までで最高の1年間だった。

 "My best has yet to come"?今年、全てが確実に始まった。




街が白く染められると、何だか嬉しくなる。
光の三原色、全て混ぜると真っ白になるんだよね。


1年を締めくくる音楽(後編)

 これにて年忘れ音楽談義シリーズは終了です。一見何の脈絡もなく好き勝手に取りあげてきただけと思われるかもしれませんが、実は僕自身にとっては色々な意味を持った選択・選曲でした。読んでくれた方、ありがとうございました。もうここまでまとめてやることはないだろうけど、音楽の紹介はこれからもちょくちょくやっていきたいと思います。


1年を締めくくる音楽(前編)

 ついに今年も終わり。高校の先生が言ってたことなんだけど、時間に区切りがあるというのは素晴らしいことだと思う。人間が勝手に決めたこの時間という概念は、時に膨張することもあれば縮小することもあるのだろうけど、全体として見れば極めて均質に流れている。そして決して止まることはないし、僕たちはただ「時が経つのは早い」と決まり切った言葉でしか評価することができない。そんな時間に1つの区切り。
 そんな終わりを締めくくるのに相応しい音楽を最後に挙げたい。まあ自分のお気に入りの音楽を聴いて締めればいいとは思うのだけど。


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ずっと永遠に。
記憶をなくした医学生は、解剖実習にのめりこんでいく。
そして、闇は、開封された??

 今日は4ヶ月ぶりに社会人の友人と会うため渋谷へ。何だか知らないけど朝からご機嫌で、駅までの途中全力疾走。そのままジャンプしたら空まで突き抜けてしまいそうな気分だった。Alan Parsons Projectの"Eye in the Sky"を口ずさんだり。
 特にすることもなかったので、この塚本晋也の『ヴィタール』を見ることに。思えば、大学に入ってすぐ、同監督の『BULLET BALLET』を見にいったのも彼とだった。
 さてさて、映画の話。・・・と何かを語りたいところなんだけど、僕の乏しい表現力では言葉にできない。一つだけ言うとすれば、生と死、そして愛、こういった決して答えの出ないことについて、具体的な何かを提示されたような内容だった。この映画を見て深く考えさせられるということではないが、それは潜在的に僕らと常に隣り合わせなんだということを改めて認識させられた。
 人体解剖はかなりのインパクトがあったけど、最終的にはそれすらも霞んでしまう塚本ワールド。この映画は一人で見にいかなくて良かった。そして一緒に行く人を選びます。


EBTG、悲しき出会い

 世の中には不幸な巡り合わせというのがある。その時はよくわからないのだけど、あとになってよくよく考えてみると「もしもあの時出会わなかったら」と思ってしまう、そんな悲しい出会い。最初から出会うべきではなかった。お互い知らないままだったらどれだけ幸せだったことか。
 というのをひしひしと感じさせるのが、このeverything but the girl(以下EBTG)の1枚。


 朝起きたら雪が降ってて少し嬉しかったんだけど、その後友人からネットの設定をして欲しいとのメールが。寒いし雪降ってるしエントリーシート書かなきゃいけないし・・・とまあ色々思うところはあったが、困っている彼を放っておけないので友人宅へ。


feat. Bryan Adams

 人を好きになるのに理由なんかないのと同じで、ロックを聴くのに理由はいらない。だがしかし、人を好きになるというのは、それなりの理由があるのではないかと思う。一目見た瞬間からあなたのことを、なんていうのでも、やはり一目見た時の何かに惹かれて好きになるんじゃないかと思うのだけど、どうでしょうか。まあそれはどうでもいいとして、僕にとってロックというのは、ごちゃごちゃした理屈抜きの単純明快なものでなければならない。言いたいのはそれだけである。
 前回ベビーフェイスが初めて買った洋楽のCDだと書いたが、これは嘘だった。ごめんなさい。中2の時にボン・ジョヴィのCDを買っていた。ああやっぱりと思われるだろうけど、"Something For The Pain"や"Livin' On A Prayer"が、当時13,14の僕にとってたまらなく格好良かったのである。だが周りで人気が出てきたこともあり、その後ひねくれ者の僕はどんどん興味を失っていってしまった。
 そして出会ったのがこのブライアン・アダムス。友人と一緒に新宿のタワレコに行き、時間を持て余してたので適当に試聴したのがきっかけ。その時はCDを買わなかったんだけど、大学に入ってからちゃんと聴き直した。彼の方が僕の“サイズ”に合っていた。


feat. Eric Clapton

 僕がエリック・クラプトンを知ったのは、おそらく僕らの世代の多くの人達同様、"Change The World"がきっかけだったと思う。ヤードバーズもクリームも、デレク&ザ・ドミノズも知らない。ちなみに僕が初めてこの曲のCDを手にしたのは、プロデューサーを務めたBabyfaceの『MTV Unplugged NYC 1997』。クラプトンはギターのみの参加。高1の時、渋谷のタワレコで紹介されていたのを何気なく試聴して衝撃を覚えた。多分初めて買った洋楽のCDだと思う。
 話が飛んでしまったが、そういうわけで僕が知っているクラプトンには既にロック色はほとんどなく、スローハンドと呼ばれていることや、三大ギタリストの1人なんてことはどうでも良かった。古くからのファンは嘆いているのだろうが、A.O.R色が強まったクラプトンが好きになった。


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 2ヶ月ぶりぐらいに湘南の海を見にいってきた。なんだかんだで海を求めてしまう。やはりいつもと同じコースをたどり、七里ヶ浜に。もう何回目だろうな。海の良いところは男一人でいても画になるところ。僕自身がどうかというのはまた別の話として。
 鎌倉の街はちょっと賑やかだったけど、海岸沿いの134号線は空いてたし、海は今年一番の穏やかさを見せていた。水面にキラキラと反射する太陽の光が、必要以上にまぶしかった。

 全てが終わってしまったようでもあり、全てがこれから始まるようでもあった。

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 驚愕の事実というか何というか、数えてみたら今年は59枚のCDを買っていた。ちなみにこれは59商品という意味であり、CDの枚数としては計86枚…。もちろん世の中にはこれよりもずっと多くのCDを買っている人がいるのだろうけど、改めてこうして数字にしてみると、自分としては結構衝撃的であった。
 きちんと数えたわけではないけど、所有CD枚数はおそらく400を上回った。1ヶ月約5枚という計算だが、実際には毎月コンスタントに買っていたわけではなく、かなり波が激しかった。1枚も買わない月があれば、10枚以上買った月もあった。ちなみに去年、一昨年と2年併せても30枚も買ってないと思う。今年は何だかおかしかった。
 このまま放っておくと無限増殖してしまいそうで怖いんだけど、なぜこんなにCDばかり買っているのかというと、その原因の1つはおそらくダイビングをやめたことにある。1週間潜りに行くと15万超コースなので、その分金銭的に余裕ができたのではないかと。昔に比べて収入は少し減ったけど、大規模な支出がほとんどない。今年の一番高い買い物はコートだと思う。それで気づいたらCDをこれだけ買っていた。他にこれといった趣味もないので、音楽ばかり聴いていたっていいよね。
 しかし、その一方で今年は昔買った作品を聴き直す機会が多かった。音楽は心を表すし、景色を作り出す。エリック・クラプトン、上田まり、シング・ライク・トーキング、J&B、グレン・グールド。なぜその音楽を聴くようになったのか、その1つ1つに意味があるように思う。


Introduction

 今年も残すところあと1週間を切ってしまった。街は何だか慌ただしいし、テレビもくだらない番組ばかり。年末年始は家で音楽でも聴いてゆっくり過ごすに限る。大掃除なんて3月、暖かくなった春にやればいいじゃないですか。
 ということで、これからしばらく僕が聴いてる音楽を適当に紹介していきます。ちなみに僕はかなりの音楽大好き人間で、まさにNo Music, No Life状態。部屋にいるときはずっとステレオを鳴らしっぱなしだし、外に出てても移動中はポータブルプレーヤーで何かしら聴いている。好みはかなりめちゃくちゃで、割と幅は広い(と思う)。そして相当偏ってる。音楽の好みなんて人それぞれだから、何かの参考になるかもしれないし、ならないかもしれない。ほんの少しでも、誰かの音楽人生にプラスになれればいいなあとは思うのだけど。
 1回目ということで、まずは僕の趣向をジャンル別にざっと説明。


 みんな帰ってしまって、研究室には僕一人。マシンのファンの音がむなしく響いているだけである。帰ればいいんだけど、なんとなく帰りたくない。電車も今の時間はまだ混んでるし。
 ああ、お腹減ったなあ。何かを買うために外に出るのも面倒だ。大体なんでうちの研究室は9階にあるんだよ。机の引き出しをあさってみても、午後の紅茶のペットと、ココアの粉末、紅茶のティーバッグしかない。これじゃ腹はふくれないよな。非常食として置いておいたカロリーメイト、賞味期限が切れたからといって友人にあげなければ良かった。
 今日、家の外に出られたのは良かったけど、特に研究室に来る意味はなかった。もう今年はいいかな。これで終わり。バイトも1週間ぐらい休みだし(多分)、本当に何もすることがなくなってしまった。まあいいや。


 誕生日もクリスマスも終わり、気づけば冬休み。年末年始はあきれるほど予定がなく、その気になれば1月11日までずっと家に引きこもることだってできる…。中学の時から毎年恒例だった、大晦日は友人宅で1年を振り返り、旧年中に初詣に行く(もはや初詣ではない)というのもどうやらできなさそう。友人の1人が今年は彼女と過ごすんだとさ。もう1人と僕は結構似たもの同士で場が持たないため、2人で新年を迎えるかどうかは微妙なのである。ちょっと寂しいけど、仕方ないんだろうな。
 家にいてもすることがないので、今は研究室にきている。部屋でうだうだしてても煮詰まっちゃうしね。B4は卒論書きで大変だろうし、もしかしたら課題を出されたB3が尋ねてくるかもしれない。一応M1として後輩の面倒を見るべきだし・・と思ったんだけど、全然人がいない。2人しか来てない。去年からすると、こんな状況あり得ない。まあ、来ている人に少しちょっかい出してみたり、自分のやるべきことをちょっと進めてみたり。
 気のせいか街が全体的に慌しかった。もうすぐ今年も終わるんだな。


世界で選ばれし20人のドライバー達
あらゆる人の思いと運命を背負って
全てが究極的に研ぎ澄まされた世界に飛び込む

君たちは何のために走るのか
誰のために極限の世界を求めるのか
なぜそこまで己を窮地にさらそうとするのか

辛くて険しい道を走らなければいけない
恐怖と絶望が支配している
ほとんど光の見えない道を

何のために
誰のために

一瞬の輝きにかける思いだけを支えに
全てを超越する強さと
決して揺らぐことのない自信と誇りを持って

守るべきもののために
愛する人のために
己の限界をこえるために


 年末恒例のF1総集編が放送されてる。普段のフジのレース放送(地上波)はひどいけど、この総集編は凄く良くできている。番組を作っている人の、F1に対する思いが感じられる。僕はアルバイトで翻訳をやっているので、全てのレース結果・記者会見・コメントをフォローし、放送もできる限り見てきた。今年もやっぱり色々なことがあった。感動を与えてくれた。
 やはり何と言っても、今シーズンは佐藤琢磨の表彰台。誰よりもこの瞬間を待ち望んでいた。前にも書いた気がするけど、日本人なんてという思いがあった一方、それでもずっとかすかな期待を抱いていた。それを実際にやってくれた瞬間、僕は涙が止まらなかった。
 フェラーリの強さをまたもや再認識させられたけど、一方で時代は変わりつつある。
 BARの躍進が目立った。ルノーが着々と力をつけた。ウィリアムズとマクラーレンは過去の栄光を捨てざるを得なくなった。フォードがF1から撤退した。レッドブルがジャガーを買収した。
 ウェバーはウィリアムズへと大抜擢、フィジケラは最後の輝きを求めてルノーへ、モントーヤは何を思ってかマクラーレンへと移籍した。ヴィルヌーブはまだ終わってないことを見せたくてザウバーで復帰する。トヨタはラルフとトゥルーリという最強のラインアップ、結果を残さなくてはいけなくなった。
 来年は資金難のチームを救うためルールが変わる。史上最多となる年間19戦が行われる。再来年はさらなる大幅なルール変更、そして新チームが2つ参入する予定になっている。
 新時代の到来。変わっていかなくてはいけないというのはわかる。でもどこかで受け入れられないところもある。
 来シーズンを最後に僕は今の仕事を辞めるつもりだ。僕が学生の間はやってくれと言われてるけど、区切りよく辞めたい。来年は今まで以上に、1戦1戦を大事に見ていきたい。


 色々なアーティストに出演オファーを出すも、ことごとく断られ、結局小田和正が自分一人で歌ってしまうという内容の毎年恒例の番組。去年は実際にオファーを出したアーティスト達が出演して興ざめだったので、今年は今までやってきた「月曜組曲(風のようにうたが流れていた)」の総集編みたいな感じだったけど、それで良かったと思う。
 振り返ってみると、考えれば考えるほど素晴らしい番組だった。時間の都合上のためか曲が短縮されてしまうのが残念だったけど、彼が学んできた、感じてきたものを、僕たち(多分僕たち若い世代)に伝えようという姿勢は本当に立派だ。まだ日本の音楽シーンは終わってない。
 テレビ出演はこれが最後だという。彼がテレビに出てこなければいけなくなった理由を、僕たちはきちんと考えなくてはいけない。自分にどれだけのことができるのかはわからないけれど、いつまでも彼の愛した音楽を、思いを、伝えていかなきゃいけないんだと感じた。今まで素敵な音楽をくれ続けた小田和正に感謝の気持ちも込め、僕はそのことを約束しようと思う。

出会いも別れも知らぬままに
流れるうたをきいていた
なぐさめられてはげまされて
そして夢をみた
面影さえもう残らないこの街
それでも風のようにうたが流れている

(風のようにうたが流れていた/小田和正)


 世の中には不可解なことがたくさんあるけれど、昨晩、なんとなくベートーヴェンが無性に聴きたくなった。なぜかバーンスタイン指揮のものを。理由はさっぱりわからない。
 実のところ、僕はベートーヴェンがあまり好きじゃない。多分クラシックの代表格みたいな扱われ方をしているからだと思う。ベートーヴェンってそんなに偉いのかよ、というか、そんなに素晴らしいものなのかよ、という気持ちがある(実際には偉いし、素晴らしいのだろうけど)。やけに重々しいし、大げさだし、何より難解だ。世の中が「クラシックと言ったらベートーヴェン」みたいな感じになっていることが、僕をクラシックから遠ざける原因の1つになったことは間違いない。
 だがしかし、バーンスタインに魅せられてから、少しだけ見方が変わった。思えば、僕は家にあったカラヤン(6番と9番)でしか、まともにベートーヴェンを聴いたことがない。カラヤンはもちろん過去最高の指揮者の1人であるけれど、ただ彼は独自の解釈をかなり持ち込むので、もしかしたらまた印象も変わるかもしれないと、僕はバーンスタインを求めた。
 横浜はこれでもかと言うほど人が溢れていて、そういえば今日がクリスマスなんだということを実感したけど(なんとなく日本ではクリスマスよりもイヴの方が重視されてる気がする)、まあそんなことはどうでも良くて、とにかくバーンスタインのベートーヴェンを求めてHMVへ。でも残念なことに置いてなかった。今年の改装でクラシックコーナーが移動・縮小されてしまい、品揃えがかなり悪くなってしまったのである。一瞬渋谷まで足を伸ばそうかとも思ったんだけど、タワレコがあったことを思い出し、そっちへ。
 初めて言った横浜のタワレコは、それほど大きくはないし、全体的に雰囲気が好きになれないんだけど、クラシックコーナーがかなり充実してて驚いた。HMVの4倍ぐらいの広さがある。品揃えも結構いい。ということで見事バーンスタインの全集を見つけ、その後ちょっとうろうろしてたら、意識を失っていたのか気づいたらカゴを手にしていて、中には何枚ものCDが。まあいいや、クリスマスだし(?)。
 良い音楽が聴け、美味しいご飯が食べられれば、僕はそれでハッピーなのである。




昨夜はご苦労様。


 さてさてクリスマス。きっと日本中の恋人達は、皆それぞれ素敵なクリスマスを過ごすんだろうな。この際キリスト教がどうとか、商業化とか、どうでもいいじゃないですか。世界中の人たちにメリークリスマス。

Although it's been said many times, many ways
Merry Christmas to you

何度となく色々な言葉で、色々な方法で伝えられてきたけど
君にメリークリスマス

(The Christmas Song/Nat King Cole)

 ちなみに僕は2年前にサンタに会ったことがある。プレゼントはくれなかったけど、一緒に海に潜ってくれた。本当に。それ以来サンタさんには出会えてないけどね。


 朝、親が掃除機をかける音で目が覚めた。はっきり言って最悪の起こされ方である。あの何とも言えない一定の周波数の音が、ひどく不快だ。ということで、それに対抗すべく部屋のステレオで大音量で音楽を流すことにした。
 だがしかし、大音量で流せる音楽というのは限られている。我が家は角に位置しており、僕の部屋も角部屋で隣の家まで道一本離れてるから、それなりの音で鳴らしても大丈夫だと思うんだけど、万が一聞こえてしまったら申し訳ない。近所迷惑も甚だしい。ということで、やはりクラシック。もし聞こえたとしても、お隣には今日オーケストラが来ているのね、ぐらいに思ってくれるかもしれない。
 クラシックの中からは何を選ぶか。交響曲だと、第一楽章の頭からいきなりババーンとくるものがない。ここはやっぱり激しいピアノ曲だろう。とういことで、まずはリストの超絶技巧練習曲をかけてみた。クラウディオ・アラウの演奏。が、録音があまり良くなく、ボリュームをあげていくとノイズが聴くに堪えられないレベルに。却下。
 続いて先日買ってお気に入りとなったツィメルマンのショパン。これが結構凄かった。ステレオのアンプのつまみを半分近くまで上げる。空気の震えがそのまま体に届く。部屋全体が、世界が震えた。ただし、ショパンはこんな風に聴くべきものではなかった…。
 最後にアシュケナージのラフマニノフ。これが正解だった。通常の音量で聴いていたのとはまた違った、新しい感動があった。大音量で聴かなければ見えてこないというものが確かにあった。ピアノ協奏曲の3番・4番と聴き終え、何だかすっきりしたけど、ちょっと疲れを感じた。
 こういうのもたまには悪くないかな。まあ、ほどほどに。


 本当はこんな「自分おめでとう」みたいなエントリーを書くつもりはなかったんだけど、誰かに自分の誕生日を祝ってもらえるというのは嬉しいものだというのを、久しぶりに感じたので。

 昨晩はずっとEric Claptonの"Wonderful Tonight"を聴いていた。

And then she asks me, "Do you feel all right?"
And I say, "Yes, I feel wonderful tonight."

 素敵な言葉に包まれ、僕は23になっていった。凄く嬉しかった。きっと誰よりも幸せだった。


 僕はこの1年間、進んだ時計の針を0に戻すような作業をし続けてきた気がする。動いた駒をスタート地点に戻そうとし、掘り続けた井戸の穴を埋めてきた。でもそれで全くの0になるのかと言うと、そうでもない。それまでのことを全部抱えて0に戻る。良いことも悪いことも、全部抱えて、僕はきっと全く新しい世界に飛び込むことを目指している。
 人生なんてそんなことの繰り返しじゃないかとも思う。その周期が長いのもあるだろうし、短いのもあるだろう。始まりがあれば終わりがある。おそらくこの作業だけが、始まりはあるけれど決して終わりがない。1つだけ確かなのは、それは既に始まっているという事実だけだ。
 その過程で得たものと失ったもの、どちらが多かったかなんて多分考える意味はない。得たものというのはそれが失われたところでまた0に戻るだけの話だし、何もないところから失われることはない。そして得たと感じているものだって、きっといつかは失われる。そのことを考えるとすごく不安だし、怖いけれど、そんなことを考えて生きるには、多分僕たちの人生はあまりに短すぎる。
 できれば一瞬、この一瞬を大切にして生きていきたい。ぼんやりとした未来よりも、確実な現在を胸に。そしてそれが確かな未来へと繋がっていくはずだ。もし僕の人生に何らかの意味があるのならば、この膨大な世界を相手に必死に生き抜いていかなければいけない理由があるのならば、終わりのことなんて考えるまでもないのだろうから。
 そして僕は、明日23になる。


僕の話を聞いてくれてありがとう
忘れかけていたものを思い出させてくれてありがとう
僕を誘ってくれてありがとう
僕に会ってくれてありがとう
とびっきりの笑顔をありがとう
素敵な時間をありがとう
言葉にならない幸せをありがとう
他の何にも勝る喜びをありがとう
温かい確かな光をありがとう
ありのままの僕を見てくれてありがとう
目に映る全ての風景を変えてくれてありがとう
ポケットの中の自信と勇気をありがとう
素敵な本と音楽と映画を教えてくれてありがとう
いつまでも色あせない記憶をありがとう
僕のわがままにつきあってくれてありがとう
雨を大好きにさせてくれてありがとう
胸に残る言葉をありがとう
大切な優しさをありがとう
耐えきれない胸の痛みをありがとう
心のときめきをありがとう
夢を教えてくれてありがとう
過去も現在も未来も全部ありがとう

本当に、本当にありがとう


 今日は研究室で嫌なことが立て続けに2つ起こった。やり場のない怒り。そこで感情を爆発させてしまったらそれなりに何かが起こったのだろうが、僕だって23年だてに生きてるわけではない。すぐに一時的な感情は封じ込められ、何をしたらどういう結果に繋がるということが頭に浮かんでくる。
 納得のいかない部分は多々あるけれど、もう全てが自分にとってプラスになると割り切るしかない。あくまでもポジティブに。社会に出たら、きっとこれ以上にひどい状況が待ち受けている。ある意味僕にとって試練の場だ。自分がさらなる高みに上るための。
 正直者が馬鹿を見る、要領の良いやつだけがすいすいと平気な顔をして歩いていける。残念ながら社会の大部分はこんな感じではないだろうかと思う。誰もが責任から逃れたいし、己の保身のためなら平気で他人を傷つける。でも僕は、きっとどこかにそんなことじゃ到底太刀打ちできない世界があると信じている。僕はそこに行きたい。たとえそれが自らをボロボロに傷つける行為だとしても。
 帰り道、1つ心に決めたことがある。22歳最後の誓いだ。本当に強い人間ならそんなことわざわざ宣言しないのだろうが、僕はそんなに強い人間じゃない。だからここに記しておく。この気持ちをいつまでも忘れないために。


 いつもは一日に1つ予定があればいい方なんだけど、今日は珍しく朝・昼・晩と予定があった。といってもどれもたいしたものではないんだけど。
 朝は病院。減圧症の症状が症状だっただけに、これまでずっと定期的にこっちの医師に診てもらってる。紹介された病院がなぜか自衛隊中央病院というところで、2,3ヶ月に一度、世田谷公園の向かいにあるこの病院に通ってきた。行きは東横線祐天寺から、病院に行った後はそのまま学校に行くので田園都市線池尻大橋まで歩く。この辺りの街並みが結構いい。目黒区五本木、世田谷区下馬・池尻・・・ワンルームでも高いだろうな…。そして今日をもって通院が終わりとなった。多分100%完治ではないのだろうけど、日常生活において認知できるような症状は全くない。よくまあ、ここまで回復できたと思う。運動は続けたほうがいいと言われたので、これからも意識的に運動をしていきたい。
 M1ゼミ。発表予定者の1人が日程を勘違いしていたので、発表者1人となりわずか20分足らずで終了。時間を持て余したので、教授と僕の研究内容について話しあったものの、何だかこれまでの1年間が全く評価されてないような感じでがっかり。あと研究室でちょっとした問題が発生。全体的に責任感が希薄だ。もっと引き締めていかないといけない。と、今年最後のゼミはこんな感じで終わり、来年おそらくあと2回あるんだけど、どうやら僕の出番はなさそう。就活に専念できるかも。
 忘年会。数少ない研究室恒例行事であり、ほぼ全員が出席するものの、教授は用事があって欠席。まあ、そっちの方が都合がいい部分もあるんだけど。研究室の飲み会はおそろしく地味である。馬鹿騒ぎしているサークルの学生みたいに「学生注目」もなければコールもなく、テーブルごとにポツリポツリと盛り上がり、ただただ適当に飲み続けるだけ。普段ほとんど話す機会のない先輩と話せたことは良かったんだけど、最後の方は一人置いてかれたような感じだった。この場を楽しもうとしてもとてつもない疲労感が襲ってくるし、なんかもうどうでも良くなってしまった。睡眠時間が2時間半だったというのが1つの理由なんだろうけど、教授の悪口言ってゲラゲラ笑って、まあそりゃ僕だって不満はあるんだけど、正直な話くだらないというか、本当にどうでもいいというか。
 明日は一日休もうと思ったのに、配属された3年生との初顔合わせ。それだけのために学校に行かなくてはいけない…。




一日一杯のミルクティーが飲めれば、それで幸せである。


 ついに終わってしまった。最近ほとんどテレビを見なくなったんだけど、唯一毎週見続けていた番組「月曜組曲」の第一部。小田和正一本で勝負するというのが良かった。考えようによってはおそろしく低予算の番組だけど、でも嘘も偽りもない、“本物の”音楽が流れていた。
 小田和正は春と秋の季節の歌を得意とする。彼の歌はどれもやさしくてポジティブだ。でも僕がそこから何かを感じるかと言えばあまりそうでもなく、ただただ歌のうまさが印象に残るだけである。こんな言い方良くないのだろうけど、彼の歌は“綺麗すぎる”。特に最近はそれが顕著だ。ただそんな歌を歌える人、日本で彼一人だけだろう。
 一番好きなのは「FAR EAST CLUB BAND SONG」。サビに入る部分がいい。

君を通りすぎた愛のことなんて
今もこれからも知らないままでいい
思い出なんて走る二人の
後から追いかける
君を泣かせない
君に嘘をつかない
だから今はふり返らないで
 ・
 ・
 ・
多分君とはずっとうまくゆくさ
別にたしかなわけはないけれど
そんな風に信じてみるのも
二人には素敵なこと
君をつれてゆくよ
もうつまづかないで
その笑顔忘れないで


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 中学の時の先生なんてはっきりいってほとんど好きじゃなかったけど、一人だけ例外的に好きな先生がいた。中学2年の時の国語の先生。
 1年の時の国語の先生が最悪で、答案はひらがなで減点するし、授業中の発言や教科書の単語を調べていくと加点を与えるという先生だった(ちなみに彼は僕が中3の時の担任となった)。で、他のクラスは1年に引き続きそのままこの先生が担当したんだけど、6クラス中なぜか僕らのクラスだけ違ったのである。1年の時と比べたら彼女の授業は本当に楽しかったし、何より僕らを寛大に受け入れてくれた。僕は彼女に全力でぶつかっていったし、彼女も僕を全力で受け止めてくれた。多分今までで唯一僕をきちんと評価してくれた、見てくれた先生。
 そして残念ながら、その年を最後に彼女は学校を辞めアメリカに行ってしまった。で、どういった経緯だったかは忘れてしまったが、僕は中学卒業後この先生に手紙を書いた。写真はその返事としてきた手紙。
 最後にはこんな言葉が書かれている。

 これからもっともっと楽しいことがあるよ!!もし武田くんが、自分の感性を大切に磨いていくならば・・・

 僕が感性を磨き続けることができているのかどうかは知らないけど、いつも心の片隅にこの言葉が残っている。


 この前友人に好きな女性のタイプを尋ねられた。僕が選り好みできる立場にいないのはまあ置いておくとして、「ないよ」とその場は適当に切り抜けておいた。ちょっとひっかかっていたのでその後少し考えたんだけど、やはり「ない」という答えしか浮かばない。
 ありきたりな言葉だけど、やはり好きになった人が、自分の好きなタイプなのではないかと思う。これは僕の経験的なもので、もしかしたら絶対にこの要素を満たしていなきゃダメという人もいるのかもしれない。しかし僕に関して言えば、そういった必須条件みたいなものはない。もちろん全体的な傾向としていくらかはあるものの、それがなかったところで、特に問題はない。そんなもの相手によっていくらでも変わる。
 ただし、これは二十歳を超えた辺りから意識し始めたことなんだけど、十代の頃のような理由もない恋なんていうのはもうできないんじゃないかとも思う。もちろんあらゆる自然法則と同様、例外はあるけれど。負わなければいけない責任もそれなりに大きくなったし、色々なしがらみだって出てくる。結果はまた別の話として、少なからず未来に影響を与える。好むと好まざるとに関わらず。
 だから、タイプという話からは少し逸れるが、これは女性というか人間としての好みだろうけど、僕は自分できちんと物事を考えられる人が好きである。自分と対等な立場にいて、お互いにリスペクトできる人。素敵な感性を持っている人。価値観の合う人。絶対に自分が妥協できない部分があるんだけど、そこの領域に入ってこられる人。一緒に未来に向かって歩いていける、互いの人生を高められる人。こんなこと言うと周りにひかれるので、普段は口にしないんだけどね。そんな人いないよ、というのはごもっともな意見です。


 もうすぐ22歳ともお別れ。別に23になった瞬間、新しい自分になるわけではないけど、せっかく時間に区切りというものがあるのだから、今感じていることを大切にしていきたいと思う。21の時に書いてた日記を読み返してみたら、今と感じていることが結構違った。だから来年もまた、今と違う感じ方をしているのかもしれないし。


 いつもは酒が入ると眠くなるのに、今日はさっぱり。酔いもほぼさめてしまったかな。使い道のない時間、だらだらと文章打つぐらいしかすることがない。明日は5限のTAだけだから、まあ朝はゆっくりしてもいいだろう。
 アシュケナージのショパン・ノクターンを聴いてる。クラウディオ・アラウの全集を持っているんだけど、なんとなく気になったので買ってみた。アシュケナージの方がいいな。音色がやさしい。太陽の光が差し込む真っ白な部屋で演奏しているような感じだ。ノクターンは本能に近い、修飾語で飾ることのない感情で溢れている。
 ピアノの音色がたまらなく好きだ。うちにもアップライトだけどピアノがある。最後に鍵盤にさわったのは高校1年のときかな。何かの曲を弾きたかったんだけど、たしか全然指が動かなくてすぐやめてしまった。何の曲だったんだろう。女の子と一緒に楽器屋に行って、一緒に楽譜を見て買った。彼女も何か見つけたのでその楽譜をプレゼントした気がする。それが何の曲だったかも思い出せない。
 グーグルが落ちてる。きっと世界中の人たちが自分の頭で考えようとせず、何かと頼ってくることに腹を立て、仕事を放棄してしまったのだろう。グーグルって便利だし、普段はグーグル先生と「先生」という敬称をつけて僕は呼んでいるけど、でもキーワードを入れてボタンを押すとパッパッと目的の結果が得られるっていうのは何となく良くないことのような気もする。わからないいことがあったら調べるっていう姿勢はいいけど、わからないことがあったら即グーグルっていうのはこれいかに。そりゃグーグル先生だって反乱を起こすかもしれない。1週間ぐらい落ち続けて機能しなかったら、きっと世界中の色々な人が困るんだろうな。
 段々冷えてきた。音の邪魔になるから暖房は消してたんだけど、さすがに寒い。少し部屋を暖めてそろそろ寝よう。眠れなくても、寝る努力はしてみよう。


 週末はずっと音楽聴いてたら終わってしまった。エントリーシートの1つでも書けば良かった。というか、僕は何がやりたいのだろう。何を求めているのだろう。大切にしなきゃいけないのは何なのだろう。
 たとえば家族がいたらまた変わるのかな。母親の子供に対する愛っていうのは、唯一無償の愛と言える気がする。父親はどうなんだろう。あと10年、いや5年したら、僕に家族がいてもおかしくないよな。全然想像できない。でももし家族ができたら、僕はそれを命をかけて守っていくのかもしれない。そんな強さ僕にあるのか?なくても守るしかないんだろう。
 もうじきクリスマス。まあ皆さん仲良くやってくれればいいさ。誕生日・イヴ・クリスマス、独り者の僕にとって寂しい3日間だ。二十歳の誕生日は辛かったな。大切なものを見失ってた。一昨年は宮古で潜ってた。それなりに祝ってもらったけど、あまり嬉しくなかったのは何でだろう。去年は、研究室から帰る途中に日付が変わって誕生日になったんだ。今年はどうするかな…。
 クリスマスソングは結構好き。今年のお気に入りはクリス・レアの"Driving Home for Christmas"。父親が、家族の笑顔を楽しみにしながら、1年に1度の特別な日を祝うことを楽しみにしながら、家に帰っていくというような歌。やさしさにあふれてる。幸せそうでうらやましい。


Introduction

 僕と角松敏生との出会いは、16歳の夏。当時バイト中に聴いていた、FMから流れてきた伸びのある歌声に僕は一気に魅せられた。最初の印象はやたら賑やかなバック、伝わってくる強いメッセージ。そして、その時ちょうど行われていたツアー(“He is back for the future”)を偶然見にいくことができたことが、その後の運命を決定づけた。
 以来、僕は音楽のほとんどを角松を中心に学んできた。彼の言おうとしていること、音楽を、必死に理解しようとし、時には全面的に無条件で受け入れ、時には真っ正面から対立した。そのことが現在どのような結果に繋がっているのか、それがポジティブなものなのか、ネガティブなものなのかはわからないけれど、音楽を心から愛することができるようになったというのは、彼によるところが大きいと思っている。
 今の角松は、あくまでも自分がリアルタイムで生きることにこだわっている。それは彼の作品を聴けば一目瞭然だ。そしてそのような姿勢は、たまに己の過去の作品を否定しているようにも感じる。だがしかし、いいものというのは、何年経ってもいい。そのことを胸に、彼の最高傑作の3枚を紹介していこうと思う。角松はこの3枚を作り上げ、音楽活動を凍結させた。全てを捨てた。言い換えれば、この3枚に角松の全てがつまっている。


 18の夏、ふらりと行った宮古島で、意を決してダイビング講習の問い合わせをしたのが偶然このお店。あれから4年、SEA DANCERは僕に色々なものをくれた。潜れなくなってからも僕のことを大切に扱ってくれていた。僕はそれが何よりも嬉しかったし、そして辛かった。
 宮古にはお別れをしたけど、多分僕が一番別れの言葉を言わなければいけないのはこのショップの人たちだろうと思う。こんな形で申し訳ないけど、口で言おうとするときっと涙で言葉にならないだろうから。

H2




実はマンガも結構読みます。
H2は僕が小学生の時に始まり、中学生の時にアニメ化され、高校生の時に終わった。ちょうど思春期とリンクしてるのである。


 昨日はちょっと緊張してなかなか寝付けなかった。今朝はちゃんと髭を丁寧に剃り、整髪料を使って髪をセットし、話すべき内容を何度も確認した。2限の授業なんて上の空。午後に待ち受ける合コンのことで頭がいっぱい。・・・午後
 そう午後です。ごめんなさい。合コンなんて嘘です。本当の合コンだったら、こんなところに書くわけないじゃないですか。というか、もしあったとしても行くわけないじゃないですか。多分合コンなんて一生縁がありません。変な期待を抱かせてしまったら申し訳ありません。でも合コンという言葉以外は全部本当です、一応。
 何があったかというと、某電機メーカーとの共同研究の会議に出席しました。あっちは研究所の所長やら主任やら、お偉いさんばかり。今日が3回目の会議で、これまでは教授と助手だけが話を聞いてたんだけど、そろそろ実際にやることになる僕らも話を聞いておいた方がいいんじゃないかということで。某、某といやらしいけど、まだ正式決定ではないし、どうやら守秘義務契約を結んでいるらしいのですみません。差し支えない範囲で言うと、最近になって携帯部門が活発になってきたメーカー。携帯の第三世代は後発だったので、第四世代の技術を蓄えておきたいらしい。
 それで内容はというと、懲りずに合コンに例えるならむしろこっちが女性側。相手側はやる気満々で4月から始めたい、それで具体的な話を、とか言ってたけど、こっちはまあ「気が向いたら会ってあげるけど、見返りは期待しないでね」みたいな状態。結構楽しみにしてたんだけどな。まさか自分達が優位に立てるなんて思ってなかった。やや残念。
 しかしまあ、第四世代についてはドコモさんが完全にガンガン先に進めちゃってるけど(室内実験で1Gbpsを達成したというニュースがあった)、実現するかどうかが非常に疑問である。大体5GHz帯で100MHzの帯域なんてどうやって空けるんだよ…。技術の問題、資金面の問題、さらに行政の問題。最後のが一番難関なのは言うまでもない。だからまあ僕らが一緒に研究を行う分には全く問題ないんだけど、これに生活をかけてる社員さん達は大変だろうな…。


 生まれてこの方合コンなるものに行ったことがないし、あまり行きたいとも思わないんだけど、明日どうやら合コンに参加しなければいけないらしい。突然誘われたので戸惑っているんだけど、どうしたものか。
 相手は5人で、全員僕より年上の社会人。僕は数合わせというよりは、結構主要メンバーとして考えられている。でもどこまで相手の話を聞き、どこまで自分が口を開けばいいのかもわからない。ずっと黙りはさすがにまずいだろうし。やっぱりそれなりの好印象を与えたいとは思うものの、ただそれは相手次第でもあるわけで…。雰囲気をぶちこわすようなことだけはしたくないなあ。一応話のネタぐらいは考えておこう。
 服装は学生らしい服でいいと先輩に言われた。たしかに変に気合いを入れて空回りするのはバカみたいだけど、やっぱりそれなりに綺麗な格好をするべきじゃないだろうか…。相手もさすがに社会人なのでそれなりの格好だろうし。
 気になる結果報告はまた明日!


 テレビのCMでエレーヌ・グリモーの来日公演があることを知ったので、ちょっとサントリーホールのホームページで情報を見てみた。ベートーベンの皇帝をやるみたいである。グリモーは、アルバム名は忘れてしまったけど、可愛らしいジャケットが印象に残ってる。こんな華奢な体で一体どんな音を奏でるのだろうという興味はあったものの、残念ながらまだ聴いたことはない。
 とまあ、その他色々と公演を調べてみたら結構凄い人たちがきてる。何より驚いたのがアシュケナージ。来るなら来ると言って頂きたい。今からじゃチケットとれないよ…。あー、生で聴きたかったな。あとエリアフ・インバルがベルリンフィルでマーラー(しかも5番!)やるし、今日だって小澤征爾がラフマニノフのピアノ協奏曲3番(個人的にラフマニノフはこの3番が一番好き)とベートーベンの7番をやるらしい。今日は会社説明会のはずだったんだけど、企業側から全然連絡がこないので予定にぽっかりと穴が空いてしまった。当日券あるなら勢いで行ってしまおうかとすら思った。というか、参加の可否に関わらず全員に連絡するとあったのに何で連絡ないんだろう。
 来年は1度ぐらいクラシックのコンサートに行きたいと思ってる今日この頃です。


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CHOPIN:4BALLADEN/BARCAROLLE/FANTASIE
KRYSTIAN ZIMERMAN

 今さら解説不要のツィメルマンのショパン、4つのバラード・舟歌・幻想曲。HMVで偶然安売りされているのを発見した(CD2枚で1枚1690円のセール対象になってた)ので思わず購入。
 演奏の方はさすがと言うべきか、1番の最初の旋律から圧倒された。本当はエフゲニー・キーシンとの比較を書こうと思っていたんだけど、そんなのは太陽の輝きの前で小さな星の煌めきを持ち出す行為のような気がしたのでやめました。
 まるで精巧なガラス細工を作り上げているかのような、寸分のふるえも許さぬ完璧な演奏。そして正確無比な音は、ショパンの想いをまざまざと浮き彫りにする。やってることは単純明快、しかしあまりにも凄すぎて一気に全く手の届かない世界へと飛び立ってしまう。
 僕たちはその完全な世界を、ただただ呆然と眺めるしかないのか。


 今日のゼミ発表は至って快調だった。時間の都合上、内容としてはかなり薄くなってしまったものの、整合性を重視して作成した結果ほぼ誰からも突っ込まれずに終了。これにて今年の無線通信のお勉強は終わり!あとは来年!提出すべきエントリーシートやらエッセイやらかなりたまっているので、そっちの方に力を入れていきたい。
 16時頃、某電機メーカーに就職されたOBの方が先生に挨拶をしにきたので、その後つかまえて色々と話を聞くことに。最初は乗り気じゃなかったんだけど、入社3年目の人だからよく考えたら1つのOB訪問とも言えるし、メーカー務めの人の“真の本音”を聞ける機会というのもなかなかない。これはチャンスだと思い、むしろ積極的に。
 このOBの方は結構僕と考え方が共通する部分があって、彼は日本で技術者の評価が低いことに疑問を持ち、そしてそれを変えていこうという志を抱いていた。素晴らしい。どうも日本のエンジニア達、研究者達は、目的を持たず、研究のために研究を行っているという感じがしてならない(実際はどうなのか知らなかったけど、話を聞く限りやはりそうらしい)。その先にある、具体的なビジネスまで果たして考慮しているのか、その辺りを疑問に思っていたので、僕はエンジニアになることを少し敬遠してた。学会発表止まりじゃ、多分僕のモチベーションは保てない。だからこの人の話を聞けて良かったと思う。多分、僕らの世代で意識を変えていかなければいけない。そういう時期にきているということを感じた。メーカーのネガティブなイメージが少しだけ払拭された。
 色々な話を聞けて良かったというのもあるんだけど、ここだけの話、僕は初対面の人に自分の言いたいことをできる限りうまく伝えるということを重視してた。どうすれば自分の期待する答えが返ってくるのか、そういうことを考えながらずっと積極的に質問をし続けた。だから同期5人で話を聞いていたんだけど、話を聞かせてもらった2時間中、8割ぐらいが僕の質問に対する話だった。まあ、そういうチャンスをつかまないとね。そうでないと社会に出たら生き残っていけない気がする。




 明日のゼミ資料がとりあえず完成したので、研究室の窓からしばらくぼけーっと空を眺めてた。それにしても青い。段々空に吸い込まれていくような気がした。


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empty page/上田まり

くもった日曜の昼下がりに

 別に歌がうまいわけでもないし、メロディーがいいわけでもない。編曲で何とか仕上げたという感じが否めない。でもしかし、切り出した歌詞のフレーズが耳に残る。彼女は一人でいる強さを、一人でいることの苦しさを洗いざらい歌い出す。そしてその歌声は、そっとやさしく僕の心の痛みに触れる。

 ときどき、二度と君に会えないんじゃないかと思うときがある。この世から消えてしまうのではないか、遠い世界に行ってしまうんじゃないかと不安になる。もしくは元々君の世界に僕はいなくて、僕が背伸びをした瞬間、少しだけ君の姿を見ることができていただけなのかもしれないと。

例えば色つきの夢のように
あの日が遠くなるとしても
古い本のすえた匂いに思い出す
始まらない恋だったこと


 後半終了後、マリノスサポーターから流れて来た歌は天使の歌声のようであった。透明で、心地良く、どことなく懐かしい歌声。まるで傷ついた戦士達を癒すかのように。荒野に咲く一輪の花を励ますかのように。
 榎本、僕はあなたの涙に2年連続で泣かされました。忘れもしない去年のジュビロ戦。我を失い、前半早々にピッチを後にしたあなた。優勝が決まった瞬間、うずくまり泣きじゃくっていた姿が未だに忘れられません。
 そして今日の試合。見事PKを2本止めたあなたは、またもや涙をこらえ切れませんでしたね。全ての責任を背負ってゴールマウスの前にただ一人、あなたは一体何を考えていたのでしょうか。1本目を止めた瞬間、僕は勝利を確信しました。そして必ずもう1本止めてくれることも。今日の殊勲者は間違いなくあなたです。

 本当におめでとう。横浜Fマリノス。


 昨日とほとんど変わらない一日だったため、マフラーを買っただけでも一大事になるのである。なぜマフラーなんて買ったのかというのは、3段落とばすとわかります。


 今、テレビでダウン症の人がダイビングを行う様子が放送されている。1つ1つのプロセスを丁寧に追いかけているものだから、思わず僕も昔のことを思い出してしまった。最後に潜ってからもう1年半が経つ。昔は結構潜っている夢を見ていたけど、最近は全く見ない。
 レギュレーターから出てくる空気はバニラの味がした(MARESのRubyを使っていた)。ウェイトはなしで潜ってた。バックロールのエントリーはいつも少しだけ緊張した。安全停止の時、ロープを使わずに水深5m付近にとどまろうと頑張ってた。あの中性浮力がピタリと決まったときの、何とも言えない感覚。息を吸ったら浮くし、はいたら沈む。聞こえるのは己の呼吸音のみ。人工的な吸引音、そしてはき出されていく無数の泡。はるか上空から差し込む神秘的な光。全てが蒼に包まれる世界。
 俺、潜ったら死ぬのかな・・・


12月9日(木)

10:00 起床
11:10 起床二回目・・・
     朝食をとった後、出かける前にメールチェック
13:50 途中の弁当屋で昼食を買い、研究室到着
     来週のゼミ発表資料作成に取りかかる
15:00 データが足りないことに気づき、慌ててシミュレーションを回す
     結果が出るまで半日かかるので、文章や図の作成などを進める
17:30 詰まってきたので、某コンピュータメーカー内定の先輩とお話
     今後のキャリアパスについて色々と語ってくれた。
     色々と思うところはあるけれど、自分の中で考えが段々固まりつつある
18:20 データが順調にとれていることを確認し、残りの作業を進める
19:30 助手の人と世間話
     某メーカーとの共同研究の話、やる方向で進んでいるらしい
     (どうやら僕も関わることになりそう)
20:00 なんとなく自己分析をしてみる
20:30 遅くなってしまったので、ここでアルバイトの翻訳をすませることに
21:40 帰宅方向が同じ先輩と一緒に帰ることに。彼と二人で帰るのは初めて
23:30 帰宅
     夕食を食べながら、朝刊・夕刊をまとめて読む
24:20 メールチェック、ネット等
25:00 読書(実用書)
25:50 このエントリを書き始める
27:00 就寝(予定)

 あまりにも単調な一日だったので、とてもじゃないけど文章にはならないのでした。でも大体毎日こんな繰り返し・・・


テンシュテット VS バーンスタイン

 マーラーの5番が病的なまでに好きだ。最初にマーラーを聴いたのは、高校生の時だったと思う。このときは1番の「巨人」に飲み込まれた。クラシックのクの字もわからなかった僕に(今だってわかっているかどうか相当怪しいものだけど)、マーラーの楽曲は壮大な宇宙を連想させた。そこでは生命が誕生し、終わりを迎え、さらにその先までもがあった。
 そして5番との運命的な出会い。なかでも有名な第4楽章のアダージェットは、この世で最も美しい旋律としか思えない。ただ、4章だけ切り取ればいいというものではない。だから、カラヤンの『アダージョ・カラヤン』なんていうのは好きになれない。例えそれがクラシックへの門戸を開いているとしても。とにかく、このアダージェットは単独として存在しているのではなく、1?3章から繋がり、そして最後5章へと続いて、初めて意味を成す。


 ジョン・レノンの命日。いつからか、この日を忘れることができなくなった。
 僕の生まれる1年前に亡くなったジョン。世界は平和とはほど遠い状態だけれど、幸いにも、あなたの歌はまだ世界に流れ続けている。ジョン、ときどきもしあなたが生きていたらと考えることがある。きっとあなたの歌は、世界を救うことはなかっただろうけど、僕らを救い続けただろう。
 ジョン、あなたが今この世界にいないことが残念でならない。


 夕方頃、某テレビ局に就職した先輩が研究室に遊びに来てくれた。地方勤務なんだけど、研修で東京に1週間戻ってきているのだとか。僕はこの先輩が大好きである。去年、研究室の机が隣だったこともあって、実に色々なことを話し合った。正直に言うと、この人の考え方に僕は賛成できない部分がかなりある。僕が偏屈な人間なだけなのかもしれないけど、彼は一般論を極めて正当に解釈したような主義を持っている。言ってることはわかるし、立派だ。だが、おそらくお互いに分かり合えたということはほとんどない。それでも、一貫性があるのがいい。その一貫性は社会人になっても変わっていなかった。そういう人が僕は好きだ。
 その後、そのテレビ局勤務の先輩と、民放テレビ局内定の先輩と、テレビ局志望の同期と新宿に飲みに行った。入ったのは普通の居酒屋。料理はたいして美味しくないし、コートはタバコ臭くなるし、大体僕は全然酒が飲めないし…とまあ色々と不満もあるんだけど、それでも楽しい時間を過ごすことができたので良かった。話題は必然的にテレビのことが中心になったけど、彼が研究室にいた時とはまた違った、色々な興味深い話を聞くことができた。就職活動中ということもあって、一つ一つの話に考えさせられた。
 受信料のペイバックということで、少しだけおごってもらいました。


 今日は何だか空が一段と高かった。冬の澄んだ青空。いくら眺めていても飽きることがないし、どう考えても飛び越せそうにない。季節によって色々な空が見られる僕らは、とても幸運だと思う。
 研究室の外にある踊り場の窓からは、今日のような天気の良い日だと富士山が見える。でも完全な形じゃない。富士山に覆い被さるように、二本の建物が邪魔をしている。僕が研究室に配属されたとき、既にその建物はあった。なんでも、一昨年ぐらいに建ったらしい。そのことを残念そうに語っていた先輩がやけに印象的だった。僕らは、便利な生活の代償として、知らないうちにもっと大切なものを失っている。
 そんな景色を眺めながら、これなら夜は星が綺麗だろうなと思ってた。22時過ぎ、帰宅道、やっぱり星が綺麗だった。宮古で見た星空ほど圧倒的ではないけれど、あれはなんだか凄すぎて、僕がその場に属していないような感覚みたいなものがあった。でも、僕の街から見える星空には親しみがある。昼間とは打って変わって、空が近い。星の一つぐらい手に取れそうな気がした。
 星を眺めながらとぼとぼと歩いていると、必ず去年のことを思い出す。卒業論文にさえ取り組んでいればよかったあの頃。失望感でいっぱいだったあの頃。一つのことだけを大切に考え、心の支えにし、そんな負のエネルギーだけで生きていた。そして家まであと5分くらいという距離で、僕は必ずある曲を最後に聴いていた。まるでそれが当たり前であるかのように、やらなければいけない一つの儀式のように。今はもうそんなことはしない。僕は、いつまでも記憶だけで生きていけるほど強くはない。


gboat.jpg神様のボート/江國香織

 9月の終わりあたりから、どういうわけか本ばかり読んでいる。数えてみたら、読み返したのも含めてこれが22冊目。他の人たちが平均としてどれくらい本を読むのかは知らないけれど、自分にとっては間違いなくこれまでで最高のペースである。きっと僕は何かを求めているのだろう。まあ、本を読むのに理由なんていらない気もするけど。

 しかし江国香織なんて、高校生のときに読んだ以来である。どうして本屋で手に取ったのか自分でも不思議だ。彼女の作品はいい意味でも悪い意味でも、害がない。あきれるほど平和だ。でももちろん、時としてそういうものを求めたくなるときもある。ちょっとした1つ1つのことが、温かい、抱きしめたくなるような愛で包まれているのだ。それは寂しくて、悲しくて、切ないことと紙一重で。

 「すぎたことはみんな箱のなかに入ってしまうから、絶対になくす心配がないの。すてきでしょう?」(本文中より)


paradebook.jpgパレード/吉田修一

 今さっき読み終えた。震えが止まらない。怖くて仕方ない。この恐怖の裏に潜んでいる美を直視することができない。


 近所にあったお気に入りの喫茶店がなくなってしまった。突然解体作業が始まり、現在はまた新しい建物が建てられようとしている。もしかしたらこの喫茶店の改築なのかもしれないし、全然別の店になるのかもしれない。
 僕がこの喫茶店を知ったのは、たしか1年ぐらい前だったと思う。なんとなく入ってみたら結構居心地が良かったので、その後もたびたび利用してきた。最初は数ある喫茶店のうちの1つと同じように思っていたが、いつの間にか僕にとってちょっとした特別な場所になっていた。
 ただ、この喫茶店には少々問題点があった。僕の知る限り従業員は3人で、そして皆それぞれ、違う味のコーヒーを出すのである。一人はおそらくオーナー、これはもうとびっきり美味しい。何度も足を運んでいるので顔見知りとなり、彼とはたまに世間話をしたりもする。すごく落ち着ける時間だ。2人目の人は、なんとなく懐かしいコーヒーを出す。絶品というわけではないけど、「これだよな」と思えるような味。そして3人目の人は、その店のコーヒーであることに変わりはないのだけど、僕はあまり好きじゃない。コーヒーとしては多分文句のないものだろう。しかし僕にはそれが受け入れられない。そのことを残念に思うし、寂しい気持ちになる。ただ、いつこの人がいるのかを把握しきれていないので、僕に残された道としては、何となく理不尽だけど我慢し続けるしかない。このコーヒーを飲みたくないからといって、たまに飲める素晴らしいコーヒーの味をあきらめることもできないのである。
 今は、どのコーヒーも飲めなくて、何となくホッとしている状態だ。勝手な期待を抱くこともないし、期待を裏切られることもない。平穏である。ただ、もし再びこの店が再開されることになれば、僕は必ず出向いてしまうのは間違いない。その結果、どれだけ失望させられることになったとしても。


ドビュッシー:交響詩「海」他
カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ドビュッシーと言うと「ベルガマスク組曲」、「二つのアラベスク」などのピアノ曲が有名だけど、管弦楽曲についても忘れてはならない(もちろん室内楽曲、歌曲、オペラなどについてもだが)。あらためてドビュッシーという、一人の作曲家の偉大さを感じることができる。
 何より、カラヤンの圧倒的な力が印象的。ベルリン・フィルも、見事、精細にその要求に応えている。彼がどういう思いでこの曲を振ったのかは僕には知るよしもないことだけれど、描き出しているのは、我々が常日頃目にしている地球上に存在する海ではなく、生命が誕生した、生命が還っていく海のような気がする。しかもそれは個人の意識を遙かに超えた、この世の生命全てが関わっている海だ。
 ただ個人的な感想を言わせてもらえば、それは僕としてはやや“大きすぎる”。ドビュッシーの見せたかったスケールよりも、大きすぎるのではないかと感じる。もちろん、これほどまでに大きな海を見せられるのはカラヤンだからこそできることなのだろうし、僕らは手放しでこの名演奏・名指揮を賞賛するしかないのだけれど。




この広大な宇宙で
星の数ほどいる人の中で
君と出会えたことは
一つの偶然だろうし
運命だろうし
そして奇跡だろう


 初面接。ふるいにかけられる面接なんて、高校受験以来である。正直なところ、僕は周りに流されてこの企業にエントリーしてしまった。研究室の同期が皆受けるし、一足先に選考プロセスを経験してみたかったという考えだけ。はっきり言って行きたくない。将来のビジョンがまったく見えないどころか、志望動機すらもない。軽率にエントリーしてしまったことを後悔しているし、反省している。
 とは言ったものの、企業側だってそれなりの意識をもって面接を行ってくるのだから、こっちだって失礼な態度でのぞむわけにはいかない。昨日何とか志望動機をひねり出し、友人に自分の長所・短所を挙げてもらって(こういうことをきちんと話してもらえる友人がいるというのは幸せだと思う)、自己PRなんかを考えたりした。とりあえず自分に嘘偽りなく、できる限り正直に。
 そして面接。待ち時間はさすがに少し緊張したけど、だんだん心地よい緊張感に変わっていった。不思議とワクワクしていた。だがしかし、まず面接官が大学のドクター・助手みたいなペアで一気に気が抜けてしまった。彼らの問いかけに、100%の答えを返せたことはただの一度もなかった気がする。一応前もって言おうと思っていたことは全部言えたけど、なんか釈然としない。相手側の反応も薄く、肯定も否定もなくて、暗に「君は他の業界の方が向いてるんじゃないかな」みたいなことを言われているようだった。出来はどうだった?と聞かれたら、「微妙」と答えるしかない。別に落とされようが、次の選考に進めようが、どうでもいい。微妙。
 今回の面接で教訓があるとするなら、「きちんとした志望動機がないのに受けるな」ということ。エネルギーの無駄遣いにしかならない。たしかに1度面接を経験できたのはよかったかもしれないけど、ここから得られたものはあまりにも少ない気がする。残ったのはとてつもない疲労感だけだ…。大反省。


 ハードディスクをあさってたら、2年前撮った写真が出てきたのでちょっと紹介。安物のカメラにウォータープルーフのカバーつけて撮ったものなので、たいした写真ではないけれど(しかも天気はあいにくの曇り)。

miyako4.jpg
イムギャー・マリンガーデン
宮古島のダイビング講習はほとんどがここで行われる。以下の2枚は、この海で撮った写真(PADIのAdvanced Open Water Diverというライセンス講習で、任意に選べる3つのコースのうちの1つとしてUnder Water Photographyを選択した)。

miyako1.jpg
何の魚かは知らない…。しかも、なんか紙に描いたような写真だなあ。インストラクターの人が色々名前を教えてくれたんだけど、全然覚えてません。ごめんなさい。

miyako2.jpg
クマノミ。


高音質音声圧縮技術ATRAC3plus形式に加え、MP3形式での再生にも対応したネットワークウォークマン2機種 発売

 ソニーマーケティング株式会社は、高音質音声圧縮技術ATRAC3plus形式に加え、MP3形式のまま音楽データの転送・再生が可能なネットワークウォークマン『NW-HD3』〔20GBハードディスク内蔵〕とネットワークウォークマン『NW-E99』〔1GBフラッシュメモリー内蔵〕を発売します。

 電車の一車両に必ず一人ぐらいiPodで音楽を聴いている人がいるんじゃないかと思うほど現在iPodが普及しているけど、どうもiPodは好きになれなかった。何より連続再生時間が絶対的に短い。せめて1週間ぐらい(1日通学往復4時間×5日で20時間程度)は充電なしでもってくれないと困る。あとiTunes経由でないと転送できないというのも気にくわないし、無駄に長いイヤフォンケーブル、ユーザをなめてるとしかいいようのない別売りの液晶表示なしのリモコン。たしかにこの市場を作り上げたappleは見事だと思うけど、それでも心のどこかで、コンピュータメーカーがオーディオなんて、という思いがあった。
 ということで、僕はSONYがきちんとしたポータブルHDDプレーヤーを出してくれることを誰よりも願ってた。しかし、これまでの製品は自社規格のATRAC3のみの対応。それはいかんぜよ、と誰もが思っただろう。その後セールス的にもまずかったのか、ついにMP3への対応を表明。そして対応製品が出た。僕が欲しかったのはこれだよ、SONYさん。ただiPodに比べて1万円高いんだから、できれば液晶リモコン付属に…。僕は幸いにもCDウォークマンで使ってたやつをそのまま流用できるみたいだけど。
W.Walkman
NW-HD3

 ちなみに旧製品も有償でMP3対応のアップグレードをやってるみたい(アップグレードのご案内)。値崩れした旧モデルを買って(してるのなら)、2000円でアップグレードするというのもいいかもしれない。
 見落とされがちになるだろうけど、シリコンオーディオプレーヤーの方(NW-E99)も結構すごいと思う。1GBで、連続再生70時間、それで実売価格が3万円。
 どっちか買おう(お金があったら)。

Profile

take(take@blue-jam.com)
1981年12月23日生まれ
横浜市の端に在住
音楽と夏と海をこよなく愛してます。
強く、やさしく、フェアに

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