2007年10月 archive


 嘘か本当か知らないけど、欧米の企業だと、いわゆるホワイトカラーの人間は、「残業をする=効率が悪い」ということで評価がマイナスになるらしい。

 ここ1週間ぐらい、ほぼ残業0の日々を過ごしております。なぜならずっと微熱が下がらないから。もう自分の平熱が37.0℃になってしまったのではないかと思うほど、普段から37℃台が当たり前となってしまい、そんなんで休むわけにもいかないから出社するのだけど、途中熱が上がってくるのか、それなりに体が辛くなってくる。就業時間近くになると、まあ確かに体はつらいけど、このままあと少し仕事できるよなあ、でもそれで明日会社行けなくなるほど熱が出てしまったら嫌だから帰ろう、ってなことで帰るのです。

 この世に残業をしない人がいるのかどうか僕にはわからないけど(アルバイトや派遣社員の人などを除いて)、今までの僕は、当然のように残業をしてた。昼休みから就業時間で一区切り、さあこっからが勝負と、残業時間に突入するわけです。前にも書いたけど、研究職の仕事に終わりなんてないに等しいから、よほど切羽詰まっている状態でない限り、その日にどれだけ仕事をするかは自分次第。必然的に就労時間は増加の一路をたどる。正直残業をしているという意識もあまりなくて、用事で18時に帰らなければいけない日は、申し訳ない気持ちすらあった。

 ただしこれだと当然毎日が仕事だけになり、平日は職場と家を往復するだけで、下手したら土日までも浸食される。仕事をしている時はそれなりに楽しいのだけど、ふと自分は一体何をしているのだろうかと思ったりもする。仕事をして色々なことを吸収してくことは、まだ入社して2年目の自分にとって何よりも大事だろうと思う。給料の数分の1を残業代が占めているのも残念ながら事実。でも、それだけでいいのかと。1週間が週末だけになっていいのかと。そんなことをたまに考えたりもしていた。

 残業をすればするほど、じゃあ仕事が進展するのかと言うと、実はそうでもない。とにかく時間をかけて数量勝負、みたいな人は別だろうけど、僕の場合、大事なのはいかに自分の取り組みたいことをやれるかであり、そしていかに余計な仕事を仕事を振られないかということ。そしてたいていの場合、その振られてくる量は、会社にいる時間に比例する。ということは、残業しなければ、仕事量も増えないので、本当に自分のやらなければいけない仕事の進展具合は、残業しまくっていた時とたいして変わらない。自分のやらなければいけない仕事だけやってればいいのかという問題はあるのだけど。

 あとは、普段なら残業をしていた時間を、どう使うかです。


 テレビのコマーシャルで、はっぴいえんどの<風をあつめて>が流れている。おいおい、1971年の『風街ろまん』じゃないか。時代を全て説明するような、奇跡のような音楽。それは30年以上経とうが、今なお、堂々と誇らしく流れ続ける。素敵な音楽とはこういう曲のことを言うのだろう。

 つくづくひどい時代に生まれてきたなと思う。何を信じたら良いのかわからないぐらい情報が溢れる社会の中で踊らされ、そして行く先に光はほとんどない。合い言葉のように、少子高齢化。GDPは減り、中学生でもわかるような破綻しきっている国のシステムはついに崩壊し、それら全ての責任が僕らになすりつけられる。高度経済成長で勢いのある日本というものを感じることもなければ、現実を知りすぎてしまった僕らは、偽りのバブルに引っかかることすらできない。これから僕たちは、一体いくら国のために働いて税を納めなければいけないのか。地球温暖化?大地震?水不足に食料不足?冗談じゃない、僕らの将来を一体何だと思ってるんだ。

 音楽だってそうだ。70年代のような新鮮さに満ちた音楽もないし、80年代のような煌めきもない。全てはもう完成されてしまった。あとはそれを、どうにかこうにかいじくり回すだけ。そしてほとんどの場合、オリジナルを上回る音楽なんかはこの世に存在しない。それは歴史が証明している。懐古主義にはなりたくない。でもなるしかない。だって、昔はたしかに、本物の音楽がそこにあったのだから。

 それでも、僕らは生きなければいけない。この世に生を受けたのだから、それを全うする義務がある。1つまた1つ歳を取り、不毛な生産と消費を繰り返しながら、どうにかこうにか生き続けるしかない。これから先、どれだけの希望と絶望が待ち受けているのかを知ることもなく。きっと初めからそういう風に決まっていた。何もかも最初から。

 僕らに全く救いがないのかと言えば、そうでもない。僕は、光は「ほとんど」ないと書いた。だから全くのゼロというわけではなくて、多分間違いなく、かすかには存在している。そう信じている。それは厚い雲間から差し込む太陽の光のように。

 少なくとも90年以降に生まれた人たちよりはマシだろうと思いたい。90年代には、ほんの僅かかもしれないけど、聴くべき音楽があった。もしそれで不十分だとしても、当然不十分だけど、それより前に素晴らしい音楽があったことを知っている。もしあと10年遅く生まれていたら、それを知ることはなかっただろう。いつまでもレプリカを本物だと信じ込んでいたはずだ。振り返ることのできる道が、僕らにはある。

 光はどこにあるのだろう。待ってても明るくならないのなら、探しに行こうか。焦らなくていい。どうせろくでもない時代だ。少しぐらい見つけるのが遅くなったって、どうってことない。


071027.jpg ちょっと遅めの台風。こんな日に限って、車で出かける用事。というわけで、暴風雨の中、高速道路を走るという殺人行為をしてきました。

 これがもうめちゃめちゃ怖い。ワイパーは最高速でビュンビュン言ってるし、ウォータースクリーンで前の車が見えなくなるし、こんな日でもライトを付けて走らない車がいて車線変更は命がけだしと、生きた心地がしなかった。無事に目的地に着き、そして家に帰れたときは、本当に嬉しかった。こういう日は、多少大変かもしれないけど、電車なりバスなりタクシーなりで、他人任せでいたい。

 そして改めてF1ドライバー達の偉大さを認識。僕が高速で出した速度、80km前後というのは、ピットロードを走るときの制限速度にしか過ぎなく、次元が違いすぎて話にもならないのは十分承知しているのだけど、例えば今年の日本GPはかなり雨が激しかったが、ストレートでは前に車が居ようと居まいと300km近く出す。しかも、当然ウォータースクリーンで前は何も見えない。あの速度でコースアウトすることなく走り続けているということだけで奇跡的なことのように思えるのに、さらにバトルを繰り広げるという、とんでもない行為に及ぶ。よっぽどの度胸と、揺るぐことのない自信と、そして情熱がなければ、決してできないだろう。

 だんだん話が関係ない方向に向かっているけど、さらに続けると、来年のF1はなんとシンガポールでナイトレースをやることが決定している。もうFIAもFOMも狂っているとしか言いようがない。何しろF1マシンにフロントライトはないし、そもそもライトがあったって、それが視認性の助けになるとも思えない。ということはサーキット全体を、ライトなしでも走れるほど明るくするのだろうけど、全長数kmのコース全てをそんなに明るくすることは可能なのだろうかと気になってしまう。当然ピットも同様だし、さらに、コース外のあらゆる場所も明るさを確保をする必要がある。しかもサーキットは公道!何が起こるかわかったもんじゃない。昔、アメリカGPでミシュランタイヤを装着したマシンに乗るドライバー達が、サーキットを走行する上で安全性に問題があるとして全員ボイコットしたけれど、このナイトレースも、もしほんの少しでも危険性を感じたなら皆でボイコットして欲しい。この数年ドライバーの安全性がかなり配慮されるようになって、大きなクラッシュでも一大事にならないことが多い。これは歓迎されれるべきこだと思う。

 ただ大雨の中レースをやれるんだから、夜でも可能なのかもしれない。また庶民レベルの比較をしてしまうと、どちらかというと、夜に高速を走るより、雨の日に高速を走る方が、少なくとも僕は嫌だと思う。もし大雨のナイトレースにでもなったら・・・その時は潔く中止してもらいたい。


 誰がこんな結末を予想しただろうか。そして誰が、こんなに素晴らしいレースになることを期待しただろうか。

 ルーキーながら抜群の安定感で年間タイトル獲得まであと一歩と迫った、マクラーレンのルイス・ハミルトン。ここまで107ポイント獲得。それに4ポイント差で次ぐのが、2年連続王者、同じくマクラーレンのフェルナンド・アロンソ。そしてやや離されての100ポイント、フェラーリのキミ・ライコネン。誰もがハミルトンの史上初となる、ルーキー王者誕生を予測していただろう。しかしながら前節中国GPで、今年初となるまさかのリタイア。ここで3人のタイトル獲得条件を、ハミルトンのタイトル獲得を基準に振り返ってみたい。

(ブラジルGPハミルトンの成績)
優勝:タイトル獲得
2位:タイトル獲得
3位:アロンソが優勝しなければタイトル獲得
4位:アロンソが優勝しなければタイトル獲得
5位:アロンソが優勝しなければタイトル獲得
6位:アロンソが2位以上に入らず、ライコネンが優勝しなければタイトル獲得
7位:アロンソが2位以上に入らず、ライコネンが優勝しなければタイトル獲得
8位:アロンソが3位以上に入らず、ライコネンが2位以上でなければタイトル獲得
ノーポイント:アロンソが4位以上に入らず、ライコネンが2位以上でなければタイトル獲得

 とまあ、簡単に言うと、ハミルトンがタイトルを獲得する可能性は非常に高かった。彼は今年それだけの走りをしたし、事実、最終戦の予選も2位。そのまま順当にフィニッシュすればタイトルは間違いなかった。だがしかし・・・

 スタートでライコネンに抜かれたハミルトンは、アロンソとのオーバーテイク勝負で膨らみ、8位まで順位を落としてしまう。そこから必死の挽回を見せるも、神様のいたずらとしか言いようのない8周目、ギアが入らず、再度大きくポジションを落としてしまう。この時点で勝負はあったと言ってもいいだろう。その後果敢なオーバーテイクショーを見せるも、ウィリアムズとBMWが力をつけたのが痛かった。

 トップ争いはフェラーリの2台。ブラジルGPは昔からブラジル人ドライバーが勝てないことで有名で、バリチェロがもう少しのところで悔しい想いをしていたのを覚えているけど、今年はそのブラジル人ドライバーのフェリペ・マッサがトップ。誰しもが、特に地元GPで良い結果を残したいと思うだろう。そのままいけばマッサが優勝だが、しかし、フェラーリとしてはライコネンを前に行かせたい。というのも、ハミルトンが脱落したため、アロンソが3位でフィニッシュした場合、ライコネンは優勝しなければタイトルを獲得できない。ワールドチャンピオンと2位とでは、雲泥の差。昔のフェラーリであれば堂々とチームーオーダーを使ってミハエルを前に行かせたのだけど、今はレギュレーションで禁止されているので、最後まで(少なくとも見かけ上は)フェアな戦いだった。マッサが第2スティントでミスをし、ライコネンとの一気に差がつまる。そしてマッサがピットインしている間にライコネンがここぞとばかりにペースを上げ、ライコネンがピットアウトした時には、見事トップで復帰。もしマッサがトップのまま給油を終え最終スティントを迎えたとき、フェラーリが一体どう出るのかも気になったのだけど、そんなことを気にするまでもなく、ライコネンは、堂々と自力でトップを奪った。

 あとはハミルトンが5位にならなければ、ライコネンの優勝。今回マクラーレンが思いの外ペースに苦しんだのと、そして何より、4位でフィニッシュしたニコ・ロスベルグと5位のロバート・クビサという、新世代の勢力が、ライコネンにタイトルをもたらした。僕の記憶が正しければ、残り8周で6位のハイドフェルドまで16秒差。これは勝負あったなと、僕はここで初めてライコネンの優勝を確信した。ただし、その前のマシンがリタイアすれば、ライコネンの優勝に関わらずハミルトンがチャンピオンになるから、ファイナルラップまで一瞬たりとも気を抜けなかった。

 実はレース後、BMWとウィリアムズのマシンに違反があったとして審議が行われた。レギュレーションでは燃料の温度と外気温の差は10℃以上あってはいけないが、両チームはそれをオーバーしたとのこと。ただしスチュワードからこの件に関するペナルティを科されることはなく、順位に変動なしというのが今のところの状況。マクラーレンがこれに抗議し、結果が覆るようなことがあると、ハミルトンが一気に4位となり逆転タイトル獲得となる。でも、あくまでも僕の予想だけど、これはない気がする。というのも、今年マクラーレンはスパイ疑惑(フェラーリのマシンデータを不正に入手したらしい)によって、コンストラクターズポイント剥奪という処分をされている。だからFIAには強く出られないところがあるし、もし抗議をした場合、コンストラクターズだけではなくてドライバーズポイントも剥奪という結果にもなり得ない。多分抗議はしないと思うのだけど、どうかな。

 あと苦言を呈したいのが、山本左近と中島一貴。山本左近は間違いなくF1で走るだけの力はない。中島は2世ドライバーとして騒がれているが、同じく2世ドライバーのニコ・ロスベルグの足下にも及ばない。ロスベルグのデビューGPは凄かった。中島の今回のデビューも凄かったけど、別の意味で凄かった。まずコースアウトして復帰したフィジケラを避けれずにクラッシュ。そして初めてのピットインではピットクルーをひきあわや大惨事。最後もクルサードがコーナーで突っ込んできたところを、マシン1台分のスペースを開けることをせず、これまたクラッシュ。まあ佐藤琢磨もかつてアグレッシブすぎる走りが非難されていたから、こればっかりは経験を積むしかないのかな。でもF1ではそんなに多くのチャンスはもらえない。そして数少ないチャンスで結果を確実に残すドライバーのみが生き残っていける。中島は今回ウィリアムズで走るという、素晴らしいチャンスをもらえた。日本人ドライバーがこんなにいいマシンに乗れることは僕の知る限り初めてで、できればモノにしてもらいたかった。さて、もう一度チャンスをもらえるのかな。

 去年ミハエル・シューマッハが引退し、世代交代という言葉が至る所から聞こえてきた。たしかに2007年のF1はそれを象徴するような内容だったと思う。チャンピオンのライコネンに、実はまだ26歳のマッサにアロンソ。あと一歩だったスーパールーキーのルイス・ハミルトン。将来がとんでもなく楽しみな、22歳のニコ・ロスベルグ、23歳のロバート・クビサ、そして二十歳のセバスチャーノ・ヴェッテル。中島もまだ21だということを付け加えておきたい。2008年が一体どうなるのか、今から楽しみ。

 こんなにも面白いスポーツが、この世界にあるだなんて!!


rocknroll.jpgロックンロール/大崎善生

to be a rock, and not to roll.

 大崎善生らしからぬ作品。が、これはこれで結構面白かった。小説としての深さを追求するならば、この人には『タペストリーホワイト』がある(しつこいようだけれど彼の最高傑作だと自信を持って言える)。でも、本を読むたびにいちいち悲しみに浸る必要もないし、ドーンと胸に響くような重さもいらない。普通の小説です。と言うと普通ってなんだよっていう話になるのだけど。

 作家がパリに行って恋に落ちるお話。ザッツオール。単純すぎて、何のひねりもなくて、救いも乞いもなくて、最初から最後まで気分良く読める作品でした。みんな誰しもポケットに小石を持っていて、流れるままにコロコロと転がっていく。そこにとどまりたい、岩になりたいと願う。でも転がっていく。それが人生であり、ロックンロール。

 舞台となるパリ。パリは恋をする街らしいし、そこにパリの夕暮れがあるのだから、とか、パリが夏に向かっているのだから、とか、パリは何かにつけて理由となり得る街らしい。僕も一度でいいからパリに行って、どうでもいいような台詞を口にしてみたいなあ。「別にいいじゃない、だってパリだし」とかね。


waitingforspring.jpgWaiting for Spring/David Benoit

 デビッド・ベノワ1989年の作品。ちょっと季節的に早いかな・・・。邦題には「ビル・エヴァンスに捧ぐ」なんて付けられてしまっているけど、フュージョン方面のピアニストと知られている彼が、正面からジャズと向き合った春を待つアルバム。すごく温かくて、キラキラと輝く、素敵な作品です。

 この作品の中に、ビル・エヴァンスの作品は2曲、<Turn Out The Stars>と<Funkallero>。残念ながら僕はこの2曲のオリジナルを聴いたことがないので、比較してどうかということは言えないけど、確かに、全体を通して、ビル・エヴァンスのプレイスタイルを感じさせられる部分も少なからずある。でもそれぐらいかな。やっぱりデビッド・ベノワはデビッド・ベノワで、ビル・エヴァンスの影響を受けて育ったらしいけれど、第二のビル・エヴァンスを目指しているわけじゃない。彼には彼にしかできない音楽があるし、それをずっとやり続けてきている。

 リアルタイムでビル・エヴァンスを知らない僕らにとって、デビッド・ベノワがいてくれて良かったなと思う。だって自分と同時代のミュージシャンにも、そういう素晴らしいミュージシャンの1人や2人いて欲しいじゃないですか。ビル・エヴァンスの音楽には小さな光が見えた。そしてこの人の音楽にも、光の種類はことなるけれど、温かい光が見える。そういうミュージシャンって数少ないと思う。

 繰り返すけれど、すごく素敵な作品です。本人がジャケットに残しているコメントを借りれば、ホットチョコレートを飲みながら、やさしく降り積もる雪を眺めながら、春を待てばいい。この温かい音楽を聴きながら。


mharuki07.jpg走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹

 彼の著書だったか、それとも何かのインタビューだったかは忘れてしまったけれど、村上春樹は、いつしか「走る」ことについて書いてみたいと言ってた。そしてそれが実現したのが、この本。曰く、この作品は"メモワール"とのこと。メモワールって一体なんぞやという話だけど、回想録、回顧録、手記、という意味らしい。まあ本人が生きているので自伝とは言いにくいかもしれないが(生きているうちに自伝を出す人もいますが…)、『羊』を書いたときからずっと走り続けてきた村上春樹にとって、走るという行為について書くことは、"作家村上春樹"の半自伝を書いているようなものではないかと思う。自らをランナーと呼ぶ彼にとって、走るという行為は生きるという行為そのもののはずだから。

 村上春樹は僕の大好きな作家の一人であるから、本作も特に何も考えずに手に取ったわけだけれど、やっぱりこの人の文章はいいなと思う。当初『シドニー!』に収録されていたマラソンランナーの話みたいなものだろうと考えていたら、ひねくれたようなタイトルの通り、実は走る行為そのものについてはさほど書かれていない。NYマラソンやトライアスロンへ向けた準備などが書かれているものの、ページをめくると(次の章にいくと)、既にレースが終わっており、後からそれを"メモワール"という言葉の通り"回想"していくことになる。そして走ることとリンクさせて、自身の生活や作家活動についても、ザッとだけど書かれている。今さらだけれど、彼の作品に登場する「僕」は、やはり村上春樹そのものなのだと改めて感じた。

 村上春樹も、年齢を重ねて変わったのかなと思う。かつてはエッセイでも、ヤクルトスワローズが好きだとか、そば屋ではビールを飲むだとか、そういうどうでもいいような話が(と書くと偉そうで申し訳ないけど)ほとんどだった。今回、50代後半だからそろそろ人生を振り返りたかったのか、それとも走ることについては真っ正面から書きたかったのかはわからないけど、彼のかなりプライベートな部分に足を踏み入れた内容になっているような気がする。やろうと思えばいくらでも違った表現でできたはずなのに、こういう形をとったのは、やはり彼の中で何かが昔と変わったのかなと思う。途中本人の、ランナー村上春樹の写真が数点載っているのも、今までほとんど露出がなかったことを考えれば驚くべきことだろう。

 これを読んで僕も走ろうと思えるほど単純な人間でもないので、まあそういうことはないのだけど、誰かに人生を語られたとき、僕も少しは考えなくてはいけないのかなと少しだけ感じる。そんなにないだろうなと思う。誰かが、それが本にしろ直接にしろ、自分の人生について語ってくれる機会って。


swansong.jpgスワンソング/大崎善生

 人が死ぬとき、西の果てだか東の果てだか、どこだか忘れてしまったけれど、とにかくどこか遠くの湖で、白鳥が鳴き声をあげる。そういう話・・・と言っていいものかどうなのか。うーむ・・・。

 『アジアンタムブルー』が『パイロットフィッシュ』の焼き直しだったのと同じように(逆かもしれない)、この『スワンソング』も何となく『タペストリーホワイト』の焼き直しのような感じだった。もちろん設定も話の内容も全然違うのだけど、根本としている前提みたいなのが何となく似ており、正直そんなに面白くなかった。

 この人なりに純愛のようなものを書こうとすると、まあこうなってしまうのだろうというお話。背景は携帯電話もEメールもなかった時代。人と人の距離って、今よりも絶対に遠かったと思う。もちろんそれは悪いことだけじゃなくて、良いこともたくさんあったのだろうけど、でもやっぱり、距離が短くなった今は人をもっと身近で愛することができるような気がする。だから、かつての困難を乗り越えようとするような、距離の遠かった恋愛は美談になるのかもしれないけど、それはあまりにも単純だろう。そしてお決まりのように、この人が好む喪失。ひねりがなさすぎだと思う。前作の『タペストリーホワイト』が傑作だっただけに、かなり残念でした。

 そんなわけであまり特筆するべきところはないのだけど、強いて挙げるなら、装丁が良いと思います(中身と関係なし)。


 ご無沙汰しております。日記ではないのだけど、ちょっとこれまでのことを書きました。


・会社休みまくり

 入社して1年半、3連休もいれるとまるまる1週間会社を休みました。秋の連休を利用して海外に・・・という話だったら嬉しくも楽しくもあるのですが、実際のところその正反対。寝たきり。

 簡単に言うと、風邪がきっかけで何だかやっかいな病気にかかりました。医師には入院も勧められ、こりゃ仕事どころではない!俺一体どうなるんだ!?と完全に狼狽えた僕は、会社に入院します宣言をしてしまった。が、後日再度医師に診てもらった結果、ギリギリ入院しなくても良い程度らしく、結局入院することもなく、前言撤回、自宅でぐーたら過ごしてたというわけです。

 最初のうちは体がとにかくしんどくて、ろくに食事も喉を通らないし、不安でいっぱいだったのだけど、徐々に状態が良くなるにつれ、家で寝たきりという生活を送っていることに申し訳なさを感じ始め、しまいには何だかズル休みをしている気がして罪悪感すら感じてきた。

 とりあえず今は、完治はしてないけど、起きてこうしてブログを書けるほどには回復しております。あとは熱が引いてくれれば楽になってくるのかな。ちなみに昨日は診断を受けた後、38度弱の熱はあったものの、会社に行ってきました。その理由は次。


・しょせん雇われサラリーマン

 サラリーマンには、「有給休暇」という素晴らしい制度があります。意味はこの字のごとく、休暇をとってもお給料をもらえるということ。世間一般の1年の平均有給日数がどれくらいかはわからないけど、僕の周りでは20日前後というところでしょうか(&消化しきれなかった有給は1年間に限って持ち越せる、など)。実際にそれだけ休めるかどうかはまた別の話として。 

 というわけで、1年間のうち20日、つまり(土日入れて)1ヶ月まるまる会社に行かなくたって、その月は会社から出社したものとしてお給料が支払われるわけです。ここが時給制のアルバイトや派遣社員とは異なるところ。さらにボーナスも貰えるし、福利厚生の諸手当など、基本的な生活を送れるようある意味会社が保証してくれているところがあって、やってて良かったサラリーマン・・・という話ではなくて、話を元に戻すと、当たり前だけど、やたらめったら休めないというのがサラリーマンの現状なのだと改めて認識しました。

 入院の話を先走って上司にしてしまったとき、「仕事なんてどうでもいいから体を第一に考え、きっちり治してから会社に来い」とすごく嬉しい言葉をかけてくれた。が、これはこの人の本音ではあるのだろうけど、同時に、会社という制度がどうしてもこのありがたい言葉の邪魔をする。

 今回僕は明らかに病気で会社を休んだのだけど、これは全て有給として処理された。というのも有給が残っているうちは、病欠よりも有給で休んだ方がいいから。有給休暇というぐらいだから、前述の通り、この有給休暇の日数の範囲内であれば、会社は給料を払ってくれるし、(一応)休みまくっても問題視しない。が、病欠となると話は別。会社にもよるのだろうけど、働いてないので当然給料は減額されるし、公になることはまずないだろうが、人事にも目を付けられてしまう気がする。そういうわけで、どうしても仕方ない場合はどうしようもないが、病欠なんてできる限り使いたくない。なので少々無理をしてでも、有給を減らしたくないというのが実際のところなのです。というわけで昨日は出社しました。「会社に行きたいと思えるほどは元気になりました」とかわけのわからないことを口にして。

 今年度はまだ半分しか過ぎてないというのに、既に去年の倍以上の有給を使っております…。残り半年、計画的に使わないと。


・おまけ

 幸か不幸か、あまりにも暇だったため、村上龍の『半島を出よ』を読了しました。病気のときにあまり読みたい話ではなかったと思います。


 某通信会社の基地局が近隣のマンションに設置されるとのことで、みんなで反対しましょうというようなことが書かれたチラシがリビングに置いてあった。反対する理由は、電磁波は斜め下に飛ぶという性質があるため、地形を考えると近隣地区住民への影響が出る・・・とかなんとか。

 つっこみどころ満載のこのチラシ、ポイントは3つ。そもそも電磁波が飛ぶことは問題なのかどうか。2つ目、電磁波が斜め下に飛ぶってどういう意味なのかということ。3つ目、携帯電話の基地局を設置することの意味について。以上の観点から、無線通信に携わる人間の1人として、見解を述べたいと思います。なんとなくそういう気分なのです。


 トヨタさん、猛省して下さい。マスコミは、莫大な広告費をくれる大のお得意様であるトヨタ批判なんて間違ってもしないと思うので、このF1史上に残る愚行を、ほんの微力ではあるけれど、後生に残すため、ここに記した次第です。

 レースそのものは、ドライバーの安全を考えたらレースを開催すべきじゃないだろう・・・と少し思ったこともあったけど、終わってみれば色んなことがあって見どころの多い、最後まで飽きさせない展開でした(TV観戦)。

 が、それ以外が全てダメ。フジのぐだぐだ感満載の生放送がダメなら、HEROの宣伝のためにしゃしゃり出てきたキムタクがあらゆる面でダメ。ろくなコメントできないんだから、アナウンサーもわざわざ振ることないだろと何度テレビの前で思ったことか。キャーキャー騒ぐだけの山田優よりひどかった。

 そして何より、鈴鹿から日本GPをぶんどっておきながら、フタを開けてみれば日本GPを史上最悪のものとした富士スピードウェイ(つまりはトヨタ)。やることなすこと全てが裏目に出て(当然の帰結ではあったが)、このまずさはとてもじゃないけど書ききれないのでまとめWikiからどうぞ。これがイギリスGPだったら、本国のF1をなめられたら困るとバーニー・エクレストンが大激怒したことだろう(サーキット周辺の渋滞が解消されない限りシルバーストーンの開催はない、とか言ってた気がする)。

 故本田宗一郎は、日本のモータースポーツ発展のために鈴鹿サーキットを建設した。今回、トヨタがホンダから日本GPを奪ったのは間違いなく自社のブランドイメージ向上、つまりは金儲けのため。だから根本的に違うんだよね。もうあまりにもひどすぎて言葉を失う。言いたいのは、さっさと日本GPを鈴鹿に返して下さいということ。2009年から隔年ということで鈴鹿と交代制になるけど、ずっと鈴鹿でいいよ・・・。

 僕は絶対にトヨタ車を購入することはないでしょう。どれだけ財務的に健全で、企業として優秀な経営をしたとしても、株主になることもないでしょう。1人のF1ファンとして、トヨタだけは絶対に許せない。


 (たぶん)今年度一発目。去年は職場の暖房が壊れていて(電機メーカーなのに)、コート着てマフラー巻いてそれでも寒い寒いと震えながら仕事をしていたため、風邪を引いた回数が人生最多を記録してしまいました。しかし今思い返してもこれはふざけた話で、じゃあエアコン効かないならハロゲンヒーターでも持っていくかと本気で考えたのだけど、安全上の問題だか何だかでNG。そういうことを判断する人はぬくぬくと日々過ごしていたりするわけで、じゃあ僕とデスクを交換して下さいよ、コート着てマフラー巻いて机に向かうなんて人生初ですよと(小学校にだって石油ストーブがあった)、1年目ながらにして会社にかなりの不満を持っていた過去があります。で、今はエアコンが完備されている状況で、たしかにこれで冬の寒さからは解放されそうな気はするけど、しかし、今度はクーラー効き過ぎで寒いという問題が発生。暑い・寒いの感じ方なんて人それぞれだから僕が正しいわけではないかもしれないけど、今日も設定温度26℃で冷房つけることないじゃないですか。

 この数日、一体秋はどこに行った?と思えるほど冷え込んでしまい、本当にこのまま冬になってしまったら多分僕は家から出なくなると思うのだけど、とにかくいきなり寒くなって参っております。日中の最高気温は20℃ないんじゃないだろうか。でも職場は冷房がついているわけで、設定温度が外気温よりが高い26℃の冷房。エアコンも機転を利かせて、外が寒いのだから暖房にしてあげようじゃないかと、部屋を暖めてくれればいいのに、頑なに冷房。そして僕のデスクはちょうど風出される風の通り道。ってなわけで、いきなりの冷え込みとどこかの暑がりが冷房をつけてくれたおかげで、見事風邪を引いてしまったようです。午後は体が辛かった。

 とりあえずやるべきことを片づけて、今日は早く帰宅。無理すると逆に長引くから、場合によっては休んでしまった方がいいこともあるのだけど、会議やら何やらで休むに休めない状況にあるのが辛い。有給休暇の日数があろうがなかろうが、休めるか休めないかは全然別の話なのですね。


tapestry.jpgTapestry/Carole King

 1971年に発表されたキャロル・キングのセカンドにして最大のヒットアルバム。15周連続1位獲得、その後も300週チャートインし続けたという、名実ともに大名盤。一家に一枚の作品です。間違いなく20世紀最高のアルバムの中の1つ。日本語だと『つづれおり』という、タペストリーを訳しただけなのだろうけど、結果的にすごく素敵なタイトルがつけられてます。もうじき来日するとのことで、ベストアルバムや紙ジャケが出たりして音楽シーンでは少しだけ騒がれているのかな。

 素朴で力強い歌声。やさしさではない絶対的な温かみが根底にあり、いつだって僕はそれに救われ続けてきた。寂しいとき、やりきれないとき、何となく空白なとき、僕の隣には音楽があるんだってことを教えてくれた。

 アルバム通して素晴らしい流れになっているけど、一番好きなのはやっぱり<Will you love me tomorrow?>。もっと早くこの音楽に出会えていたらなと思う。

Profile

take(take@blue-jam.com)
1981年12月23日生まれ
横浜市の端に在住
音楽と夏と海をこよなく愛してます。
強く、やさしく、フェアに

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