2010年2月 archive


 約1年前にお祝いで横浜ロイヤルパークホテル(ランドマークタワーに入ってます)のディナー券を頂き、有効期限が迫ってきたので、鉄板焼き“よこはま”に行ってきました。ちなみに、他にもフランス料理、中華、懐石と、68Fのレストランを選ぶことができたのだけど、僕の一存で地下1Fの鉄板焼きに(もらったのは妻の友人からなのに)。

 焼き物としては、ほたて、黒毛和牛フィレ&サーロイン、野菜にガーリックライス等を頂きました。サラダはフレンチドレッシングなのに、最後味噌汁が出てくるという一貫性のなさは気になったけれど、それなりに美味しかったです。ただ、正直に言えば、3年半ぐらい前に神戸で食べた方が美味しかったです(ご馳走様でした)。ホテル併設レストランなので、こんなもんですかね。どうでもいいけど、「お肉の焼き方はいかがしましょうか」という質問に、隣の人が「おいしく焼いてください」と言ってたのは面白かった。

 ともあれ、久々にゆったりとした時間を過ごせてよかったです。


 半年ほどのプロジェクトがついに今週完了した。面白かったと言われれば面白かったし、でもそれだけじゃない感情も山ほどあった。終わってしまえばあっという間だった気もするが、どう考えても長かったし、辛かった。

 何よりも辛かったのは、プロジェクト半ばでの異動。結局仕事を一緒に持っていって、慌しく行き来したけれど、それまでと同じように仕事を進めることはできない。そんな状況からか、色々と葛藤もあり、時に感情的になって上司に思いっきりぶつかることもあった。現実と信念の狭間で、自分自身の進むべき道を、常に確認しながら歩いていった日々。

 それでも入社4年目、気づいたらだけど、だいぶ自分自身のポジションを確立できてきたことも確か。異動先でも「えっ、こっちに来ちゃって誰がやるの?」と、自分のことを認知してくれていたことが、何よりも嬉しかった。僕にしかできなかったというほどの驕りはないけれど、間違いなく、自分が献身的にやることが最も効率的に最もパフォーマンスを上げる唯一の解だった。僕はそんな期待と、義務感みたいなものを背負い、少しばかりのプライドを持って。そして、一人じゃなくて、皆で手を繋いでのゴール。色々な人に助けられ、支えられ、ここまでくることができた。

 最後、全てが一通り完了したとき、一緒になってこのプロジェクトを進めてきた先輩に「あー、終わったね」と声をかけられたとき、胸にこみ上げるものがあった。毎年色々とやってきたけれど、1年目よりも、2年目よりも、3年目の去年よりも、大きな充実感と達成感。

 終わっちゃったんだという心地よい寂しさを感じながら、しばらくはゆっくりしたいと思います。休日出勤することもないし、帰宅が午前様になることもほぼないでしょう。きっとまた4月から何かが始まるのだろうけど、今は休憩。


起動させたら液晶が割れてました。床に起きっぱなしにしておいた自分も悪いので、責める気にはなりませんが…。
どうするか思案中です。


 前の職場の上司から、大学時代の同級生の話を聞いときのこと。その人は某研究所に勤めているのだけど、休日出社なんて年に1,2回あるかどうか、平日も19時ぐらいには帰ることができ、毎日ジムに通ったり趣味に費やしているとのこと(そして給料は我々と大差ない、はず)。なんとも羨ましい職場だなと思いながら聞いていたら、その上司は、「そういう息抜きの時間も大事だけどさ、毎日そんなのってちょっと気を抜きすぎというか遊びすぎだよねぇ」と、僕に同意を求めるように言ってきた。その思いがけない言葉に僕は生返事を返したけれど、その時に感じた違和感は今も変わっていない。

 最近プロジェクトが佳境のせいもあって、(自分基準では)入社以来最も忙しい日々を送っている。いつの間にか週6日勤務がデフォルトになってしまい、残業時間も過去最多更新中。仕方ないといえば仕方ないが、さて、これが本当にあるべき姿なのかどうかは、わからない。単に人の割り当てが良くないのか、あるいは、自分が無能なだけなのか。

 たまに19時ぐらいに帰ると、何をするわけでもないけど、すごくハッピーな気持ちになる。毎日だったらそのありがたみがなくなるのかもしれないが、でも、会社を出る時間の10時間後にはまたデスクで仕事をしているっていうのも、何か違う気がする。寝るのが毎日1時過ぎて、次の日は満員電車に揺られ定時に出社。

 朝は定時開始を強要するくせに、定時に帰るために上司に一言というのはおかしいし、認められた権利である有給休暇を全て消化できないのもおかしい。残業時間に上限があるのもおかしいし、サービス残業なんていうのはもっとおかしい(というか法律違反)。初めの上司の話のように、19時まで仕事をして文句を言われるのもおかしい。こういう感覚が、社会人不適合とみなされるのも、きっとおかしい。

 何のために仕事をしているのか、そんなことを考え続ける毎日です。何かというと、せっかくのD90を外に連れ出す機会が皆無でストレスがたまりまくっているのです。多分。


 先週の金曜日、珍しく土日の連休を確保できたため、週末読む本を買って帰ろうと思ったものの、会社を出るのが21時を回ってしまい(19時には帰る予定だったのになぜ・・・)、通勤路に21時を過ぎても営業している本屋がほぼなく、結局Amazonさんで頼んで土曜の夜に届きました。24時間、とまでは言わないが、23時ぐらいまでやってる本屋が近くに欲しい今日この頃です。

 突然だけど、僕の好きな本屋トップ3。

1位:有隣堂@ルミネ横浜
 品揃えが抜群に良いというわけではないけど、店内が綺麗で整然と本が並んでおり、横浜で本屋というと大体ここ。一昨年、高校時代の友人と4年ぶりぐらいにこの本屋で偶然再会したのには、お互い爆笑した(二人とも本が好き)。

2位:有隣堂@横浜ダイヤモンド地下街
 小さいとき、よく父親に連れて行ってもらった本屋さん。当時はものすごく広い本屋だなあと思っていたものの、中学のときに改めて行ったらそうでもなかった。複数の店舗から構成されているため(文庫本や専門書、漫画が独立している)、品揃えがものすごく良いというイメージがある。ただし、ごちゃごちゃしているため、目的の本を見つけるのに一苦労。

3位:有隣堂@戸塚modi店
 最近はあまり行かなくなってしまったけれど、ここも店内のレイアウトが良いためお気に入り。村上春樹の『1Q84』を予約したら、携帯に2回も入荷の連絡をくれた。

 というわけで、有隣堂大好きなのですが、小さいときの思い出と、中学の時によく通ったからかなあ(通っていた塾がダイヤモンド地下街を抜けたところにあったため、よく2位の有隣堂に行った)。次点で藤沢のジュンク堂かなあ。ただしビックカメラの7F,8Fにあるため、行くのがちょっと面倒。これらの本屋に行くと、もれなく僕に出会えるかもしれません。

 読みたい本がこれと決まっていればAmazonで頼んでしまうし、そこまで急いで読みたい本でなければ、会社で注文する(1割引きは非常に大きい)。でもやっぱり本屋さんでパラパラ適当に本を眺めるのも楽しくて、月に2,3回は本屋に行きます。最近はなんとか大賞とか、オススメとか、ポップがうるさいけどね。


ボロネーゼが食べたくなったので、All Aboutのレシピを参考に作りました。赤ワインとトマトで、牛挽き肉&玉葱ニンジンをコトコト煮込むこと1時間。なんだかんだで完成まで2時間ぐらいかかったけれど、味は大満足。これでパスタは大体制覇です。


danceexists.jpg存在という名のダンス 上/大崎善生
存在という名のダンス 下/大崎善生

 大崎善生の作品というと、ノンフィクションあるいは恋愛ものがほとんどだったけれど、ここにきて新境地。なにせ「ロードノベル・ファンタジー」とまで言われるのだから。上下巻とボリュームがあるものの、読みやすかったので1週間ちょっとで読了。

 ハーメルンの笛吹き男、の現代訳版というのが、本作品を表すのに最も適した言葉だろう。増殖し続ける人間の憎悪が具現化され、一人の少年が立ち向かう。札幌出身の著者らしく、舞台は北海道。

 話として面白いかと言えばそれなりに面白いのだけど、1/4ぐらい読んだところで、村上春樹そのものだなあと感じた(著者は間違いなく村上春樹をリスペクトしている)。主人公が少年ということで、すぐに『海辺のカフカ』が思いついたけれど、あそこまで入り組んでもいないし、全体的に、洗練されもいない。「ファンタジー」という言葉が使われている時点で、勝負ありだろう。

 彼の場合、ノンフィクションの方が圧倒的に読み手を引き込んでくる。次の作品に期待ですかね。


 最近、仕事で深く考え込むことが多い。もちろん今までにそういうことがなかったとは言わないけれど、それはどちらかと言うと答えの出るわけがない若気の至りというか青春の通り道のようなもので(自分の人生だとか、存在理由だとか)、それとは違い仕事上のことだけに、きちっとした答えを出さなければいけなく、しかもそれが切実なインパクトを持つ。

 小さい時、偉人伝なんかを読んだ影響だったのだろうけど、1つの問題をずっと考え続けるという行為に憧れていた。考えて考え抜いた末に、答えが見つかったときの爽快感はさぞかし感動的なものだろうと想像していたし、何より、全てのことを放り出して1つのことに取り組めたらどれだけ素敵だろうと思っていた。ただし僕は残念ながらそういう子供ではなかったみたいで、とにかく答えを早く知りたがったし、その答えを手に入れるためには、割と手段を選ばなかった。もっと徹底的に己の力で解決することに拘る人間だったら、僕はおそらく今とは違う生活を送っていただろうし、まだ研究者でいられただろうとも思う。

 ただし、そういう答えがどうにか手に入るのは、教育というシステマチックな制度が整った環境に身を置いているときまで。大学3年の冬ぐらいから研究室に配属され、そこでは間違いなく、教育ではなく研究というものが行われていた。研究というのはつまるところ、どれだけ新しいこと、誰もやったことのないことをやるかであり、一度誰かがそのことを発見し公表してしまえば、同じことをやってもそれは研究でも何でもなく、単なる勉強(教育)となる。一度答えを知ってしまえば、そのことを改めて研究することに価値はない。皆正解のない世界に手を突っ込み、そしてごく一部の人だけが、その中から成果という答えらしきものをつかむことができる。

 これは研究ではないけれど、自分が初めて一つのことに頭を悩まされ続けたのは、大学4年の秋のこと。夏ぐらいに自分の研究テーマとなるヒントが隠された英語の論文を渡され、無線通信のむの字も知らなかった自分は、何がなんだかさっぱりわからなかった。もちろん研究室の助手・諸先輩にも尋ねて回ったが、彼らも正確なところは知らないし、答えらしきことを言われても、その答えが何を意味するのかが自分には理解できなかった。ただただ、同じ論文を読み続ける毎日。やがて1つのフレーズの意味することがわかり、何となく要旨がわかり、そして忘れもしないモーターショーに向かう京葉線の中、全てが1つになった。研究らしい研究を大学ですることのできなかった僕の、唯一のハイライトと言ってもいいかもしれない(ただしこれは論文が何を言ってるかを理解しただけなので、当然ながら研究ではない)。

 そして社会人となり、研究所に勤め、それなりに研究っぽいことも経験したけれど、なんだか落ち着いて考える時間も余裕もなくて、結局煮え切らないで終わってしまう。そんなことだけが繰り返され、3年半が過ぎ、僕は研究所を離れることになってしまった。

 ところが、研究所を離れた今の方が、不思議と1つのことを考えることが多い。必要は発明の母とは良く言ったもので、おそらくは、研究のための研究よりも、モノづくりの過程にこそ、あらゆる可能性がころがっている(純粋な基礎研究こそが、真の研究だろうと個人的には思っているけれど)。考えれば考えるほど、それは洗練されていき、そして形となる。

 僕がアイディアを思いつくのは、大体お風呂の中であることが多い。昔はそうでもなかったのだけど、この数ヶ月は連続してお風呂に浸かっている時に、おおこれは!という発見があった。逆に会社だとほとんど思いつかず、つい無難な答えに走ってしまうことがほとんどであり、時間の無駄だったなあと思うことも少なくない。

 なぜお風呂でアイディアを思いつけるか考えると、思い当たる理由は2つ。まず1つは、特にすることがないから。湯船に浸かっているときは非常に暇であり、そんな時ふと、あの問題は・・・と考え始めてしまう(長風呂の原因)。そして、思いっきりリラックスしているから。着ているもの全て脱ぎ捨てて、裸になって、自分ひとりになれる時間というのは、そうそうない。おそらく寝るときと同じぐらい、もしくはそれ以上、気が抜けた状態になっている。そういう環境が、ひょっとしたら1つのことをうんうん考え続けるのに適しているのかもしれない。

 ちなみに答えが見つかったとき、そこまでの爽快感はないけれど、やはり嬉しくてたまらくなり、早く誰かに伝えたい衝動に駆られる。途端に忘れてしまわないかと心配になり、お風呂から出るや否やメモをとる。一度紙に書いてしまえば、もう安心。ここから先は完全に自己満足の世界で、実際の有益度はさておき、我ながらナイスアイディアだなと悦に入る。

 もちろん、毎回お風呂に入るたびにあれこれ考えているわけではなく、気をこれでもかっていうほど抜きまくって、ぼけーっとしていることがほとんどだけど。


 出張で西東京市方面に行くことがあり、八王子経由で帰宅したら、その時中央線の車内から進行方向左手、すなわち南西の方角に富士山が見えた。地理的に考えれば当たり前なんだけど、常に北西に富士山があるのが当たり前の生活を送ってきたので、その風景というか事実がひどく新鮮だった。非日常的、というとやや大げさかもしれないけど。

 中央線は立川を過ぎたあたりからガランと風景が開ける。1日の終わりがまるで世界の終わりかのような、小さい頃、日曜日に親と一緒に出かけ、その帰りの時に車の中で感じた寂しさのような、懐かしさと寂しさで包まれた景色がたまらなく心地よかった。多分、16号線、保土ヶ谷バイパスで八王子方面に出かけることが多かったことも関係しているのだろう。そんな気持ちの中、沈み行く夕陽で影になった富士山は格別のものだった。

 僕は冬と言うかとにかく寒い季節が苦手なのだけど、星と富士山が綺麗に見えることを考えると、そう悪いことばかりではない気がする。普段の生活では、富士山は北西の方角に、果てしなく雄大に佇んでいるが、また中央線に乗って南西の富士山を眺めたい。


今さらだけど誕生日プレゼントとして、職場でもらいました。みんな何歳になってもガンダムが好き!ちなみに、自分28歳ですが…。
それにしても、誕生日にプレゼントもらうのなんて社会人になって初かもしれない。


 平日に突如1日休みができたら、あなたなら何をしますか?

 今日は会社がお休みだったのだけど、あまりのすることのなさに唖然とし、どうしようもない時間をただただやり過ごすだけだった。皆が仕事から帰ってくる時間になって初めて、ようやく1日という流れに乗れた気がした。

 自分の父親もとうとう今年で60歳、どうやら1年は延長して働くみたいだけれど、そのうち長年勤めた会社を辞め、1日家で過ごす日々が始まる。ゴルフやテニスが趣味で、土日は母を放ったらかしてその両者に明け暮れているけど、1年中そんなことしてるわけにもいかないだろうし、果たして何をして人生を過ごすのだろうと、人ごとながら心配してしまう。

 社会が平日なのに、自分だけは休日。というわけで、今日はほとんどの時間を家の中ですごし、一眼レフを1時間ほどいじくり、土曜日に買った本を1時間半ほど読み、もやしと朝食のパンを買いに行くついでに銀行振り込みをしただけで、あとはだらだらネットやテレビを観てただけ。もう少し生産的な生き方はできないものかと、1日を振り返る時間になって、激しく後悔してしまう。

 こういう考えは必ずしも良くないのだろうけど、やっぱり仕事というのは今の自分にとって大事なものなのだろう。単に生活のため、あるいは使命的な理由だけではなく、人生をそれなりに有意義に過ごす1つの方法が、仕事をするということ。もちろん限度はあるけどね。そして今はいいけど、このままでは絶対ダメで、だんだん仕事以外の何かと共存していき、最終的にはそちらにシフトする必要していく必要があるのかなとも思う。

 それが見つかれば、そして実行できれば、人生は最後までハッピーなのだろうね。

Profile

take(take@blue-jam.com)
1981年12月23日生まれ
横浜市の端に在住
音楽と夏と海をこよなく愛してます。
強く、やさしく、フェアに

2015年11月

Sun Mon Tue Wed Thu  Fri   Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

アーカイブ

最近のコメント

BlogPeople

Powered by Movable Type 4.292