2012年3月 archive


rebirth1.jpgREBIRTH1 ?re-make best?/角松敏生

 タイトル通り過去の楽曲をリメイクしたベストアルバム。収録曲はデビューから数年の80年代の曲に集中しており、細かい演奏だとかアレンジだとか角松自身納得のいかなかったところを、今の彼なりの技量で録り直したい(残したい)というところなのだろう。そのうちのいくつかは、ライブでも披露されており、ライブアレンジバージョンといってもいいかもしれない。ジャケットは、ボズ・スキャッグスを彷彿させる赤いハイヒールと、白のスーパーカーはランボルギーニ・ガヤルドか。背景はおそらく横浜のランドマークタワーで、そういったチョイスをするところも、なんとなく80年代の角松に戻ったと言えなくもない。さすがに時代錯誤感が否めないが、これも狙っているのだろう。


 今さらながら、Twitterを始めました。アカウント自体は随分前に作っていたのだけど、色々と考えてたら面倒になってしまってずっと放置。ブログ開始時期に比べたらずいぶん出遅れたが、まあ気が向いたらつぶやいていきたいと思います。1日1エントリは社会人には無理だったけれど、1日1つぶやきはできるはず。とか言っちゃうとハードルあがるので、1週間2つぶやきぐらいで。

 現在試験的にサイドバーにTwitter表示しているのでご覧下さい。フォローも大歓迎です。でも人への返信とか恥ずかしいですね、これ。

 あとはブログ投稿をTwitterに表示できるようにするか、はたまたFacebookとも連動させるか(これまた実はアカウントある)。しばらくはブログ→Twitterの一方通行かな。


 あれから1年が経った3月11日の午後2時46分、僕はワシントン発NH001便に乗って、北海道から本州の上空に入ろうかというところにいた。機内では機長から震災に関するスピーチが述べられ、その少し後にボーイング777-300は福島上空近くを通過し、何事も無く成田へと完璧な着陸を遂げた。車輪がいつ地面に接触したかを感じさせない、本当に完璧な、やさしい着陸だった。

 アメリカの入国審査では、審査そっちのけで「日本はどうだ?大丈夫なのか?」と尋ねられ、5分ぐらい話し込んでしまった。出張先の企業でも未だに「日本はどうだ?生活は元通りか?」と尋ねられる。日本人より日本のことを未だに心配してくれている。世界中が。

 これを機に、何かが変わったわけではない。でも自分の中でわかったことがいくつかある。

 「何よりも大事なのは家族」。電車がすべて止まり、信号機すら消えた夕闇の中で、僕は繋がらない携帯をずっと握りしめていた。大丈夫だとは思っていたけれど、実際にその声を聞くまでは安心できない。自分にはそれが全てだとわかった。離れて暮らす両親は偶然にも関西旅行中で連絡があり、実家に残る弟は数年ぶりに会話を交わした。かけがえのないもの、何よりも大切にしなければいけないもの。それらを大事に抱きしめながら、日々、生きていくことの大切さ。そして幸せ。

 「会社は従業員を守ってくれない」。何百、何千という従業員が働く環境なので、最大公約数的な対応しかできないのはわかっていたが、それはもうあまりにお粗末な対応であった。電車が動いてないときに出勤させたり、停電があるのがわかっているのに、その時間ギリギリまで働かせる。帰る時間帯に電車が走ってなかろうが、家にたどり着くまでに停電になっていようが、会社は知ったことではない。電気が停まって全く仕事にならないのに出勤を強要する。それが決まりであり、状況に応じた例外判断を下せる人がいないからだ。個人として素敵な人はいくらかいるけれど、組織としてまとまった時の非情さ・無能さには愛想が尽きたといってもいい。これがこの企業の、そして社会の本質。それを知りながら、僕はうまく付き合っていかなければならない。もちろん、そこから逃れる術はいくらかある。

 「電気が少しぐらいなくても何とかなる」。僕の住む地域は計画停電で6回か7回電気が停まり、関東首都圏の中では最多の停電が行われた地域となった。さすがに夜、家に帰って電気がなく何もできないというのは寂しかったが、でもそれだけで、生きていく上では特に困らなかった。節電だってやろうと思えばできるし、原発がフル稼働しようが、新たな発電技術が生まれようが、エネルギーの永久帰還は不可能な以上、ずっと節電を心がければ良いと思う。

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる。それじゃいけない」。1年前、一刻も早く普通の生活が戻ってくることを願っていた。その願いは、少なくとも僕の住む周辺の人達にとっては割と早く実現し、震災前と寸分違わない生活を送ることができている。ただひとつ、あの大震災を経験したということを除いては。僕は阪神大震災の時に中学1年で、正直全然実感がなかったけれど、今度ばかりはリアルな体験として深く深く心の中に残っている。この生活を当然のことのように思ってはいけない。明日が来ない日が来るかもしれない。これはもうずっとずっと、絶対に生きているうちは決して忘れてはいけないこと。

 今日が無事終わり、そして明日が来ますように。それがいつまでも続きますように。


 近々海外出張を予定しているのだけど、その時に持っていくお土産の話。

 昨年初めて行った時は、幼少の時の思い出から無難にお煎餅の詰め合わせを持って行った。どうしてお煎餅かというと、話はアメリカに住んでいた時に遡る。小学4年生のとき、一人1つの国を担当して皆の前で紹介するという授業があって、当然のごとく僕の担当は日本。その時何を発表したのかはさっぱり忘れたのだけど、最後に母に作ってもらったみたらし団子と歌舞伎揚を配った。で、このときやたら歌舞伎揚が人気で、1人1つ配り終えた後も、余っているのを欲しいとせがまれたほど。それで僕の中では、少なくとも北米の人はお煎餅が好きだろうという思い込みができたのです。

 次も同じというのは芸がないなと思い、今日たまたま100円ショップに用事があって行ったところ、閃いた。ずらりと並ぶハンコ。これだ!これまたアメリカの小学校での話になるけど、自分の名前をどうやったら日本語で書けるのか、表を作ってくれと友人数人に頼まれたことがあった。その時はローマ字→カタカナの表を作ってなんとかごまかしたけど、当然それでカバーできる名前なんてほとんどないわけで、発音との対応で何とかしてねという感じだった。で、多分外人は自分の名前を日本語で書いたらどうなるかに興味がある、はず。さらに漢字だとベター。よく漢字の刺青入れてる人いますよね。きっと象形文字っぽい漢字は彼らにとってCool、のはず。

 というわけで名前から無理やり漢字を類推し、100円ショップのハンコをお土産に持って行こう計画。向こうに朱肉があるのかどうかは知らないがきっと喜ばれるはず。しかしこの名前を漢字にするという作業が予想以上に難航した…。もうトンチの世界。

(例)
・ポール→堀(ほる)
・マーク→間宮(かなり厳しい…)
・キング(ラストネーム)→王

 というような感じで半ば投げやりになりつつ、それなりに楽しみながら選んでいたのだけど、ブライアンで躓いた。そしてジョージ、ウィリアム(ビルでも辛い)と、代表的な名前に全く対応できないことが判明し(ラストネームは言うまでもなく)、1時間強ハンコのケースをグルグル回していたがそこで試合終了。

 おとなしくひよ子でも持って行こうと思います。あれはどこのお土産なのかよくわからないのだけど(多分福岡とか九州のはず)、でもどこにでも売ってますよね。近所のダイエーにすら売ってる。

Profile

take(take@blue-jam.com)
1981年12月23日生まれ
横浜市の端に在住
音楽と夏と海をこよなく愛してます。
強く、やさしく、フェアに

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