本屋で何となく表紙とタイトルに惹かれて購入。舞台は日付変更線が通る国、フィジー。元イギリスの植民地で、労働力として連れてこられたインド人が人口の半分近くを占める。ビジネスに長けたインド系フィジー人、対して元々島に住んでいた"フィジー系フィジー人"。文明が発達する(持ち込まれる)につれ、両者の間に軋轢が生じるのは当然の流れであり、事実20年間で3回もクーデターが起きている。そんなフィジーの事情の話を、限りなくノンフィクションに近い形で噛み砕いたのが本作。
話は、日本食レストランを経営するヨシ(フィジー人)、生粋のフィジー系フィジー人、インド系フィジー人、そしてワーキングビザで日本から観光業者に働きに来ている日本人の4人の視点から語られる。フィジー系フィジー人は、どこまでも大らかで、のんびりしていて、素直に生きている。島の土地(村)は皆のものであり、困っている人がいれば助けるし、逆に誰かのものは皆のもの。食料は豊富に採取できるため飢えることがない(生きることに困らない)から、向上心もない。彼らにしてみれば、いつの間にか自分達の島に乗り込んできて(実際には強制連行されて)、商売を始め、自分達よりも富を築いているインド系フィジー人や、その他の移民が許せない。俺たちの島で得たものなんだから、利益を皆で共有するのが当たり前なんじゃないか。そういうのが当たり前だと、誰もが考えている。
僕たちは自然と近代文明=資本主義みたいな考えをしているけれど、もっと原理的な考え方をすれば、それで失われるものが数多くあるのも事実(社会主義や協賛主義、ましてや軍国主義が良いとは思わないけど)。我々が富の象徴―おそらくそれは貨幣と交換して得られるものを指すことが多い―として得られるものは、果たして人をどこまで幸せにするのだろうか。本当に必要なものって実はそんなになくて、色々と手に入れるから、もっと欲が出てくるし、逆に失うのは絶対嫌になる。資本主義国に生きる僕らは、知らないうちにあまりにも多くのものを抱えてしまっていたのかもしれない。だから何だと言うわけではないけれど、漠然とそんなことを考えさせられた。
この本を読むまで、フィジーは南の島の観光国の1つであり、正直パプアニューギニアやニューカレドニアなんかとたいして変わらないだろうと思っていたけど、実は軍事政権だし、クーデター起きまくりで、民主化の遅れから諸外国とも対立している。でもきっと、ほとんどのフィジー人達は我関せずという形で飄々と生きているんだろうな。ストーリーとしてはごく普通のものだけれど、フィジーの情勢をここまで読みやすく綴ってくれたことに僕は感謝したい。
ハゲタカ(上)/真山仁
ハゲタカ(下)/真山仁
ハゲタカ II(上)/真山仁
ハゲタカ II(下)/真山仁
ちょっと前に話題になった時は例によって冷めた見方をしていたのだけど、意を決して読んでみたら、あまりの面白さに1ヶ月弱で続編のII下巻まで読みきった。幸か不幸か、資本主義の世界において、お金の話があるところに、社会のあらゆる要素がつまっている。
話は主に3者の視点から描かれる。一人は外資キャピタルファンドに勤める鷲津、その名前からgolden eagle(イヌワシ)の異名を持つ。最初は彼がなぜファンドの仕事に就くのかから始まり、日本で企業買収を手がけ、続編ではさらにその後まで発展する。もう一人が銀行員の芝野、彼もまたファンドとは異なる形で、企業再生に携わり、続編でも話の鍵を握る。最後に名門ホテルのオーナー、松平。彼女は自分が継ぐホテルの存続を守ろうと、戦い続ける。
基本的には三者三様の話が展開されるのだけど、この3人がだんだんと絡み始めるところから、随時物語が始まる。1つの話がずっと続くわけではなく、中にはこれで終わり?という感じで幕が引いてしまう話もあるが、それぞれの成長というか変遷が丁寧に描かれているのがとにかく面白い。うまくいきそうな話が突如ぶつ切れになったり、展開があるだろうと思ってた伏線が何もなかったり。これはこれでアリだなと思った。主人公の鷲津なんて、最初とIIの最後では全然別の人間になってる気がしなくもない。
内容は一言で言ってしまうと企業買収の話なので、どうしても経済の知識が求められるけれど、その解説もきちんとしてくれているので、ちゃんと話に追いつけます(自分も経済は素人)。実際に起こった事件がモチーフにされているところもあるので、そのあたりをどこまで割り切るかだけれど、フィクションとノンフィクションのギリギリの狭間で、これほどまでに楽しめる作品もそうそうないだろうと思う。
さらなる続編も出ているので、文庫になったら読もうと思います。
存在という名のダンス 上/大崎善生
存在という名のダンス 下/大崎善生
大崎善生の作品というと、ノンフィクションあるいは恋愛ものがほとんどだったけれど、ここにきて新境地。なにせ「ロードノベル・ファンタジー」とまで言われるのだから。上下巻とボリュームがあるものの、読みやすかったので1週間ちょっとで読了。
ハーメルンの笛吹き男、の現代訳版というのが、本作品を表すのに最も適した言葉だろう。増殖し続ける人間の憎悪が具現化され、一人の少年が立ち向かう。札幌出身の著者らしく、舞台は北海道。
話として面白いかと言えばそれなりに面白いのだけど、1/4ぐらい読んだところで、村上春樹そのものだなあと感じた(著者は間違いなく村上春樹をリスペクトしている)。主人公が少年ということで、すぐに『海辺のカフカ』が思いついたけれど、あそこまで入り組んでもいないし、全体的に、洗練されもいない。「ファンタジー」という言葉が使われている時点で、勝負ありだろう。
彼の場合、ノンフィクションの方が圧倒的に読み手を引き込んでくる。次の作品に期待ですかね。
江國香織が結婚生活について語ったエッセイ。しかしエッセイと言うにはあまりに残酷で、不確かさとも言うべき儚さがあり、そしてやけに透明で美しい話の数々が語られている。これらの文章のどこまでが本音なのか、僕には知る由もないけれど、もし100%江國香織が感じていることを綴っただけならば、僕は村上春樹の主人公よろしく、「やれやれ」と首を振るしかない。
こう言っては失礼というか、余計なお世話もいいところだけれど、そもそも江國香織が一般人男性と結婚したこと自体が、僕には全く信じられない。てっきり一生独身を貫き通し、自由な恋愛をし、文字通り人生を謳歌するものだとばかり思っていた(その昔、彼女は知人男性全員が恋愛対象だと言っていた気がする)。そんな彼女が結婚し、すなわち1人の男性を選び、さあ一体どういう日常が待ち受けているのか、というのが細々と綴られたエッセイ。
良くも悪くも期待を裏切られ、辛らつな言葉の数々が並ぶ。胸が痛い。全然幸せそうじゃないし、僕は彼女の文章から、二人の間にある愛を感じられない。これまた昔、江國香織の価値観は、一般女性のそれと大きく異なると言われたことがあるけれど、本当にそうであってくれと願うばかり。ここまでの感性があるからこそ、素晴らしい作品の数々が生まれてくるのだろうけれど。いやはや。
半年以上前に読んで、感想を書こうと思っていたものの、多分書くことがなくてそのまま放置してました。
この人の作品は、きっと女性が読むと好き嫌いが両極端に分かれると思うが、僕は昔から結構好きな作家の一人で、短編だと何もないまま終わることが多いため、主に長編を好んで読んできた(というか僕は基本的に長編の方が好きで、唯一の例外が村上春樹)。江國香織の長編は、何もないようで何かが少しだけ起こったり(1冊かけて何もなかったらそれはそれで見事)、それなりに展開があるのに何もないように感じたりと、とにかく、全体的に淡い色で彩られているような作品が多い。きっちりとした起承転結を求める人には物足りないかもしれないが、バタバタしてないのがなんとなく心地よく感じていた。
さて本作。話は三姉妹の三者それぞれの日常を描いたものであり、3人それぞれが独立して話が進むのではなく、それなりに互いに干渉し、家族というもののあり方みたいなものを見せつけられる。そして、珍しく色々と起こる。
でもやっぱり、色々と起こったとしても、本質的なことはそこにはなく、実はもっと深いところにあるのかなと今さらながらに思う。話の中では、後半から夫のDVというテーマが鍵を握るが、ただ単にDV(Domestic Violence)から逃れたいのに逃れられない妻というものを描いているのではなく、人の生き方として、ある意味メタファーとしてDVを取り上げているに過ぎない。このあたりが、やはり江國香織だよなあと感心してしまう。
「思いわずらうことなく愉しく生きよ」というのは、三姉妹が育った犬上家の家訓。この真の意味は作品の中にあるようでない気がして、なんとなくヒント、ぐらい。「楽しく」ではなく「愉しく」というのがポイントなのかな、きっと。両者をどう定義するかにもよりますが。ただ言葉の感じからして、楽しく生きるのはそれなりにできそうだが、愉しく生きるのは簡単ではない気がしてならない。
久々の長編。最近、吉田修一が精力的な気がします。これまで溜まっていた連載が一気に単行本になっただけなのかもしれないけど、ここ1年で3,4冊新書が出てるはず。ただ、長編らしい長編は『悪人』以来なくて、短編、あるいは中編が多かった。久々の長編ということもあって、期待して読みました。
それでこの作品は僕の期待にこたえてくれたのかと言えば、読んでる時は結構面白かったけれど、読み終えて時間が経つにつれ、特に印象がなかったというか、作品のシーンがどんどん空白になっていく。そしてふと、ああそうだったと思い出す。
話は、主人公の横道世ノ介が、上京して大学に通うところから始まる。いかにも田舎から出てきましたという人間で、良い意味で垢抜けてなく、その1つ1つの言動が微笑ましい。前々から言ってることだけど、普遍的な、「リアルな日常」を描かせたら、吉田修一の人の右に出るものはそうそういないだろうと思う。その普遍的なリアルさが、非常にいい。
しかし時の経過は無情というか、全てはそういう運命になるものなのかもしれないけど、この横道世ノ介も、多くの学生同様、だんだんと、まるでそうなることが当然かのように、垢抜けていってしまう。純朴さを失い、時にはやさしさを失い、その場限りの、欲に任せた時代に流される。そういうのもまた、きわめてリアルに描かれている。
面白いのは、途中途中で、彼と関係した人間のその後を通して、世ノ介について語られるところ。大学時代の話とは何のリンクもないのだけど、それがうまい具合に相乗効果となって、話を要所要所で引き締めている。反対に残念なのは、中途半端に実在したある事件をモチーフにしてしまったところ。僕はその事件が発生した現場を非常によく知っているので、この部分は正直興ざめしてしまった。こんなことしなくたって良かっただろうに、他にいくらでも方法はあっただろうに、と思う。
読み終えて何も残らない話というのはいくらでもあるけれど、この作品は、最初は残っているけど、だんだん消えていく。あったと言われれば確かにあったし、なかったと言われれば、別になくても全く困らない。そんな話です。
安藤忠雄の自伝です。この人は華やかな経歴ばかりが騒がれるけれど、その裏にとんでもない苦労があったことは想像に難くない。彼の初期の作品から、現在進行中(2008年前後)のプロジェクトまで、一体そこにはどういう背景があり、どういう想いで取り組んだのかが、一部かもしれないけど知ることのできる本。非常に面白かったです。
僕は絵画や写真の良さについては疎く、誰かに解説してもらわないとその価値を認識できないことの方が多い。それでも、建築物については、前衛的なものを除けば、純粋にああ凄いなあと思うことができる。それは多分、規模の大きさだったり、そこから想像できる機能美だったり、色々と理由はあるのだろうけど、一番の理由は、「人工的な造形物だから」だろう。人がこれを造ったんだ、ただその事実を目の前に示された時、僕は心の底から感動する。
著名な建築家だと、安藤忠雄より黒川紀章や丹下健三、そして最近だとNYのMoMAを設計した谷口吉生の作品の方が馴染み深い。そういう正当派から少し外れた路線をひた走るように感じる安藤忠雄は、自分自身の手で世界を構築していっている気がする。根本的に僕らが見ている世界とは違う世界を見ていて、少しでもその一部を、この世界に持ってくるかのような。
惜しむらくは、作品の写真が小さいこと。モノクロであることは大きな問題ではないのだけど、もう少し大きい写真で彼の作品を見てみたかった。もちろん本当の良さは、現物を見なければわからないのだろうけど。それでも安藤忠雄が語る自身の半生(そしてこれから)が納められたこの本は、非常に価値のあるものだと思う。
それにしてもこの写真。撮影は荒木経惟だが、この眼光の鋭さは怖いなんてもんじゃない。生きることに対する執念の塊のような人だ。
ちなみに、僕が一番すごいと思う建造物(と言えるかどうかわからないけど)は、東京の首都高速。
村山聖という1人の棋士の生涯を綴ったノンフィクション。将棋のことはほとんどわからないけど、そんなことは全然関係なく、すごく面白かった。これが全て事実ということが嬉しくもあり、すごくズルくも感じる。大崎善生の作品の中で文句なしにナンバーワン。
村山聖は幼少の頃から難病を患っており、闘病生活の傍ら将棋にのめりこんでいく。どれだけの取材と体験に基づいた(大崎善生本人も接触がある)ものなのかはわからないが、特に師匠である森信雄との掛け合いが、これでもかと言うほど人間味に溢れており、終盤では単純なやり取りひとつひとつでさえ涙を誘う。
目標とした名人にこそなれなかったものの、数々の伝説の名勝負・名局を残した。もう少し彼に時間があったらと、運命が残酷に思えてならない。皆から愛された不世出の棋士。あだ名は肉丸君。
ハワイで読んだ本5冊のうち4冊を紹介します。
面白かったです。先物取引で騙されてホームレス生活を送り、ひょんなことからモンゴルで偽装結婚をし、マフィア抗争に巻き込まれ・・・と、ダイナミックな展開が続く。でも1つ1つが丁寧にまとめられているので、決して急ぎすぎず、ちゃんと味わうことができる。人の本質、そして大切さみたいなのを感じることができる話だった。
本屋で強烈にプッシュされていたので買ってみたが、いまいち。自殺した級友の姿がなくなり、姿を変えて現れた級友と共に事件を解くという、ややSFっぽいミステリー。それにしては、ちょっと設定がきついだろうなと思う。小学生の主人公にここまでの台詞を語らせるのはちょっと無理がある。主人公自体も謎めいているというのは新鮮だったが、なんか小説だから何でもありでしょうみたいな印象。
初東野圭吾。僕はひねくれものなので、巷で騒がれている作家は興味を失ってしまうのです。が、他に候補もなかったので、何気なく手にとって見た一冊。自分の記憶が、現在の状況と違っており、現在と約1年半前の両方のストーリーが進み、次第にシンクロしていく。かなり入念に作りこまれたストーリー、という印象。それなりに面白かったけど(一晩で読みきった)、ちょっときっちりしすぎかなあとも思う。ちなみにラブストーリー的要素はなかったような気が。
神戸大震災、地下鉄サリン事件後の、3組それぞれの20世紀末を描いた作品。今こうして振り返ってみると、本当に20世紀の終わりは色々とあったよなと思う。僕たちは一体、それらをどれくらい覚えているのだろうか。そんなに簡単に忘れ去ってしまっていいのだろうか。作品自体は正直特筆すべきところはない。この人の若者のくだけた台詞には腹が立つし、展開がお決まりのワンパターン。最後に登場した少年は明らかに余計。でも、こういう風に話として時代を残すこと自体には意味があると思う。テレ東のくだりは思わず笑ってしまった。
1/3ほど読み進めたところで、思った。なんなんだ、この本はと。ディスカスという魚がいかに凄いのか、飼育がいかに難しいのか、その熱帯魚をどう育てていくのか。それについてしか書いてない。この作者ならば恋愛小説だろうし、帯にもそう書いてあった。でも本当に熱帯魚のことしか書いてない。
その後いくらか伏線が出てはくるものの、中盤以降も熱帯魚の話に終始する。ひょっとしたらこのまま最後まで熱帯魚の話なのでは、そう思っていたとき、一気に話がつながり出す。ああ、作者は大崎善生だったんだなと思い出す。
非常に緻密で、練りこまれていて、孤独な作品。『パイロットフィッシュ』という作品を書いていることからも、著者が熱帯魚好きなのだろうとは思っていたが、ここまで踏み込んだ作品を書いてくるとは驚くほかなかった。読み終えた瞬間、一体これは何だったのだろうと感じたが、時が経てば経つほど、実はとてつもない作品なのではないかという気がしてならない。
評価されるべき本というのは、おそらくこういうものなのだろう。それだけは確かに思う。おまけにディスカスについて相当詳しくなってしまった。それがどこまで真実なのかは全くわからないけれど。
僕が投資を学ぶ上で参考にしたのが、この著者の書いた本の数々。要点がシンプルで、かつ、ブレのない一貫性がすごくいい。その橘玲の小説。どうせうまいこと金融・経済の話を持ち出してグダグダ展開されるだけで、たいした話じゃないだろうと思ってた。ごめんなさい。ハワイの描写から始まる最初の5ページ、それから最後まで僕の心をつかんで離さなかった。基本的に通勤時間に読んでいたのだけど、気づくと1週間で上下巻を読み終えていた。ここまでハマれる小説というのは、1年に1冊あるかないかだろう。
話は謎の遺産譲渡の話から始まり、舞台はハワイ・伊豆・NYと世界を駆け巡る。気に入ったのは中心となるストーリーよりも、もはや解説書のような都市や、税制、法制の説明。人によってはくどく感じるかもしれないけど、僕は逆にそれが良かった。1度だけ置いていかれそうになったけれど、それはなんだかすごく損をしているような気がして、最後までくらいついていった。それだけの価値はあったと思う。
ここまでの才能を見せつけられてしまうと、橘玲という人物の正体がすごく気になってくる。投資家なのか、物書きなのか、それともそれ以外の何かなのか、あるいは1人の人間ではないんじゃないかとすら思えてくる。まあそれが明らかになることはないだろうし、これからも僕は彼の著書に惹かれていくのだろう。
『ツァラトゥストラはかく語りき』と並行するような描写は、全身が震えるほど美しかった。マーラーの3番がずっと響き続けていた。
2年半ぐらい前のこと。関西で1ヶ月生活していたときに、経緯は忘れたけど、同期と宝塚の本屋に行った。保坂和志が好きということで気が合い、それ以来彼は本の話ができる数少ない友人の1人となった。
あまり多くを語ろうとしない彼が薦めてくれたのが川上弘美。ただ作品によって好き嫌いが別れるらしく、好きだという作品名を教えてもらったものの、残念ながら忘れてしまった。そんなきっかけで、適当に手に取った1冊。
最初の十数ページを読む限りでは、特別面白いとは感じなかった。感性のつかみどころがなく、物語も進まず、そのまま読むのをやめてしまった。それから2年。再び手に取り、通勤時間1週間で読みきった。
主人公の女性は、男性の自分からしてみれば全然魅力的ではない。そして元教師、それも自分の父親ぐらいの年齢の人に惹かれる気持ちもわからない。でもまあ、それはそれで成立してしまい、いつまでも平穏な時間が流れ続けるのかと思っていたら、突如雲行きが怪しくなってきてあっという間に嵐、そして嵐の後の静けさがやってくる。
途中まではすごく良かった。時折見せるシュールな世界観も良かった。谷崎潤一郎賞を受賞するだけあって、『細雪』のような内容であることを期待していたのだけど、時の流れと共に、月子とセンセイが、女性と男性となり 主人公の想いが全てを埋め尽くしてしまった。それで作品としてはひどく平凡に終わってしまったように思える。非常にもったいないと思う。
また誰かに薦められたら読もうと思います。
作者のことはたいして知らず、タイトルと帯の「さあ行こう」という文字だけで衝動買いした作品。しかもソウル・トレインっていうのは音楽のソウルのことだと思ってたら、韓国のソウルだった…。読み始めて数分で失敗したかなーと思ったのだけど、最後までスッキリと読めました。
途中までは物語性のある進行だけど、やがて肉体よりは精神に偏重した話となり、その上で男と女の「愛」についてくどいぐらいに語られる。なんとなく池澤夏樹の世界に似てる気がした。ボリュームがある割には負担にならなかったし、なかなか面白かったと思います。感動する話ではないが、深い話。
時代設定は学生運動の後で、今よりは多少前のことになる。でも、『誰もが「さあ、行こう」と口にしながら、結局誰も行かなかった』、というような描写は今でもそのまま当てはまってひどく気に入った。誰も立ち上がることはないし、立ち上がった者は非難される時代。やれやれ。
合う合わないあると思うけど、形而上的な愛について興味のある人はぜひご一読を。愛の探求、己の探求、存在の探求。作品中ではさらりと書かれているような感じだが、なかなかすごいこと言ってるんじゃないかと思います。
舞台はタイ。平凡な公務員のはずの主人公の、なぜか羽振りの良い一人旅行。最初は男性なのか女性なのかもわからず、話が進んでいき、徐々に秘密が明らかになっていく。最近はこういうスタイルが流行っているのかもしれない。
吉田修一は多分5年前ぐらいから好んで読んでいる作家で、彼の作品はほぼ全部読んでる。本作の、その中の位置づけとしては、まあ平均点ぐらい、と言わざるを得ない。残念ながら。最初は舞台がタイとあって新鮮な感じもしたが、終わってみればいつも通りの吉田修一だった。
彼の特徴は、なによりもリアルな描写。小説の登場人物やそこに描かれる風景というのは、おそらくそれが作品の好き嫌いに繋がるのだろうけど、なんとなく頭の中に描ける、あるいは共感を抱ける(とまでは言わなくても、わかる気がすると思える)、と言っていいと思う。でも吉田修一は違う。何が違うのかと言われれば一言では表せないが、より鋭く、でも違った視点で、そしてきわめて些細なことで、世界を描き出す。本作もその例外ではなかった。ストーリーとは別に、この作品では、タイの鼓動、息吹を感じた。夜が始まる描写なんかは実に見事。でも、なんか、それだけだった。
さまざまなシーンに散りばめられた、伏線と呼ぶにはあまりに魅惑的なものごと。これが実に惜しく感じる。本筋が周りに完全にのまれてしまい、結局、いつも通りだねで終わってしまう。それはそれで、ある意味期待通りでもあるのだけど、でもそれだけではやっぱり寂しい。
そして改めて思ったのは、吉田修一は、『悪人』で1つの頂点に達してしまったのではないかということ。初期(と呼ぶべきかどうかはわからないけど)の代表作は、間違いなく『パレード』。今思えば、あのラストの鮮烈さは他のどこにもなかった。『悪人』は、そこからさらに昇華させた彼の最高傑作。そして、その後には何が続くのだろうか。
読みたかったけれど何となくタイミングを逃し、気づいたら文庫本で出てました。『最後の息子』の主人公の、その後の話をまとめた短編集。別に特別なことなんて1つもないけれど、そこには小さな物語が存在し、そしてまるで別の時間軸にほんの少しだけ足を踏み出す。
『最後の息子』自体たいした話でもなかったので、その続編みたいな設定になってはいるものの、主人公のことなんてこれっぽっちも覚えていなかったし、ましてやどんな話だったのかも綺麗さっぱり忘れていた。でもこの主人公が、新宿のバーニーズ・ニューヨークで偶然"閻魔ちゃん"と再会した瞬間、僕も、主人公と閻魔ちゃんに再会した。それが1話目。
まるで時間を切り取って、目の前に突きつけられたかのような感覚。極めて均質に、そして止めどなく流れ続ける時間。その時間の流れは続いているけれど、それと並行して、切り取られた時間が存在する。続く3話は、その切り取られた時間の中で展開する。でもそれは決して有限の時間ではなくて、切り取られた時間が、そこからさらに進み始める。多分、ほんの少しだけ。だから、切り取った部分に重ね合わせようとしても、少しはみ出してしまい、元に戻すことは出来ない。
最後の1作だけ主人公が異なり、全然別の物語になる。この話があるから、少し進んでしまった分の時間が切り取られ、ピッタリ収まる。また、変わり映えのしない、退屈な日常が始まる。ふとしたきっかけで、切り取られて元に戻った時間が、再び進み出すという可能性を残しながら。
to be a rock, and not to roll.
大崎善生らしからぬ作品。が、これはこれで結構面白かった。小説としての深さを追求するならば、この人には『タペストリーホワイト』がある(しつこいようだけれど彼の最高傑作だと自信を持って言える)。でも、本を読むたびにいちいち悲しみに浸る必要もないし、ドーンと胸に響くような重さもいらない。普通の小説です。と言うと普通ってなんだよっていう話になるのだけど。
作家がパリに行って恋に落ちるお話。ザッツオール。単純すぎて、何のひねりもなくて、救いも乞いもなくて、最初から最後まで気分良く読める作品でした。みんな誰しもポケットに小石を持っていて、流れるままにコロコロと転がっていく。そこにとどまりたい、岩になりたいと願う。でも転がっていく。それが人生であり、ロックンロール。
舞台となるパリ。パリは恋をする街らしいし、そこにパリの夕暮れがあるのだから、とか、パリが夏に向かっているのだから、とか、パリは何かにつけて理由となり得る街らしい。僕も一度でいいからパリに行って、どうでもいいような台詞を口にしてみたいなあ。「別にいいじゃない、だってパリだし」とかね。
彼の著書だったか、それとも何かのインタビューだったかは忘れてしまったけれど、村上春樹は、いつしか「走る」ことについて書いてみたいと言ってた。そしてそれが実現したのが、この本。曰く、この作品は"メモワール"とのこと。メモワールって一体なんぞやという話だけど、回想録、回顧録、手記、という意味らしい。まあ本人が生きているので自伝とは言いにくいかもしれないが(生きているうちに自伝を出す人もいますが…)、『羊』を書いたときからずっと走り続けてきた村上春樹にとって、走るという行為について書くことは、"作家村上春樹"の半自伝を書いているようなものではないかと思う。自らをランナーと呼ぶ彼にとって、走るという行為は生きるという行為そのもののはずだから。
村上春樹は僕の大好きな作家の一人であるから、本作も特に何も考えずに手に取ったわけだけれど、やっぱりこの人の文章はいいなと思う。当初『シドニー!』に収録されていたマラソンランナーの話みたいなものだろうと考えていたら、ひねくれたようなタイトルの通り、実は走る行為そのものについてはさほど書かれていない。NYマラソンやトライアスロンへ向けた準備などが書かれているものの、ページをめくると(次の章にいくと)、既にレースが終わっており、後からそれを"メモワール"という言葉の通り"回想"していくことになる。そして走ることとリンクさせて、自身の生活や作家活動についても、ザッとだけど書かれている。今さらだけれど、彼の作品に登場する「僕」は、やはり村上春樹そのものなのだと改めて感じた。
村上春樹も、年齢を重ねて変わったのかなと思う。かつてはエッセイでも、ヤクルトスワローズが好きだとか、そば屋ではビールを飲むだとか、そういうどうでもいいような話が(と書くと偉そうで申し訳ないけど)ほとんどだった。今回、50代後半だからそろそろ人生を振り返りたかったのか、それとも走ることについては真っ正面から書きたかったのかはわからないけど、彼のかなりプライベートな部分に足を踏み入れた内容になっているような気がする。やろうと思えばいくらでも違った表現でできたはずなのに、こういう形をとったのは、やはり彼の中で何かが昔と変わったのかなと思う。途中本人の、ランナー村上春樹の写真が数点載っているのも、今までほとんど露出がなかったことを考えれば驚くべきことだろう。
これを読んで僕も走ろうと思えるほど単純な人間でもないので、まあそういうことはないのだけど、誰かに人生を語られたとき、僕も少しは考えなくてはいけないのかなと少しだけ感じる。そんなにないだろうなと思う。誰かが、それが本にしろ直接にしろ、自分の人生について語ってくれる機会って。
人が死ぬとき、西の果てだか東の果てだか、どこだか忘れてしまったけれど、とにかくどこか遠くの湖で、白鳥が鳴き声をあげる。そういう話・・・と言っていいものかどうなのか。うーむ・・・。
『アジアンタムブルー』が『パイロットフィッシュ』の焼き直しだったのと同じように(逆かもしれない)、この『スワンソング』も何となく『タペストリーホワイト』の焼き直しのような感じだった。もちろん設定も話の内容も全然違うのだけど、根本としている前提みたいなのが何となく似ており、正直そんなに面白くなかった。
この人なりに純愛のようなものを書こうとすると、まあこうなってしまうのだろうというお話。背景は携帯電話もEメールもなかった時代。人と人の距離って、今よりも絶対に遠かったと思う。もちろんそれは悪いことだけじゃなくて、良いこともたくさんあったのだろうけど、でもやっぱり、距離が短くなった今は人をもっと身近で愛することができるような気がする。だから、かつての困難を乗り越えようとするような、距離の遠かった恋愛は美談になるのかもしれないけど、それはあまりにも単純だろう。そしてお決まりのように、この人が好む喪失。ひねりがなさすぎだと思う。前作の『タペストリーホワイト』が傑作だっただけに、かなり残念でした。
そんなわけであまり特筆するべきところはないのだけど、強いて挙げるなら、装丁が良いと思います(中身と関係なし)。
ちょっと前は株ブーム、今は投資信託ブームでしょうか。でも株も投資信託も、たいして儲かりませんよ。それどころか、元本割れのリスクが常につきまとって、せっかく汗水垂らして稼いだ賃金が何もしてないのに目減りしてしまう可能性だってたっぷりですよ。
いや、そんなことはわかってる。それでも、100万円を1年間預けたってCD1枚買えないような金利の普通預金なんかで眠らせておきたくないんだ。きちんと将来を見据えて資産運用していきたいんだ。・・・っていう人にオススメの株式投資入門の本。
とんでもないタイトルの本だけれど、とんでもなく面白かった。名前の通りマネーロンダリングの話が、過去の事例と共に進んでいく。僕ら読者がこの本に期待するのは、当然マネーロンダリングの指南などではなく、人類と切っても切れない関係にあるお金というものを(あるいはそのお金の行き着くところを)、今までよりもほんの少しだけ詳しく知ることだろうと思う。
ゴッドファザー顔負けのマフィアの話から、映画にもなったブラッドダイアモンド、近年のライブドア事件やら北朝鮮の話まで、人間の本能と欲望が形を変えた「マネー」が、全ての現象の解となってみせる。そこには、もはやどろどろとした人間の負の部分という印象はなく、ある種の爽快感すら漂う。報道だけでは決して明るみにならない、影の動きが明らかになっていく展開は、まさに「事実は小説よりも奇なり」、近年並ぶ安っぽいミステリー作品などとは比べものにならない。
実際の話、コルレス口座なんて言葉を覚えたって、今後の人生に何の役にも立たないのだろうけど、知らないことを知る、わからなかった事象の背景が明らかになるっていうのは、何物にも代え難い喜びでもある。特に、我々が一生縛られて生きていく「お金」というものに関することならなおさら。
この著者は、最後にきちんと自分の意見を述べ、自分の文章に責任をとっているところが何より素晴らしい。
最高傑作。と、帯に書かれてる。例えば村上春樹が『日出る国の工場』や『アンダーグラウンド』で得た取材力、また『アフターダーク』で試みた第三者の視点からの展開を、自身のその後の作品に活かしたように、吉田修一が、これまでに培ってきたもの全てを注ぎ込んだ作品のように感じる。
フルトヴェングラーとカラヤンとベルリン・フィル、およびそれにまつわるお話。これはもうめちゃくちゃ面白かった。権力と政治と、そして感情と。ヒトラー政権のナチス・ドイツが、最高の舞台を作り出す。2人の指揮者の権力争いというよりは、もはや音楽の歴史だろう。
あとがきで作者がこう述べている。
音楽を聴くのに、その演奏者についての情報は不要だ、純粋に音楽を聴くべきだ、という考え方がある。もっともな意見ではあるが、私はそうは思わない。
思わず僕もうなずいた。芸術が芸術たる所以は確かに存在しているのだと。こうした背景が、芸術をよりいっそう特別なものにしてくれる。
タイトルはスピッツの<ロビンソン>から。僕が中学2年の時にヒットしてました。不倫話なのだけど、盛田隆二にかかれば、ピュアなラブソングも不倫ソングへと変わる(のかどうかは知らないけれど)。でもそれは不倫だって一つの恋愛であって、何も変わらないんだよということだと思う。男と女が恋に落ちる。何も違わないよね。
なんて壮大で、儚くて、もろくて、そして美しい小説なのだろう。彼の作品はこれまでに数冊読んできたけれど、間違いなくこれが最高傑作。キャロル・キングの歌と共に、気づいたら大切な人たちのことを想っていた。
短い夏休みだったけど、ゆっくりと何冊か本を読めたのは良かったです。
5組のカップルを描いた短編集で、どの話にも基本的には温泉が絡んでる。でも話によってこの温泉の存在位置が異なっていて、必ずしも温泉がメイン舞台というわけでもない。この辺りに僕は吉田修一の巧さを感じます。
どういうわけか日本人にとって大きな存在である温泉。そういえばこの前伊豆に行ったとき温泉に入ったのだけど、なんだか落ち着かなくてそそくさと出てしまった。入る前の期待感と、入ったときの居心地の悪い安心感。不思議なものです。
号泣する準備はできていた/江國香織
直木賞受賞作。文庫本になったので買いました。前にも書いたけど、僕は高校生の時からこの人の作品を読んできていて、知らない間に女性の視点というのはこういうのもあるのか、と思うようになってしまった(それはあまり良いことではないらしいけれど)。だからやっぱり、丸裸にされます。弱い自分を誰かに見つめられます。
江國香織って女性に好かれなさそうですよね、なんとなく。女性達が必死に守ってきたものを、たやすく男に見せてしまうとでもいうか。残酷だし、非情だし、寂しいほどに冷たいし。でも多分、こういう女性にとことん弱い男っています。好むと好まざるとに関わらず、悲劇の主人公になってしまう人がいるのと同じように。
寝る前にパラパラと。僕はこの人の詩が結構好きです。好きな詩人がいるわけでもないし、普段そんなに詩に接することもないのだけど、アルチュール・ランボーよりは好きです(これは訳者の問題もあるのだろうけど)。
処女詩集を含む1950〜1970年代の詩を集めた詩集ということで、若さに溢れてます。若さ特有の、ちょっと痛々しくもあるもろさというか危うさが、僕の心を捕らえて放さない。これだけストレートに言葉を綴ることができたら、きっとすごく素敵だろうなと思う。
村上"ポンタ"秀一 自暴自伝
村上ポンタの一九七二→二〇〇三
日本一のドラマー、ポンタさんのデビュー30周年を記念して出た自伝。日本の音楽会の宝どころか、世界の宝だろう、この人は。ポンタさんがいなかったら、これまでのありとあらゆる音楽シーンが違っているといっても過言ではない。
僕が18歳、大学1年生のときに、父親から「読んでみたら?」と渡されたこの本。たしか『チーズはどこへ消えた?』およびその類の本が流行していた頃で、少しパラパラとめくってはみたが、どうでもいいやと思ってそのまま本棚に放置してた。なぜ今になって読み返そうかと思ったというと、深夜の通販番組でこの著者のゲームが紹介されていたから。こんなゲームに数万も出すなら、彼の本を読んだ方がいいのでは?と思ったのがきっかけ。
3週間の関西生活で読んだ本を紹介します。何しろテレビもPCもなければ、周りにコンビニすらない環境だったので、本を読むぐらいしか楽しみがなかった。体が疲れていてあまり読めなかったものの、何とか5冊。
前に少し書いたけど、全11編の短編集。サラッとしていてあまり残るものはなかった。だから、逆にちょっと寝る前に2,3話、なんて感じで読んでいける。特に胸に響くものはないから、睡眠への支障もない。そういうのって小説としてどうなんだろうという気がしなくもないけど。やっぱりこの人は長編、少なくとも中編で読みたい。
『コーリング』と『残響』の2話収録。後者がすごく面白かった。人は誰かに対して何かを残す、何かしらで繋がっている。そういう視点からささいな日常生活が描かれていて、共感と言うよりは、むしろ違う世界の話のようであった。しかし紛れもなく僕はこの世界で生きている。少し考えさせられました。そしてやはり保坂和志の文体。これは完全に好みの話だけど、僕は大好きです。
曰く、「夜のように美しい小説」。
ここから現地調達。知らない土地に行くと、本屋を見つけるのも一苦労ですね。
小澤征爾の自伝的エッセイ。彼が単身バイク1つでヨーロッパ中を旅したなんて知ってましたか?若さ溢れる文章だけど、愉快・痛快です。やっぱり彼のように世界で認められる人には、どこかしら変わっているところがあるのだろうと思わざるを得ない。音楽の話も興味深くて、こういうバックグラウンドを知ると彼の音楽に対する接し方もまた変わってくるのだろう。
で、この本、ずいぶん若いころの話に時間をかけるなと思ったら、1980年発行であり、彼が26歳の時に書いたものらしい。僕が産まれる前じゃないか。この後も非常に気になるので、ぜひ続編を出して頂きたい。
"x^n+y^n=z^n"この方程式を満たす2より大きい整数値nは存在しない。
上記の問題を、フェルマーさんが「自分はこの証明がわかっているのだけど、紙のスペースがないからしない」なんてことを書き残してしまったからさあ大変。以後300年以上にも渡って数学者が苦しめられることになったのです。そしていつしか、定理にもなってない(証明されてない)のに、「フェルマーの最終定理」なんて呼ばれるようになった。この本はフェルマーの最終定理の解き方が細かく書いてあるわけではなく、この問題に取り組んでいった数学者たちの歴史スペクタクルです。高校数学程度がわかる人はぜひ。めちゃくちゃ面白いです。
最近この手の新書が流行ってますね。「破壊者か、全能の神か」というコピーにつられて買ってみました。グーグルのサービスや、いかに市場にインパクトを与えているのかについて書かれているのだけど、全体的にいまいち。内容が薄いかな。今さらそんなこと改めて言われなくたってわかるよ、ということがほとんどだった。さらに言うと、たしかにITは世界を変えたけど、それが全てではないというか、そろそろいいかなという気もします。これについてはいつかまた改めて。
暇つぶし程度にはいいけど、わざわざお金払ってまで読むような本ではないと思う。欲しい人いたら差し上げます。
谷崎潤一郎賞および平林たい子賞受賞作(これらの賞が文学界においてどれだけすごいのかは僕にはわからないけれど)。保坂和志は、これまで『プレーンソング』、その続編『草の上の朝食』と読んできたが、この作品を読んですっかりファンになってしまった。
この人の作品はどれも設定がうまいなあと思う(とは言え読んだのはこれで3作目だけれど)。機械的な翻訳しかできない翻訳家の主人公、交通事故で亡くなる妻、赤ん坊を妊娠し、主人公に父親になってもらうことを望んでいる妻の妹。しかも冬の間は"冬眠"してしまう。これで小説にならなかったら嘘だろうし、逆に言えば、だから小説なのだろう。
話はできすぎというか、王道のような感じもあるが、それでも随所に温かさを感じられるのがさすがだなと思う。どの場面をとっても、設定を含めて、バランスがすごくいい。もちろん、少なくとも僕はという話。どうでもいいことだけど、この作品の主人公は僕と下の名前二文字が同じで(漢字も同じ)、話に出てくるような呼び方をされたことがなくもないので、ちょっとだけ変な感じだった。
最近は「喪失感」やら「欠落感」が含まれた話を好む傾向にあって、重松清はそこから救ってくれるので割と気に入ってるのかなと。救われることを求め続けているのかもしれない。あまり精神状態としてはよくないんだろうね。仕方ない。
「喪失」がテーマの短編集で、表題を含む4作を収録。統一感があると言えば聞こえはいいけれど、悪く言えばワンパターン。しかも話の展開も似たり寄ったりなので、同じような話を素材だけ変えて扱ったようにも思える。とは言え、全体的にすっきりとしていてなかなか面白かったです。
一番良かったのは『ケンジントンに捧げる花束』。冥王星がプロットとなり、70年の時と、そして国境を越える。綺麗な話でした。
特徴的なのは様々な土地が物語において1つの大切な要素となってるところ。『ケンジントン』はイギリスで、あとはそれぞれ箱根、札幌と東京、ブリュッセルが舞台となっている。これらの場所に対する必然性みたいなものはおそらくないのだけど、細かな描写が、そこでしか起こり得ないのだと感じさせる。
きっと誰しも深い喪失の1つや2つぐらい抱えているもので、ある人はそれにうまく対処することができたり、ある人は置きっぱなしにしていたり。そしてそういう喪失があるからこそ、何か動き始める世界だってあるのだろう。きっと。
意味不明。超問題作。なんて一刀両断してしまうとも身も蓋もないのだけど、さっぱりわかりませんでした。1年半前ぐらいにルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を文庫本で読んだのだけど、救いようのない話としか思えなかった。この話は、その不思議な国のアリスの再来。
主人公の"きみ"は"僕"でもあって、歌手の"アリス"でもあり、アリスは元恋人の"有子"でもある。これだけでもさっぱりわかりませんね。思い返すだけで頭を抱えたくなるのだけど、その他にも誰が誰だかさっぱりわからなくなることがあって、結局全てはカオスの中に。
ただしこれを単に救いようのない話として片づけてしまうのは、あまりにも残念というか、もったいないとも言えるかもしれない。時間軸がぶれ、自己と他者とを区別する基準がぶれる。そして世界全体がぶれ始め、ものごとはある一定への道へと進み始める。もしかしたら盛田隆二はそんな道、もしくは道の先にあるものを探したいのかもしれないと読んでいて感じた。
時空に迷い込む、なんてかっこいいものではないけど、『不思議の国のアリス』のアリスが迷い込んだ穴以上に救いようのない世界が広がってます。
友人が教えてくれたので、ウディ・アレンを特集しているPLAYBOY5月号を買ってみました。池澤夏樹も書いているのだけど、彼の言葉にはとにかくウィットがある。どこかのCEOだか経済学者だったか忘れてしまったが、何かの本でウディ・アレンの言葉を紹介していることを覚えており、そのことからも、彼の言葉はコメディの世界だけにとどまるものではないことを示している。
インタビューによればあと16〜17年は映画を作り続けてくれるらしいので、ぜひとも頑張って頂きたいと思う。できれば恵比寿以外でやってもらいたいのと(恵比寿まで行くけどさ)、もう少し公開を早くしてくれると嬉しいかな。ロンドンが舞台の『マッチポイント』は今秋公開、次の『スクープ』は一体いつになったら日本で観られるんですかね。
〜ウディ・アレン特集内容〜
「最も引用される作家、ウディ・アレン」(池澤夏樹)
「ウディ・アレンを愛したアフロディーテたち」(井上一馬)
インタビュー:ウディ・アレン自身が全てを語る
『マッチポイント』裏話
インタビュー:スカーレット・ヨハンソン
コラム:太田光、香山リカ、くろすとしゆき、生島淳
「ウディ・アレン、愛を語る」
「誰も知らないウディ・アレンの素顔」
NY&ロンドン、デートマップ
ニューオリンズ・ジャズへの愛
文学・壁画を読み解く
シネマ・ガイド50
ほのぼのしていて良かったです。江國香織のこだわりというか感性を、いつもだったら女性の主人公が持っているのだけど、今回は三十歳を超えても2人で住んでいる兄弟が持っている。女性だとそれが1つの魅力になるが、男性だとちょっと風変わりになってしまうというのが面白いと言えば面白い。
ストーリーはこの風変わりでストイックな間宮兄弟、およびその周りで普遍的な恋愛問題が展開していく。何となく幸せの再定義をさせられた感じがします。ほんの小さな取るに足りないこと、平たく言えばどうでもいいようなことに溢れていて、でもそれがすごく心地よくて温かくて。気づいたらみんな間宮兄弟を好きになっている。
この話は映画化されていて、5月に公開予定だとか。前に予告編を見たことがあるのだけど、ほんわかしていて面白そうだった。
『プレーンソング』の続編。これも面白かったです。前回育ったキャラがいい感じでまたそれぞれ動いているのだけど、だからといってやっぱり特別なことは何もなくて。夏の終わりから晩秋までの至福に満ちた日々。
おそらくだけれど、話をそのままストレートに受け取れば、本当に何の変哲もない日々が描写されているだけ。ただし、見方によっては何か深いものがあるのかなとも感じる。やや笑い話として聖書やらニーチェなどの話題が出てくるが、実はすごいことを言おうとしているのかもしれない。何でもいいけど、突如ポンッと簡単に説明されてしまうとすぐにはそれを飲み込むことができない、そんな感覚とでも言うか。
ま、そんなに難しく考えることが似合う小説だとも思わないけどね。
冬の終わりから初夏、そして真夏の、海へ行く日まで。
何でもない話なのだけど、僕にとって衝撃的な小説だった。なんだろう、新機軸とでもいうのかな。1つの完結している世界、それでいてどこかに広がっている可能性。独特の文体によって綴られたこの本から、そんなものをずっと感じ続けた。すごく面白かったです。
他社との会話・関係性によってのみでしか語られない主人公。競馬が好きで、猫に餌をあげて、部屋に転がり込んできた3人と一緒に暮らしている。それだけ。自分が何らかのアクションをとったことを、そこに存在していることを示すとき、相手がいて初めて成立するのかもしれない。
そしてこの話は、ある限定された"時代"がそっくりそのまま切り取られているようにも思える。始まらなかったストーリー、始まりようのなかったストーリー、始まらなくてよかったストーリー。言葉にならないようなことが言葉になっていくことに、僕は知らずうちに快感を覚えていた。
最後の海での会話シーンは圧巻。読んでいて身震いがした。
「あの頃の21世紀は、もっと輝いていた―。」という帯のコピーがいい。小学生の時に埋めたタイムカプセルを掘り起こすのだけど、当時描いていた未来像と今の現実とは違って・・・というお話。
もう少し歳をとってから読んだ方が、より楽しめたのかなと思う。それでも話として引き込まれるところがあったし、色々と考えさせられてしまった。
良かったです。とても。久々にいい本を読んだというのがまず第一の感想。
物語は兄・弟・兄の妻・弟の彼女という4人の視点から語られ、春夏秋冬と1年が進んでいく。『パレード』を思わせなくもないストーリー展開だけれど、実に巧妙というか、とにかくうまい。何気ない台詞1つ取りあげても、うまいなあと思ってしまう。
人と繋がっていく何かって、言葉にするのはすごく難しいと思うのだけど、それがこの話には"なんとなく"描かれていた。なんとなく、ね。
パズルのピースをはめていくように、ここにはこれを入れて、あっちにはそれを入れて、みたいな感じで進んでいくが、そのうちどこに入れたらいいのかわからないピースが出てきたり、さらには、別のパズルのピースが混ざってしまっていたり。でもそれでパズルをやめるわけにもいかないし、今まではめてきたピースが失われることもない。例えば、そんな感じ。
吉田修一の"なんとなく"が、僕の何かを満たしてくれるのかな。とにかく読んで良かったなと思った本でした。
前回「12月前半に読んだ本」などという記事を書いてしまったので、後半も書かないわけにはいかなくなった。ただここ最近は電車の中でぐらいでしか本を読まなかったので、2冊しか読んでません。しかも1冊は読みかけ。それでもその2冊を紹介します。
12月ここまでに読んだ本、読み終えた本を紹介します。
秘密。 私と私のあいだの十二話
12人の作家が、同じ話を2つの視点から書いた短編集。合計24話。
A面小説・B面小説、Aを知ってるからBがあり、Bを知ったからAが映えてと、アイディアとしては面白いと思うが、1話4ページ前後なのでちょっと物足りないかな。あと気になったのが、個性のある作家が少ないんだなということ。面白いかどうか、好きかどうかは別として、存在感があったのは吉田修一と阿部和重ぐらいだと思う。
軽いので喫茶店なんかで時間つぶしに読むぐらいがちょうどいいのかもしれない。
星の王子さま/サン=テグジュペリ
集英社文庫から出た、池沢夏樹の新訳版。オリジナル版を持っているのだけど、『スティル・ライフ』の著者でもある彼の訳を読んでみたくて購入。これは完全に好みの問題だが、僕はこっちの方が好きかな。
結婚して互いの本を持ち寄った時、2人ともこの『星の王子さま』を持っていたというコラムを日経新聞の夕刊か何かで読んだのだけど、なんかそういう夫婦っていいよなと思う。
去年この話を数年ぶりに読んで、最後泣いてしまったのは秘密です(秘密になってない)。
天才数学者、株にハマる/J.A.パウロス
いわゆる今流行の株式HOW TO本ではなくて、数学的見地による市況の分析などについてがメイン。サブタイトルは「数学オンチのための投資の考え方」とあるが、数学オンチではこの本はついていけないと思う。あまり難しいことはいらないけど、少なくとも確率・統計が何たるかぐらいの知識がないと厳しい。
で、これはめちゃくちゃ面白かった。純粋な読み物としても、簡単な頭の体操になるかな。数学が好きで、株式投資を考えている人たちに勧めたい。
MBAバリュエーション/森生明
これは今月読み終えた本。夏前から読んでいたのだけど、何度も読み返したり、途中で止まったりして、時間がかかってしまった。
ポイントは「企業価値」で、企業という組織・仕組み(?)を、どう評価するかという話。論理的に、すごくわかりやすく書かれており、最後は例を挙げて、ある企業の買収(M&A)が妥当かどうかまで発展する。
企業にしろ社会にしろ、「価値」を知ることによって何か本質的な部分に迫れるのではないか、最近そんな風に考えてます。
面白かったです。たしか本屋さんが選んだオススメの本第一位。でもちょっと数学が多く出てきすぎなので、数学アレルギーの方は楽しめないかなあ・・・。ストーリー中に出てくる数式「exp(jπ)+1=0」、これをエレガントだと思える人はきっと気に入るはず。まあそんな人ほとんどいないと思うので、別に思えなくても大丈夫です。
以下数学の話が続きます。
まだ4日残っているけど、11月に読んだ本を紹介します。最近ペースが落ちてきているので、もう少し意識的に読んでいきたいと思う。自分から本屋に向かうということをしないとね。もしオススメがあったら教えて下さい。文庫本なら買います。ハードカバーは・・・。
細雪(下)/谷崎潤一郎
なんだかんだで、結局全部読むのに3ヶ月近くかかってしまった。長くて僕自身が疲れてしまったというのもあるのだろうけど、面白かったのは中巻までかな。あとはもう、この話はいつまでも終わらないのではないかと思いながら読んでいった。
でも内容は非常に興味深かったし、現代では失われてしまった世界が魅力的だった(さらに魅力的なのは、これは当時の現実とそうかけ離れたものではないということ)。きっと細かい時代背景を知ってるとさらに深いものになるのだろうが、全然知らない僕みたいな人間でも凄いと感じました。
ニッポンの狩猟期/盛田隆二
日本が混沌を極め、崩壊しきっている話。設定は近未来だが、これは現代そのものなのだということを言いたいのだろう。この世から秩序というものがなくなったら、果たして残るのは本当に暴力・ドラッグ・セックスだけなのだろうか。僕はそうだとは思いたくないけどね。
ただし、この著者がノンフィクションの話を元に書いた『リセット』の続きとしても何ら違和感がないところに、一抹の不安を覚えてならない。
五分後の世界/村上龍
面白くて1日で一気に読んでしまった。パラレルワールドと言っていいのかどうかわからないが、歴史上のある点から違う世界が築かれている。現実世界とのリンクが実に巧妙。
1つ1つの話の処理のさせ方が非常にうまいというか、あらゆる展開がその場限りで存在している。出し惜しみをしている部分がなく、常に100%という印象。色々と深読みするのは危険なのだろうなと思うので、ただこの「五分後の世界」に身を置きたい。
ラストでは僕が想像していたのと全く逆の文章が書かれていてびっくりした。
最近パラパラとめくってる本。とあるブログの紹介で僕は知ったのだけど、1988年発行でこれまでに52刷も出てるっていうのは、売れているのかな。
内容は、冠詞、名詞の単数・複数形、前置詞など、僕ら日本人にとって頭を悩ませる種となる話がきちんと説明されている。読み物なのでそんなにきちっとした文法書ではないけど、それが逆に理解しやすい。
1つ本文から例を挙げると、"Last night, I ate a chicken in the backyard."。この文章の問題点を指摘できる人は、この本はいらないでしょう。
受験英語や海外旅行程度ではここまで必要ないと思うけど、ビジネスなど実用英語レベルでは知っておいた方がいいかもしれません。僕はよくアジア系(日本人も含む)の英語の論文を読む機会があるのだけど、どうも違和感を感じてしょうがない。多分その原因の多くは、この本に書かれているところにあるのだと思う。自分もきちんとした英語を書けるように気をつけていきたいところ。
真面目に英語を勉強したい人にオススメ。読みやすいです。
僕の良くないクセの1つに、読み終えてないのに次の本を読み始めてしまうというのがある。そしてその本も読み終えることなく、また何かの機会に新しい本を買い、そっちの方に・・・。正しい本の読み方なんてないと思うけど、過去こんな風にして結局最後まで読まなかった本が何冊かあるので、良くないことなのだろうな。
今月は夏休みということもあって、何冊かまとめて本を買ったのだけど、やはり数冊読みかけの本ができてしまった。それを紹介。
パイロットフィッシュが面白かったし、ちょうど角川文庫の新刊で出ていたので読んでみた。最近は忙しくて本を読む時間をとれなかったというか、本を読もうという気になれなかったのだけど、久々に。

幽霊−或る幼年と青春の物語−/北杜夫
木精−或る青年期と追想の物語−/北杜夫
今日ずっと探してた本はこの写真の右、北杜夫の『木精』。
去年宮古に行くとき何か本を持っていきたいなと思って、僕にとって凄く大切な人に何かないかなと尋ねてみたら薦めてくれたのがこの写真左の『幽霊』。北杜夫なんて"どくとるマンボウ"でしか知らなかったから、凄く新鮮だった。
「人はなぜ追憶を語るのだろうか」という何とも素敵な出だしから始まるこの作品は、叙情的自伝とでも言うのかな、これでもかっていうぐらい表現に溢れていて、僕と共通するところなんてほとんどないはずなのに、なぜか懐かしい感覚に包まれた。砂浜で波音を聞きながら、たまにその人のことを考えたりしながら、大事に大事に読んでいった。今でも適当にパラパラとめくって少し読んだりする。
そしてこの『木精』はその続編。これも叙情的自伝といっていいのかもしれないが、恋人のエピソードが時折でてきてアクセントになっており、『幽霊』よりも読みやすかった。最後、その『幽霊』を執筆するところに繋がる話が書かれているところも面白い。
母親が図書館で偶然借りてきてくれたんだけど、読んでいるうちに、これも絶対に手元に置いておきたいと思って本屋に探しに行った。そういえば『幽霊』のときも文庫本1冊買うためにわざわざ横浜まで行ったんだよな。
きっともう一度あの頃に戻りたくて、感じていたときめきを取り戻したくて。
Bill Evans
| A Life Devoted to the Jazz Piano |
40ページ近くのビル・エヴァンス特集、そして別冊付録でジャズ・ピアノトリオのCD名鑑と永久保存版。
ビル・エヴァンス特集がされていたので月刊PLAYBOY6月号を買った。何のためらいもなく本屋で買ったんだけど、これポルノ雑誌の代名詞的存在だよな…。実際のところはよくわからないし、どうでもいいのだが、世の中のお嬢様方はPLAYBOYを買うことに少なからず抵抗があるんじゃないだろうか。男で良かった。
The SEA/Day by Day
Philip Plisson
世界で最も有名な海洋写真家(だと思う)、フィリップ・プリッソンの写真集。海に関係する写真が全365点。
この前ランドマークプラザ内の有隣堂(洋書の品揃えが豊富)でぶらぶらしてた時に偶然見つけた。一目惚れ状態だったものの、ちょっと値段が高いし、何より重いし・・・ということでその時は買わなかったんだけど、その後アマゾンで調べてみたら、なんと約3000円も安く買える!ということで即注文。大体35ドルに7000円近くの値段つけるのがおかしいんだよな…。アメリカから輸入したのかどうかはわからないけど、注文してから1週間で届いた。
空の写真集を買った。写真集というよりは図鑑みたいな感じで、6つの章(雲、水、氷、光、風、季節)から構成されており、写真と共にそれぞれ解説文が書かれている。普段何気なく見上げている空に、こんなにも名前があるなんて。本のサイズが少し小さめなのが残念だけど、いくつか見開きで綺麗な写真も収められている。
何でもない景色でも、もし浮かんでいる雲に名前がついていたのなら、感じる風に呼び名があったとしたなら、それはちょっとだけ特別なものになる気がする。切り出された風景が命を持つ。今まで通り過ぎていたものが、わずかの間かもしれないけど心にとどまる。一瞬だけ時を止められる。
それにしても。見上げたらいつだって空があるというのは、本当に素敵なことだと思う。
結婚したって、そこで恋愛が終わるわけではない。社会的に、法的に、それは一つの制度として成り立っているものの、婚姻届なんていう紙切れ1枚で人の心を縛り付けることなんて絶対にできない。ということで、幸か不幸か知らないけど、結婚は恋愛のゴールではないんだよというようなお話。多分。
アルケミスト 夢を旅した少年
パウロ・コエーリョ著
山川紘夫+山川亜希子=訳
少年の冒険を通して教訓めいたことがストーリー中にちりばめられているが、それほど難しく考える必要はないし、大切なことはそんなに多くないと思う。愛だとか夢だとかを忘れかけているときに読むといいかもしれない。こう改めて言葉にすると照れくさいものだけど、人は誰だって愛と夢のために生きてきたはずなのだから。
株の投資を題材にしており、小説としては斬新だと思う(あるいは僕がその手の本を今までに読んだことがなかったからかもしれないが)。ストーリーそのものよりも、華麗なる経済の仕組みが話を彩る。だが、しかし。面白くなくはないが、まあ二度とこの本を手に取ることはないだろう。正直に言って。
ぼくの飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にたくさんあるドアのどれかが夏に通じていると信じているのだ。1970年12月3日、このぼくもまた夏への扉を探していた。
(裏表紙より)
最近ワイドショーに良く出てる石田衣良。彼の作品を読むのはこれが2冊目。1冊目はちょっと問題ありのものだったので、何とかまとまったら紹介します。で、写真から分かるとおりこれは図書館で借りてきた。ちなみに『東京タワー』は友人に借り、『日曜日たち』も図書館。基本的に本は結構買ってる方だと思うけど、文庫本中心で。ハードカバーをばんばん買えるほど金銭的にも気持ち的にも余裕はないのである。
東京タワー/江國香織
恋はするものではなく、落ちるもの―
何だってこんな安っぽいコピーが氾濫してしまったのだろう。別にするものでも落ちるものでも、どっちでもいいと思う。大体そんな安易な否定をしたところで、一体何になるというのだ。
プレイバック/レイモンド・チャンドラー
清水俊二=訳
ご存知、村上春樹が敬愛するチャンドラー。彼の作品はどれもミステリーかつハードボイルドなわけだけど、これだけ少し違う。なんていうか、フィリップ・マーロウがちょっとだけ弱さを見せる。そこにどんな事情があったのか僕には知るよしもないことだが、もし読むのなら2,3冊彼の作品を読んだ後に読むことをオススメします。できれば『長いお別れ』の後がいい。
先月就職のことで息詰まり、精神状態があまりよろしくなかった時に読んだのがこの本。たいして暖かくもないのに、昼間公園のベンチでぽつりと本を読むなんて、明らかにやばいというかおかしかったのだと思う。
あとがきで訳者の村上春樹は、この作品を「現代の総合小説」だと称している。たしかにそんな感じがしなくもない。あれもこれもと色々と詰め込まれ、かつそれが違和感なく収まっている。ただし、それは時として、何もないのと等価である場合もある。きっとそれは僕らの現実世界と本質的に変わらない。

海辺のカフカ(上巻)/村上春樹
海辺のカフカ(下巻)/村上春樹
『海辺のカフカ』を読み返した。一字一句丁寧に読むのではなく、何となく適当にパラパラという感じで。他にも読むべき本は色々あるのに、どういうわけか僕はたまたまこの本を手に取った。
この話のいいところは、異なる2つのストーリーが、一方は外から中へ、もう一方は中から外へと進展していき、そしてそのどちらもある一点に収束するというところである。物事には順序と展開というものがあるということを伝えてくれる。
そして読む前は全く想像していなかったようなことを、僕は考えざるを得なくなった。

フィッツジェルルドが、
ピカソが、そして、
ヘミングウェイが、
愛した二人。
Living Well Is the Best Revenge/Calvin Tomkins
「優雅な生活が最高の復讐である」というのはスペインの諺らしいけど、思わず考えさせられてしまう。優雅な生活とは一体どういう生活を言うのか。そして何に対する復讐なのか。
愛の詩集 室生犀星詩集
収録詩集
・抒情小曲集
・青き魚を釣る人
・十九春詩集
・愛の詩集
・第二愛の詩集
・忘春詩集
・鶴
・昨日いらつしつて下さい
高2の時の現代文の先生が変わっていて、1年間の授業で室生犀星と梶井基次郎しか扱わなかった(気がする)。で、この『愛の詩集』は、その先生が収録されている年譜を手がけている。「買うように」と言われたので、純朴な僕はちゃんと買った。授業で扱った『抒情小曲集』や『愛の詩集』が、授業の配布資料ではなく、本という形で自分の本棚に収めておけることが嬉しかった。
信じた道を行くと
心に決めたとき、
この本を
開いてほしい―。
昨日この本を読み始めたらそのまま一気に最後まで読んでしまい、気づいたら朝7時を回っていた・・・。おかげで今日はせっかく素晴らしい陽気だったのに、昼間はずっとうとうとしてて、気づいたら日が沈んでいたというなんとも罰当たりなタケダです。
とは言え、凄くいい本だったと思う。あまり目に見えた教訓話というのは好きじゃないんだけど、ちょうど今の僕が必要としていたものだったのかもしれない。
9月の終わりあたりから、どういうわけか本ばかり読んでいる。数えてみたら、読み返したのも含めてこれが22冊目。他の人たちが平均としてどれくらい本を読むのかは知らないけれど、自分にとっては間違いなくこれまでで最高のペースである。きっと僕は何かを求めているのだろう。まあ、本を読むのに理由なんていらない気もするけど。
しかし江国香織なんて、高校生のときに読んだ以来である。どうして本屋で手に取ったのか自分でも不思議だ。彼女の作品はいい意味でも悪い意味でも、害がない。あきれるほど平和だ。でももちろん、時としてそういうものを求めたくなるときもある。ちょっとした1つ1つのことが、温かい、抱きしめたくなるような愛で包まれているのだ。それは寂しくて、悲しくて、切ないことと紙一重で。
「すぎたことはみんな箱のなかに入ってしまうから、絶対になくす心配がないの。すてきでしょう?」(本文中より)
結局買ったその日に読み切ってしまった。途中までそんなに面白くなかったけど、中盤以降一気に魅せられた。本当に「リアル」という言葉がよく似合う。この小説を楽しむには、無機質なお台場と、どこか寂しい品川の埠頭、そしてモノレールについて知っておくといいかもしれない。そういう情景がまざまざと頭に浮かんでくる。直接的にはストーリーに関係のないことかもしれないけど。
ずっとどこに向かうのかさっぱりわからなかったし、時系列がごちゃごちゃになったりすることもあった。ストーリーの中に、同じタイトルの物語を書く作家が登場してくるというのは、いささか興ざめだった。でも、最後はきちんと収束させているところがいい。そして純愛小説に収まった。
レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』を読んだ。たしかにフィリップ・マーロウは、チャンドラーを敬愛する村上春樹の小説に出てくる(かつての)主人公にそっくりだった。常に冷静な判断力を持ち、ある程度の(ときには物理的な意味での)力があり、女性に対してある種の魅力を持ち合わせており、キザな台詞を吐き、タフでストイックで、きちんと髭を剃る。模倣と言うよりは、オマージュと言った方が正しいのかもしれない。
アフターダーク/村上春樹「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」
村上春樹デビュー25周年の書き下ろし。朝10時すぎ、開店作業がまだ終わってない本屋で買い(既に何冊か減っていたような痕跡があった)、1時間程度大学までの電車の中で読み、同様に帰り家までの電車の中で1時間読み、帰ってきて夕食をすませたあと1時間弱読んで、読み終えた。時間は午後8時を少し回ったところ。以下少し内容に関係することも出てくるので、まっさらな状態で読みたいという人は見ない方がいいかと思います。