Scrapの最近のブログ記事


 社会人になって痛感してるのが、好不調の波がはっきりとあるのだということ。良いことがあるときは割と立て続けに起こるし、嫌なことも驚くほど連続して起こる。

 今日はとにかく朝から仕事帰りまで良くないことだらけで、もし昼休みの、同期と過ごした和やかなひとときがなかったら、思わずホームに接近する電車に吸い寄せられてたかもしれない。それぐらいひどかった。

 社会で生きるには、誰かと生き続けるためには、思い通りにならなかったり共感できないことがたくさんある。でもそんな我慢や妥協や見ないふりをしていて、自分自身は失われてないのか、時折不安になる。それでいいのか。納得できるのか。何か大切なものを忘れてないか。決して誰にも譲れない思いと誇りは残っているのか。

 器用に生きられない。要領よく過ごせない。僕が認められないことでも、それがそこにある種の正当性を帯びて存在しているのなら、多分僕がいけないのだろう。あとは自分が変わることを選ぶのか、行動を起こすのか。色々なシステムは一見ひどく複雑で、到底太刀打ちできないように思えるけど、実はひどくシンプルなことで支配されているのだと確信している。少しの勇気で、最初の一歩さえ踏み出せれば、あとは簡単だ。だから、僕は。

 明日はもう少しマシな日になってくれたらなと思う。そして僕はそうなるんじゃないかと、割と信じている。こんな偏屈な僕だけど、この世界に一人ぐらいは賛同者がいるかもしれない。だから今日もこうして生きている。


 僕の記憶が正しければ、明日からソフトバンクのホワイトプランなるものが開始される(記憶が正しくなかったらごめんなさい)。

 MNP対策のゴールドプランが何だか複雑怪奇だったので、今回の料金プランは「通話のみ」なら実にシンプル。

・1時から21時までソフトバンク同士の通話およびメール(SMS,MMS)送受信無料
・上記時間帯以外、および他社携帯・固定へは30秒21円
・月額980円

 パケット通信が絡んでくると面倒なことになるので省略するけど、これは魅力的だなあ。学生さんにとっては願ったりかなったりのプランじゃないだろうか。色々したらそれなりの金額になるけど、ポイントは携帯を持つために必要な最低金額がこれだけに抑えられること。僕も2台目として考えてしまうかも・・・。NOKIAのN73が欲しい今日この頃。「想像力に、翼を」。なんて格好良いコピーなんだろう。


 かつてアンパンマンについて書いたことがあるけれど、再度。あと1ヶ月で24歳ともお別れなので、その前に語っておきたいと思います。四捨五入して30になる男がアンパンマンを語るのもどうかと思うので(別に24だから良いという根拠は全くないのだけど)。


 何かの壁にぶつかったとき、自分に言い聞かせる言葉がある。

 「お前はこんなもんじゃないだろう?まだまだやれるだろう?」

 そうやって、ずっと必死になって答えを見つけてきた。見つけ出そうとしてきた。どうにもならないことだってたくさんある。その先に何があるかなんて、壁を登ってみないとわからない。それでも、あくまでも自分自身の力を、未来を、信じている。自分で自分を信じられなくなったら、それで終わりだと思うから。

cutslikeknife.jpgCuts Like a Knife/Bryan Adams

時がこんなに早く流れるなんておかしいよね
まだまだこれからだって言うのにね
これで終わりなんて嘘だろう?
まだまだこれからだって言うのにね
<The Best Was Yet To Come>

marooned.jpgMAROONED/LARRY LEE

最高の瞬間はまだまだこれからだよ
この言葉が本当だって
君は知っているだろう?
<The Best Is Yet To Come>

 デビッド・サンボーンのサックスが絶品。


nzroadb.jpg

 素敵な写真が満載のONE VISONのLOTUSさんから、旅バトンが回ってきました。ありがとうございます。


 本当にあっという間だった。

 就職活動はこの上なく辛かった。でもやっぱり、何度思い返しても、あれは僕にとって大切な経験だったのだと思う。もしかしたら何かを認めたくないからそう思いこんでいるだけなのかもしれないけど、一応、僕なりに時を過ごし、1つの選択肢を選んだ。

 研究室に居づらくなったのもこの年。僕を含めて、皆それぞれが勝手な事情を抱えている。トップが機能を果たさない。当然、組織は崩壊する。そういう状況を黙って見続けてきた。見てみないふりはできず、泥沼にはまりこんでいった。おそらく、自ら求めて。

 その後も状況が好転することはなくて、僕は不安を残したまま、研究室を去ることになる。かすかな希望さえないあの場所で、皆一体どういう時間を過ごしていくのだろう。そればかりが気になる。

 でも1つだけわかったこと。それは僕を見ていてくれた人が、どこかにいたのだということ。それは本当に嬉しかった。久々に人の温かさを感じた。

 そして自ら求めて、ある人と大きな約束をした。その約束は絶対に守るし、果たしてみせる。これからの人生をかけて。


 前期は授業が忙しかったことしか覚えてない。でも忙しかったけど、すごく楽しかった。学部の頃とは段違いだった。僕が求めていたのはこういうものだったんだなと、大学院で初めてわかった。

 ただし夏ごろから、前年の負のエネルギーで動き続けた反動が出てきた。今まで先のことを考えているつもりで実は全然考えていないことに気づいた。過去にこだわりすぎたのかもしれない。僕はあまりにも無力だった。

 でもそんなに悪いことばかりじゃなかった。むしろすごくいい1年だった。

 この年の秋は、今までの人生の中で一番素敵だったと思う。あのとき目にした風景、聴いていた音楽はいつまでも忘れたくない。いつか色褪せるとしても、たとえ一欠片でもこの胸の中に残しておきたい。それぐらい素敵だった秋。

 もうあんな時間は二度とないだろうなと思う。でも、それはそんなに寂しいことではないのかもしれない。多分。


 夢を失った年、なのかもしれない。

 かつて書いたように、僕はゴールデンウィークの連休後、宮古で潜って減圧症になり、沖縄本島で1ヶ月強入院した。医者に「ダイビングはもうするな」と、ドクターストップをかけられた。

 それまでずっとずっと、どこまで本気だったのか今では曖昧にしか捉えることができないけれど、それでも真剣に、僕はダイビングのインストラクターになることを考えていた。もしイントラになれなくても、例えば海の近くで暮らすことを夢見ていた。海さえあれば生きていけるような気がした。どんな困難がやってきても、一緒にいる覚悟を決めたつもりだった。

 甘かったのかもしれない。海が僕を拒んだのかもしれない。僕の居場所はここじゃないよと、十分すぎるぐらいな形で教えてくれたのかもしれない。夢はもろくも砕け散った。

 そんな喪失感を抱え、時はあっという間に流れ去った。もう何も残ってないんだな、なんていう思いとともに、言わば負のエネルギーで、卒論に取り組み続けた。きっとあのときが、研究面において僕のピークだったのだと思う。

 春に宮古に行った。僕の居場所は、まだあった。


 海に戻った。2年前にインストラクターをしてくれた人が突如メールをくれて、何度かやり取りをしているうちに、また潜ってみたいなという気持ちが芽生えた。

 2年ぶりに潜った海は、初めて潜ったときよりもずっとずっと素敵だった。ダイビングという行為を心から楽しめた。今までに経験したことのない、心の安らぎ。それは本当に心地よいもので、そこから離れてしまうことを体が拒んだ。

 そして何が正しくて何が間違っているのかがわからなくなった。自分が築き上げてきたものが、否定はされていないけれど、まるでそんなもの最初からなかったかのように思え、どうしようもない気持ちでいっぱいになった。帰りの飛行機で、元の世界に帰るのが嫌で自然と涙がこぼれた。

 ずっと答えを求め続けた。その答えは海にあって欲しかった。


 何もなかったような年のような気もするし、実は大切なことを見失っていた年のような気もする。

 授業なんてどうでも良かった。授業に出て、アルバイトをこなし、たまに友人や当時付き合っていた人と遊んだり。当たり前のような毎日が、実はとても幸せな日々なんだということに気づくのは、残念ながらずっと後のことだった。

 徐々に歯車が狂いだした。それはあまりにも自然だったので、狂いだしたことすら気づかなかった。そして目が覚めたときには手遅れ。僕には何も残ってなかった。

 こんなことを言ってもしょうがないけど、もしも大学4年間のどれかをやり直せるとしたら、この1年をやり直したい。今ならば、あの時自分は何を選べば良かったのかということがわかる。たとえそれによって、今のこの自分がなくなったとしても、その後悔よりは、この年の後悔の方が大きいだろうと思う。


 大学生活で最も楽しかったのは、大学1年の最初の2,3ヶ月だったと思う。授業なんか全然聴かないで、本ばかり読んでいた。理工学部の授業は大変だと高校時代に脅され続けていたけれど、はっきり言って全然たいしたことなかった。勉強面については、4年間特に苦労することもなく、自分のペースをつかめていたと思う。

 楽しい日々はすぐに終わりを告げ、夏頃から孤独と向き合うようになった。表面的なつきあいが嫌だったのだと思う。僕にしてみれば、誰もが孤独に対する不安を隠すかのように道化師を演じていた。中に入ってしまえば感覚が麻痺するが、一歩外に出て眺めてみると、いかにそれが滑稽かが手に取るように分かった。分かってしまったという方がいいのかもしれない。「皆でバカをやるのがかっこいい」みたいな雰囲気で包まれていたサークル。そんなの全然かっこいいとは思えなかった。

 夏休み、なんとなく沖縄の宮古島へ行った。初めての一人旅。そしてすることなんて何もなかったので、ダイビングのラインセンスを取った。それは僕の好奇心を満たすには十分なものであったし、とても素敵な体験だった。ただし、それだけだったのだろう。その後2年間、僕は海に潜ることはなかった。

 1年間が終わろうとする頃、早くも高校の同窓会があった。みんな変わってなかったのがすごく嬉しかったし、変わらなくてもいいんだと安心した。それはすぐに間違いだと気づくのだけど、僕らの間には、変わらなくていい何かがあると今でも思っている。


 少しずつ、高校生活が終わりに近づくにつれ、何かが変わっていったのかもしれない。

 学校の授業でも、アルバイトでも、友達と一緒にいる時でも、どことなく1つ1つが違うように感じてきた。高校生活が終わるんだということを意識していたのかな。何かしたいんだけど何もできなくて、そんな自分がひどくもどかしかった。

 大学へは受験をすることなく、推薦で進学できることが約束されていた。僕はその大学に小さい頃から何となく行きたいなと思っていたし、この高校に進学するときには、その大学に進学することを前提として考えていた。

 ちょうど携帯電話やインターネットが爆発的に普及し始めた頃。情報というものが大きく変わりつつあり、それは僕にとって大きな衝撃であった。一体この先には何があるのか、それを見守りたくて、大学では通信の勉強をしようと決意した。

 そして僕は第一志望だった学部の学科へと進学を決めた。卒業式では、これでお別れだなんていう気持ちは全然なく、皆と一緒にまた同じ大学で頑張っていくんだと感じていた。そしていつでも会えるんだって。


 少し中だるみがあったことは認めざるを得ない。片道2時間かかる通学がだんだん嫌になってきて、漠然と、時間が過ぎ去っていくことだけを願っていた。

 中学の時から付き合っていた子がアメリカに行ってしまった。彼女はまだ日本に帰ってきていない。今後帰ってくるのかどうかもわからない。それが僕らが別れた原因なのかどうかは知るよしもないけれど、最後、何も言葉をかけることができなかった。見て見ないフリをしたかったのかもしれないし、会わせる顔がなかっただけなのかもしれない。残念ながらもうほとんど顔を思い出すことができないし、二人でいた思い出も消えつつある。彼女も同じであればいいなと思う。

 そしてこの年、僕は角松敏生に出会った。それはあらゆる意味で僕にとって大きな意味を持つものだったと確信している。目の前に広がっている素晴らしい音楽の世界に、心からワクワクした。それで少し自分を取り戻せたのかもしれない。この時から常に、僕の生活には、そこには、音楽があった。


 本当のことを言えば、高校受験、僕は第一志望だった高校に落ちたのだけど、第二志望より下の4校は受かった。戦績で言うと4勝2敗。第一志望と言っても、その一番の理由は家から近いからという理由だったから、特別その高校でなければいけないということではなかった。そして、第二志望だった高校へと進学した。

 願書をもらいに行ったとき、この並木道を歩けたらなと思っていた。その並木道を実際に歩いて校舎に向かえるというのはやはり嬉しかった。通学には家から2時間たっぷりかかったけれど、僕は、自分で選んだ、つかみ取った選択肢に満足していたのだと思う。

 あらゆる意味で、高校生というのは、僕の青春時代そのものだった。当時はそんな実感全然なかったが、今はそう思う。

 色々なことが一気に過ぎ去っていた1年間。あまりの速さに自分の立ち位置を見失いかけたけれど、それまで自分が蓄積してきたことが通用するところが少しあって、ギリギリ踏みとどまれていた。ここは中学の延長ではないんだなということだけはわかっているつもりだった。そういうのが良かったのかもしれない。

 目の前のことに割と必死で、でも、それはそれで充実していたし、怖いものなんてほとんどなかった。色々なことが輝いていた。


 今年は100を優に超える数多くのコメントをいただき、数人の人からはメールまでいただきました。心から嬉しく思います。そうやって何らかのレスポンスをしてもらえると、月並みだけど「ブログを書いてて良かった」なんて感じたりします。ひそかに読んでくれている方も、どれだけいるのかわかりませんが(いないかもしれないけど)、ありがとうございます。僕としては読んでもらえているだけで十分です。

 たまに過去の記事を読み返したりするのだけど、やっぱり下手な文章だよなと思います。自分で読んでて恥ずかしいのもあるし、全然納得がいかない。じゃあなんでそんな文章を公開しているのかと言われれば、答えに窮するのですが、皆さんが読んでくれているから、としか言いようがありません(ちょっと矛盾してますが)。
 読んでくれている人がいるのだから、それに応えるのが義務だろうと、今年のある時から義務感みたいなものを感じるようになりました。でもそれは僕にとって決して窮屈なものなんかではなく、「読んでくれてありがとう」という感謝の気持ちがベースにある嬉しいものです。毎日楽しみながら、このブログを書いてます。

 来年は僕もいよいよ社会人に、一介の大学院生から、メーカーの研究者になり、新たな生活が始まっていきます。これからも読んでくれている人に楽しんでもらえるよう、価値を与えられるよう、少しずつ頑張っていきたいと思ってますので、もしよかったら、来年もよろしくお願いします。

 1年間本当にありがとうございました。良いお年をお迎え下さい。

2005.12.31 K.Takeda


 今年の現時点までの総エントリー数は675。塵も積もれば山となるとは本当で、いつの間にこんなに・・・という感じです。その中から関連性のあるもの、僕にとって大きかった出来事(の一部)をまとめました。
 本当は加筆・修正でもできるといいのだけど(すごくしたい)、そんなことしてると年明けに間に合わないので、何もしてません。というか、ほとんど自分のためです。もしよかったら、僕と一緒に2005年を振り返ってみて下さい。


 人は、自分が受け入れたくないと思うようなこと、そしてそれが明らかに正しいと思われることに出会ったとき、一体どのような行動をとるのだろうか。なかったことにする、目を背ける、反発する、諦めてありのままを受け入れる・・・。いずれにしろそれは難しいこと。そんな文章に出会ってしまった。困ったな。

 それが論理的説得力をもつもので、反論の余地がなく、また歴史が正しいと証明していたとしたら。まだそこまでの判断はできないのだけど、考えれば考えるほど正当性を帯びてくる気がする。もしそうであれば、受け入れられない僕は単なる愚か者、あるいは綺麗事しか言わない理想主義者ということにでもなるのだろうか。

 僕がその文章に対し「いや、そうじゃないんだ」と言いたいのであれば、僕自身が実際にそれは違うと証明してみせるしかないのだろうと思う。果てしなく長く厳しい戦いが始まりそうだ…。僕が勝手に意識しているだけなのだけどね。まあ人には譲れないものの1つや2つぐらいあってもいいじゃないですか。
 いつまで僕がその信念を持ち続けられるか。変わらないでいられるか。さあ始まり始まり。人生ってこんなことばかりだね、しかし。


 2005年のエアライン・オブ・ザ・イヤーに輝いたSKYTRAX社実施)というキャセイパシフィック航空。このSKYTRAX社のWebサイトによれば、キャセイパシフィックの評価は当然5つ星、その他5つ星の航空会社はマレーシア航空、カタール航空、シンガポール航空のみ(日本のJAL、ANAは共に4つ星評価)。

 僕はこの夏ヨーロッパに行ったとき、成田から香港、香港からロンドン(復路は逆)とこのキャセイパシフィックに乗ったのだけど、正直に言ってそこまで良いという感想は抱かなかった。はっきり言ってBritish Airways(4つ星)の方がずっと良かったし、ニューヨークに行ったときに乗ったコンチネンタル(3つ星)と同等ぐらいだと感じた。もしかしたらこれは飛行機の機体のせいなのかもしれないけど。でも、サービスもそこまで良かったとは思えないな…。香港で搭乗するとき意味不明な英語で問いただされたのは正直不快だった。

 ともあれ、部屋にキャセイパシフィックのアメニティが転がっていたので、それを紹介します。


 先日はBlogPeopleの「今日のラッキーサイト」に選ばれ(そしてModern Syntaxで紹介してもらえ)、たくさんのアクセスを頂きました。ありがとうございました。
 ちょうど何となくアクセスログでもとってみるかと思い設定したところだったので、どこから飛んできたのか一目瞭然だったのですが、とんでもない状態でした。間違いなくblue jam開始以来の盛況ぶりだったと思います。


makeone1.jpg 僕の就職活動に決定的な影響を与えた1冊を紹介したい。リクルートから送られてきた1冊の冊子。この冊子を読み、心がいっぱいになった。涙が溢れてきた。そして、エンジニアになることを決意した。


 最後。無事退院して、沖縄から東京まで船で帰った。2泊3日!特別な事情がない限り二度と乗りたくない。時は金なり。
 ちなみにこの後、世田谷区にある自衛隊中央病院という病院の医師を紹介してもらったので、しばらくそこに通い続けた。治療らしい治療はなかったけれど(ビタミンB12を処方されたぐらい)、帰ってきた頃に比べたら症状はずっと良くなった。今はもう全然何ともないです。


 退院日が決定。100%完治じゃないのに退院ってどうなんだろうと思ったのだけど、さすがに帰りたいという思いも強かった。野球放送で横浜スタジアムとかが映る度に、自分の街が恋しくなってた。


 入院1ヶ月。単調な毎日だったので、それほど長いとは感じていなかったと思う。たしかにやることがなくて暇を持て余していたのだけど、何もすることがない(できない)時間というのは僕にとって凄く大事な時間になった。もちろん今思えば、という話です。


 そろそろ終盤。たしかこのあたりに退院の話が出たと思う。そして人間関係の大切さが身に染みた。何にも代え難い財産だよね、きっと。


 退院の話が見え隠れ。あまり他人をイニシャル表示で表記することなんてないのに、あえてそうするとは・・・そういうことです。


 ちょっとネガティブ。先も見えないし、症状も回復しない。開き直るしかなかったのだろうな。


 脳梗塞とかさらりと凄い言葉が出てきてます。本当に何もなくて良かったと思う。治療も何もされないのに病院にいなければいけないというのは、精神的に辛いです。


 うまくいけば早くも退院という話だったが、うまくいかなかったので退院延期。このこと自体はショックだったけど、実はこれはこれで悪くなかった。その話はこの後の展開で少しわかるのではないかと。


 入院生活は退屈との闘いでもある。午前に治療を受ける以外、何もすることがない。それでも1日,1日が過ぎ去っていくわけで、なんだかどうしようもない気分でいたことを記憶している。


 ようやく歩けるように。でもちょっと足を引きずりながらだったかな。親にノートパソコンを持ってきてもらったのもこの時。すなわち今までの日記はこのあたりでまとめて書いたもの。偶然NTT DoCoMoのPHSの定額サービス@Freedに加入していたのに本当に救われた。


 ようやく回復の兆し。でも、今考えると相当やばかったなと思うのだけど、親が買ってきてくれた雑誌とか全然頭に入らなかった。文字を読む(認識する)ことはできるものの、それが文章として理解できない。
 ただ、不思議と当時は自分が一生このままとか、直らないとか、そんなことは全く考えなかった。その辺のポジティブさが良い方向に働いたのかもしれない。一応あらかじめ言っておくと、今は全く問題ないです。


 そんなわけで沖縄の病院に1ヶ月以上も入院することになったのだけど、凄くついていたこともあった。何より大きいのが、小浜先生という潜水医学(?)では非常に有名な医師に診てもらえたということ。偶然宮古のチャンバーが壊れていて良かった。この先生でなければ、僕は今頃普通に歩けなかったかもしれないし、まともな思考をすることもできなかったかもしれない。1つの可能性としてだけど。とにかく不幸中の幸いというか、非常に幸運だった。
 そしてもう1つ・・・それは後々わかります。

 ちなみに、当然ながらこの頃の日記は後日思い出しながら書いていったものです。右半身が麻痺していたのだから、キーボードなんて打てるわけがない。


減圧症:水中など高圧環境で作業する者が水上や地上に急に戻ったとき、血液に溶け込んだ窒素が気泡化して起こるガス塞栓症。関節痛・筋肉痛、皮下の小出血、運動知覚障害などが現れる。ケーソン病。潜水病。(大辞林より)

 2003年5月、宮古島でダイビングを楽しんでいるときに減圧症になりました。治療のため1ヶ月強沖縄本島の病院に入院。その時に書いていた日記を公開します。


enoshima2001.jpg

written in the summer of 2002


written on Apr. 20th, 2005

 昔、海が僕の全てだった頃、僕にダイビングの面白さを教えてくれたインストラクターの人に「タケダくんってダイバーにしか見えないけどな」と言われて、凄く嬉しかった。そりゃダイビングの客としてしか彼女とは接してなかったから(ご飯は食べに連れていってもらってたけど)、当たり前と言えば当たり前なのだけど、それでも嬉しかったし、未だにその言葉は僕の心に残ってる。

 色々とあったけど、やっぱり僕にとって海に潜っていた時間というのはかけがえのないもの。いつまでも大切にしていきたい。もう潜れないのかもしれないけど、水の中で見た世界や光、感じたものはきっと一生忘れないと思う。

 引き出しを整理してたらライセンスのカードがいっぱいでてきたため、ちょっと紹介。このカードを発行しているのはPADIという世界で一番大きいスキューバ・ダイビングの団体で、他にも色々な団体があるけど、ダイバーのほとんどはこのPADIのお世話になってるはず。


written in June, 2005

 おっちょこちょいというか、天然というか、何も考えていないというか。就職活動、振り返ってみれば何でそんなことを・・・と思えるような行為が多々ある。その中の一握りを紹介。


written on Apr. 10th, 2005

 就職の推薦のことで、学科の就職担当と面談を行ってきた。これで推薦候補が選ばれるとあって皆それなりに緊張して臨むのである。で、その時の服装のお話。


Adam Smith said the best outcome for the group comes from everyone trying to do what's best for himself. Incorrect. The best outcome results from everyone trying to do what's best for himself and the group.

John Nash

 ゲーム理論やビューティフル・マインドでおなじみ、ジョン・ナッシュのこの言葉が好きである。

 アダム・スミスは、個々が自分のための最善を追求すれば(資本主義)社会全体が最善の結果を得られるとしている。しかしジョン・ナッシュはそれは間違いだとし、最善の結果というのは、個々が自分のため及び全体のための最善を追求した結果によって得られるとした。

 これは何も経済のことだけではなくて、様々なところで応用が可能。事実、世の中の多くはこんな風に成り立っていることがわかる。もちろん何を最善の結果とするのかということ自体議論できる内容なので、そう簡単なことではないのだけれど。でも意外と、世界というのは単純なものでもあり、あまり難しく考えない方がうまくいく場合が多い。
 だから何が言いたいかというと、僕だって自分と社会のための最善を求めていけば、それが社会(当然それは僕も含む)にとって最善の結果に繋がるということ。うーん、なんとも素晴らしき世界!


 大学・大学院に入ってもう6年目。小学校で言うと6年生なわけで、そんなにも時間が経っているという事実にびっくりする。小学校の6年間なんてめちゃくちゃ長かった気がするのに。中学・高校でも6年間。その時間と同じ?いやいや、嘘だろうと思う。

 ともあれ、大学に入ってから今まで色々な人と出会ってきた。その中でも素敵だなと思った先輩二人のことを書きたい。なんでそんな気になったのかは自分でもわからないのだけど。


PICT0923.jpg

 いよいよ5月、そして6月内々定をもらうまで。残念ながら感動に包まれたクライマックスみたいなものはないけど、ラストです。


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 一応前もって言っておくと、3月から6月の間、受験したのはわずか3社のみ。危機感なさすぎだろう…。でも、それ以上に、どうすることもできない状態だった。そのことについてはこちらを参照下さい。
 ということでほとんど動きはないのだけど、なぜか文章は長い。僕の就職活動の「核」となった3月、4月のお話。


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 気づけば半年以上にも渡った就職活動。これを一気に振り返ってみたいと思います。長くなってしまったので三部構成に。まずは前編ということで、昨年の11月から今年の2月まで。


 前に配属先が決まっていると書いたけど、内定をもらった企業の研究所への配属が決まってます。大学を出た後も無線通信の研究を続ける予定。ということで、研究者になります(白衣は着ないよ)。


 4月1日は多分全国的に入学式。ということで僕の学年も1つあがるわけで、ついに修士2年。M2。そしてほぼ間違いなく今年度が最後の学生生活。18年目である。せっかくなので、なぜ僕が大学院に進んだかを書いておこうと思う。


 1周年記念ということで、ブログ名であるblue jamという名前の説明を。


 そうです、1周年です。気づけばこの1年で書いた総エントリ数は464(公開しているのは452だけど)。自分としては、よく飽きもせずこれだけ書いてきたなという感じです。
 何度となく宣言しているけれど、このブログは皆に楽しんでもらうなんてことは全く考えていません(最近は心情吐露ばっかりだし、中には多分意味不明なものも多々あるだろうし…)。1人でも2人でも構わない、僕の考えていることを受け止めてくれ、それについて何か感じてくれる人に見てもらえればいいな、と思って始めました。だからはっきり言ってアクセス数なんて一桁でも全然構わない、でもその訪問者のアクセス元はできれば同じリンク先(もしくはブックマークなど)であって欲しいなという思いがあります。
 この1年、結構大きな心境の変化もあったりして、割とダイレクトにそれが表れているんじゃないかと思います。あとは文章としては全然まとまっていないんだけど、よくこんな言葉思いついたよなと思えるものがあったり。きっとその時だからこそ、あらゆる条件が重なったからこそ頭に浮かんでくる言葉・フレーズみたいなものがある。それらをこうやって1つの記録として残すというのは、僕にとってそれなりに意味を持つものとなりました。そんな行為が正しいのかそうではないのかはわからないけれど、今のところはとりあえずもう少し続けたいと思ってます。
 これまた繰り返しになるけど、見てくれている人には心から感謝しています。ありがとう。これからもたまにのぞいてもらえるならば、僕としてはそれに勝る喜びはありません。


 昨日弟が僕が使ってないスーツ用のベルトを欲しいと言ってきたので、何に使うのだろうと疑問に思ってたら、今日は成人式だった。すっかり忘れてたけど弟も今年の二月で二十歳なのである。
 横浜市の成人式は、横浜アリーナで行われる。人数が多いので、区によって午前・午後に別れて。僕も3年前、友人に誘われて行ってきた。でも成人式に行ったのには、実はもう1つ理由があった。


僕の話を聞いてくれてありがとう
忘れかけていたものを思い出させてくれてありがとう
僕を誘ってくれてありがとう
僕に会ってくれてありがとう
とびっきりの笑顔をありがとう
素敵な時間をありがとう
言葉にならない幸せをありがとう
他の何にも勝る喜びをありがとう
温かい確かな光をありがとう
ありのままの僕を見てくれてありがとう
目に映る全ての風景を変えてくれてありがとう
ポケットの中の自信と勇気をありがとう
素敵な本と音楽と映画を教えてくれてありがとう
いつまでも色あせない記憶をありがとう
僕のわがままにつきあってくれてありがとう
雨を大好きにさせてくれてありがとう
胸に残る言葉をありがとう
大切な優しさをありがとう
耐えきれない胸の痛みをありがとう
心のときめきをありがとう
夢を教えてくれてありがとう
過去も現在も未来も全部ありがとう

本当に、本当にありがとう


 この前友人に好きな女性のタイプを尋ねられた。僕が選り好みできる立場にいないのはまあ置いておくとして、「ないよ」とその場は適当に切り抜けておいた。ちょっとひっかかっていたのでその後少し考えたんだけど、やはり「ない」という答えしか浮かばない。
 ありきたりな言葉だけど、やはり好きになった人が、自分の好きなタイプなのではないかと思う。これは僕の経験的なもので、もしかしたら絶対にこの要素を満たしていなきゃダメという人もいるのかもしれない。しかし僕に関して言えば、そういった必須条件みたいなものはない。もちろん全体的な傾向としていくらかはあるものの、それがなかったところで、特に問題はない。そんなもの相手によっていくらでも変わる。
 ただし、これは二十歳を超えた辺りから意識し始めたことなんだけど、十代の頃のような理由もない恋なんていうのはもうできないんじゃないかとも思う。もちろんあらゆる自然法則と同様、例外はあるけれど。負わなければいけない責任もそれなりに大きくなったし、色々なしがらみだって出てくる。結果はまた別の話として、少なからず未来に影響を与える。好むと好まざるとに関わらず。
 だから、タイプという話からは少し逸れるが、これは女性というか人間としての好みだろうけど、僕は自分できちんと物事を考えられる人が好きである。自分と対等な立場にいて、お互いにリスペクトできる人。素敵な感性を持っている人。価値観の合う人。絶対に自分が妥協できない部分があるんだけど、そこの領域に入ってこられる人。一緒に未来に向かって歩いていける、互いの人生を高められる人。こんなこと言うと周りにひかれるので、普段は口にしないんだけどね。そんな人いないよ、というのはごもっともな意見です。


 18の夏、ふらりと行った宮古島で、意を決してダイビング講習の問い合わせをしたのが偶然このお店。あれから4年、SEA DANCERは僕に色々なものをくれた。潜れなくなってからも僕のことを大切に扱ってくれていた。僕はそれが何よりも嬉しかったし、そして辛かった。
 宮古にはお別れをしたけど、多分僕が一番別れの言葉を言わなければいけないのはこのショップの人たちだろうと思う。こんな形で申し訳ないけど、口で言おうとするときっと涙で言葉にならないだろうから。


 ジョン・レノンの命日。いつからか、この日を忘れることができなくなった。
 僕の生まれる1年前に亡くなったジョン。世界は平和とはほど遠い状態だけれど、幸いにも、あなたの歌はまだ世界に流れ続けている。ジョン、ときどきもしあなたが生きていたらと考えることがある。きっとあなたの歌は、世界を救うことはなかっただろうけど、僕らを救い続けただろう。
 ジョン、あなたが今この世界にいないことが残念でならない。


 近所にあったお気に入りの喫茶店がなくなってしまった。突然解体作業が始まり、現在はまた新しい建物が建てられようとしている。もしかしたらこの喫茶店の改築なのかもしれないし、全然別の店になるのかもしれない。
 僕がこの喫茶店を知ったのは、たしか1年ぐらい前だったと思う。なんとなく入ってみたら結構居心地が良かったので、その後もたびたび利用してきた。最初は数ある喫茶店のうちの1つと同じように思っていたが、いつの間にか僕にとってちょっとした特別な場所になっていた。
 ただ、この喫茶店には少々問題点があった。僕の知る限り従業員は3人で、そして皆それぞれ、違う味のコーヒーを出すのである。一人はおそらくオーナー、これはもうとびっきり美味しい。何度も足を運んでいるので顔見知りとなり、彼とはたまに世間話をしたりもする。すごく落ち着ける時間だ。2人目の人は、なんとなく懐かしいコーヒーを出す。絶品というわけではないけど、「これだよな」と思えるような味。そして3人目の人は、その店のコーヒーであることに変わりはないのだけど、僕はあまり好きじゃない。コーヒーとしては多分文句のないものだろう。しかし僕にはそれが受け入れられない。そのことを残念に思うし、寂しい気持ちになる。ただ、いつこの人がいるのかを把握しきれていないので、僕に残された道としては、何となく理不尽だけど我慢し続けるしかない。このコーヒーを飲みたくないからといって、たまに飲める素晴らしいコーヒーの味をあきらめることもできないのである。
 今は、どのコーヒーも飲めなくて、何となくホッとしている状態だ。勝手な期待を抱くこともないし、期待を裏切られることもない。平穏である。ただ、もし再びこの店が再開されることになれば、僕は必ず出向いてしまうのは間違いない。その結果、どれだけ失望させられることになったとしても。


 今回の旅は、最初から寂しいものになるとわかってた。それでも、僕は行かなくてはいけなかった。きちんとお別れをするために、さよならを言うために。宮古に行くのはこれで8回目。最後にするには悪くない数字だ。
 僕はこの島を必要としていた。心のどこかで救いを求めているとき、ここに来ればきっと何かを見つけられると信じて疑わなかった。その度にこの場所はいつも僕を温かく包み込んでくれたし、たくさんのものを与えてくれた気がする。それが何なのか具体的に言葉にすることはできないけれど、それは僕の心の奥深くでひっそりと、しかし燦然と輝くものであった。僕の中に存在する様々なものがここに帰結していたし、それと同時に繋ぎ止めておくための中継点であり、そして出発点でもあった。
 でも僕が前に進むためには、このままじゃいけない。物事には引き際がある。認めたくはなかったけれど、そういう気持ちが確かに僕の中に存在していて、それはどんどんと大きくなっていた。区切りをつけなきゃいけないなと確信を抱くほどまでに。まだまだやり残したことはある。できるものなら、いつまでもずっと一緒にいたい。でもハッピーエンドで終わりたい。だからお別れを言うんだ。
 初日から全ての景色が、18の夏に目にしたものとは、あるいは20歳の時に再び見たものとは、少しずつ、しかし確実に変わっていた。それは僕が変わったからなのかもしれないし、実際にこの島が変わったからなのかもしれない。どちらにしろ、僕はもう18でもなければ20でもない。もうあと2ヶ月もしないうちに23になる。あの頃の僕ではない。変わることが正しいのかそうでないのかですら僕にはわからないけど、やっぱり変わらないものなんてただの1つもない。そのことだけはわかる。
 ことあるごとに「最後だよ」と自分に言い聞かせていた。温かい島の人たちが、美しすぎる風景が、何よりもつらかった。僕は、誰よりもこの島のことが好きだった。それは他の何よりもシンプルなことだ。いい面も悪い面も、僕なりにいろいろと見てきた。それでも好きなんだよ。光速がいかなる場合においても不変であるように、ただの1つの例外もなく。
 またいつか、きっと会える日がくることを楽しみにしてる。僕が帰ってくるべき場所だろうなという予感はある。だからひとまずお別れだ。僕はもう少しタフになってくる。どこまでやれるかわからないけど、精一杯生きてみせる。ずっと探し続けている答えを、完全な形ではないにしろ、何かしらのことを見つけてくる。その時はまた僕に微笑んでくれるだろうか。温かく受け入れてもらえるのだろうか。わからないけど、僕はもう前に進むしかない。
 チャンドラーが言うように、さよならを言うことは少しの間死ぬことなのかもしれない。でもそれと同時に、何か別のことが生まれることでもあるはずだ。1つのものが失われたのなら、その空いた場所に何かをいれてみればいい。いれなきゃいけない。僕の存在理由はそんなところにあるのではないかとも思う。終わってはいないよ、始まってもいないんだから。

2004.11.3


 どうやったら人魚に会えるか知ってますか?僕は知っている。というか、少なくともこのページを見てくれている人は、既にその方法を目にしている。このブログの“blue jam”の上にごちゃごちゃっと書いてある文章、これが人魚に会うための方法だ。
 この言葉は、ダイバーのバイブル的な映画である“LE GRAND BLEU”に出てくる台詞である。この映画はどうも全体的にバランスを欠いているような気がするんだけど、それでもダイバー達は大体これに惹かれて海に潜る。もちろん僕も例外ではない。
 今さらだけど、この言葉を取りあげようと思う。心のどこかにとどめておけば、もしかしたら人魚に出会えるかもしれない。

Do you know what you're supposed to do to meet a mermaid? You go down to the bottom of the sea where the water isn't even blue any more. The sky is only a memory. You float there, and you stay there. And you decide that you'll die for them. Only then do they start comin' out. They come, and they greet you, and they judge the love you have for them. If it's sincere, if it's pure, they'll be with you. And take you for ever...

 人魚に会うためにはどうすればいいか知ってるかい?まずは海の底まで行くんだ。そこはもはや水の青さはなく、空は記憶でしかない。そこに留まり、彼女のためなら死んでもいいと覚悟を決める。そのとき初めて彼女は姿を現し、君を迎えてくれるだろう。そして彼女に対する愛が確かめられる。それが誠実で、純粋なら、ずっと一緒にいてくれる。永遠にね。
(Translated by K.Takeda)


When you get caught
Between the moon and New York City
I know it's crazy but it's true
If you get caught
Between the moon and New York City
The best that you can do
The best that you can do
Is fall in love

月とニューヨーク・シティの間に
はさまって捕まったら
ちょっとクレイジーだけど、本当なんだ
そう、月とニューヨーク・シティの間に
はさまって捕まったら
一番いいのは
君にできる最善のことは
恋におちることさ

(Arthur's Theme/Christopher Cross 訳:山本さゆり)

とりあえずニューヨークに行かないとな。


会えない時間の空白を 記憶の糸で繋ぐなんて
むき出しの青い空見上げ 思った一人になろうよ なれるよ
(砂の時計/上田まり)

 のんびりとしたリズムに、懸命な彼女の声が穏やかに響く。一瞬だけそれは僕の心に伝わり、そして曲の終わりと共にすっと姿を消す。まるで初めから何もなかったかのように。でも僕は、ふとした瞬間それを思い出し、その温かさを感じる。多分いつまでも変わることなく。


 MP3全盛期の時代だけど、昨日は2人の大切な人からもらったカセットテープを久しぶりに引っ張り出して聴いていた。中学の時に買ったウォークマンがかろうじて動いてくれて良かった。リモコンは壊れていて、充電池も充電器が見つからなかったけど、なんとか乾電池で駆動した。気をつけないと、そのうちメディアはあるけど、それを再生する術がないなんていう事態に陥ってしまうかもしれない。
 1本はMY LITTLE LOVERのヒット曲を集めたテープ。このテープをもらったのは高校生のとき。彼はもう就職してしまったんだけど、それでもこんな僕とたまに会ってくれる。最近マイラバは何をやってるのかな。中学時代にかなり流行っていて、どこもかしこもマイラバだった気がする(というのは言い過ぎか)。学校で隣の席に座ってた女の子が、凄く綺麗な声で「hello, again」を歌っていたのを今でも覚えてる。あのときの色々な場面がよみがえってきて、しばしタイムスリップ。
 もう1本はZARD。これは高校生の時に付き合っていた子がくれた。彼女が今どこで何をしているのかはわからない。アメリカに行ったというのは知ってるけど、今もアメリカにいるのかもしれないし、もしかしたら日本に帰ってきているのかもしれない。他の国に行っているのかもしれない。まあ正直な話、今となってはどうでもいい。いい思い出である。カセットテープには、A面とB面がある。どういう曲順にしようか、どうすれば片面の収録時間以内に収まるのだろうか、そんなことを考えながらテープに曲をダビングする。そんなことを考えながら、(多分)僕のためだけに作ってくれたカセットテープ。なんていうか、宝物という言葉がぴったりである。

 「できたばかりの僕のカセット聴かせてあげる」(All My Loving/福山雅治)
 「名曲をテープに吹き込んであの向こうのもっと向こうへ」(イージューライダー/奥田民生)

 たまにはテープに耳を傾けるのも悪くない。


 イタリアGPは序盤波乱の連続であったものの、ウェットタイヤを選び序盤大苦戦したバリチェロが1位、スピンで15位まで順位を下げたシューマッハが2位と、おきまり通りの1,2フィニッシュで幕を閉じた。記者会見でバリチェロが良い言葉を言ってたので取りあげたい。

Even though we had a time in the middle of the race that we thought it was gone, everything came back and so that's why we have to believe in life that whenever it's your day, it has to be your day.

 適当に訳すと、こんな感じになる。

 レース中盤で負けると思ったときもあったけど、最後はちゃんと勝つことができた。だから人生においても、今日は自分の日だと思ったのなら、自分の日にしなければいけないんだ。


人気のウェブログ(ブログ)を運営しているブロガーたちが、相次いでサイトの閉鎖や縮小を宣言している。面白い内容が定期的に取り上げられることへの読者の期待や、読者からの数百件にもおよぶコメントを管理する負担などが、プレッシャーとなってブロガーにのしかかり、生活に支障を来たすケースさえあるという。

 最近話題のlivedoorがCMでブログを宣伝してますが、一気に“ブロガー”が増えましたね。ブームになっちゃうと多分廃れるのも早いだろうし、なんか既にそんな感じになっているような気がしなくもない。


 そのメカニズムはよくわからないけど、温まったアスファルトに雨が降り注いだときに発生する、あのほこりっぽいような、つまるような匂いが好きだ。決して良い匂いではないけど、何て言うか、少年時代の夏を思い出す匂い。
 この匂いを嗅ぐと、色々な夏の思い出がよみがえってくる。なぜか土砂降りにワクワクしてた頃のこと、雨の中女の子を1時間以上も待たせたこと、海に行った帰りのこと。毎年夏は何かしらの思い出が残るし、僕はそれを1つ1つ、おそらくほぼ全て挙げることができる。いつからだろうな、夏をこんなに好きになったのは。


 減圧症で1ヶ月入院し、退院したのがおよそ1年前。喉元過ぎれば?ではないけど、暑くなってきたせいか段々海に潜りたくなってきてしまった。ドクターストップがかけられてるし、あれだけ人に心配・迷惑をかけておきながら、まだそんなこと言うのか、という感じではあるけれど。

Profile

take(take@blue-jam.com)
1981年12月23日生まれ
横浜市の端に在住
音楽と夏と海をこよなく愛してます。
強く、やさしく、フェアに

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