2007年10月29日
80年代に生まれてきた僕たち
テレビのコマーシャルで、はっぴいえんどの<風をあつめて>が流れている。おいおい、1971年の『風街ろまん』じゃないか。時代を全て説明するような、奇跡のような音楽。それは30年以上経とうが、今なお、堂々と誇らしく流れ続ける。素敵な音楽とはこういう曲のことを言うのだろう。
つくづくひどい時代に生まれてきたなと思う。何を信じたら良いのかわからないぐらい情報が溢れる社会の中で踊らされ、そして行く先に光はほとんどない。合い言葉のように、少子高齢化。GDPは減り、中学生でもわかるような破綻しきっている国のシステムはついに崩壊し、それら全ての責任が僕らになすりつけられる。高度経済成長で勢いのある日本というものを感じることもなければ、現実を知りすぎてしまった僕らは、偽りのバブルに引っかかることすらできない。これから僕たちは、一体いくら国のために働いて税を納めなければいけないのか。地球温暖化?大地震?水不足に食料不足?冗談じゃない、僕らの将来を一体何だと思ってるんだ。
音楽だってそうだ。70年代のような新鮮さに満ちた音楽もないし、80年代のような煌めきもない。全てはもう完成されてしまった。あとはそれを、どうにかこうにかいじくり回すだけ。そしてほとんどの場合、オリジナルを上回る音楽なんかはこの世に存在しない。それは歴史が証明している。懐古主義にはなりたくない。でもなるしかない。だって、昔はたしかに、本物の音楽がそこにあったのだから。
それでも、僕らは生きなければいけない。この世に生を受けたのだから、それを全うする義務がある。1つまた1つ歳を取り、不毛な生産と消費を繰り返しながら、どうにかこうにか生き続けるしかない。これから先、どれだけの希望と絶望が待ち受けているのかを知ることもなく。きっと初めからそういう風に決まっていた。何もかも最初から。
僕らに全く救いがないのかと言えば、そうでもない。僕は、光は「ほとんど」ないと書いた。だから全くのゼロというわけではなくて、多分間違いなく、かすかには存在している。そう信じている。それは厚い雲間から差し込む太陽の光のように。
少なくとも90年以降に生まれた人たちよりはマシだろうと思いたい。90年代には、ほんの僅かかもしれないけど、聴くべき音楽があった。もしそれで不十分だとしても、当然不十分だけど、それより前に素晴らしい音楽があったことを知っている。もしあと10年遅く生まれていたら、それを知ることはなかっただろう。いつまでもレプリカを本物だと信じ込んでいたはずだ。振り返ることのできる道が、僕らにはある。
光はどこにあるのだろう。待ってても明るくならないのなら、探しに行こうか。焦らなくていい。どうせろくでもない時代だ。少しぐらい見つけるのが遅くなったって、どうってことない。
2007年03月29日
君がずっと微笑み続けられるように
心配/角松敏生
出会った頃のときめきだとか、どうにもならなくてもどかしい気持ちだとか、手を伸ばせばつかめていたんだという後悔だとか。そういう影も形もないことを、でも僕らにとってすごく大事なことを、最近なんだか忘れてた気がした。
必要以上に美化された思い出を、いつの間にか思い出すことがなくなったような気がする。手を繋ぐのが当たり前で、その手を離したらどうなってしまうのかを考えることもなかった。一人じゃなくて二人で見る景色。夏から秋、秋から冬、ようやく春がやってきて、そして再び夏が始まること。積みあがっていく料金だけがたしかな証拠だと思い、毎晩電話を握り締めていた日々。それらがどれだけ素敵だったのか、輝いていたのか。
言いたくても言えなかった言葉を抱えながら、生き続けることは、幸せなことなのかもしれないね。仕事で忙しいから、なんていうことは理由にならないし、してはいけないね。誰にだって明日はあるし、自分のことが一番大切かもしれないね。でもそんなことがどうでも良く思える、そんな感情もきっとある。過去を大切に、今をもっと大切に。
2006年07月26日
約束
その昔、僕は約束にこだわりすぎるところが嫌だと言われたことがある。たしかにその通りで、僕はおそらく人並み以上に約束にこだわります。
たまにいるかな。約束することを極力避ける人。責任逃れとかそういうことではなくて、そういう体質の人。最初から自分は守らない(守れない)人間だから、などと予防線を張ってしまったり、適当なことを言い続け約束と冗談との区別をつかなくさせてしまう人(自然になのか故意になのかはわからないけど)。言うまでもなく、そういう人たちは僕の世界から知らない間にいなくなっている。きっと約束にこだわりすぎる僕が嫌になったのだろう。
でも、相手を信じられなくなったらそれで終わりじゃないですか。そんな不安定な世界では僕は生きていけない。約束っていうのは信頼であり、未来であり、そして希望。どんなに辛くたって、約束1つあれば生きていける。その約束が守られると信じているから、あるいは守らなければいけないとこだわるから。だから生き続けられる。
とてもとても大事な約束をしたことはありますか?絶対、命をかけて守ってやると思える約束はありますか?僕はあります。だから今日も生きていられるんだ。
2006年06月17日
永遠の向こうに
そのことを知ったのは、太陽の陽射しを浴びていた昼休みだった。呆然とした。信じられなかった。泣かないようにずっと眩しい空を見上げていた。泣いた瞬間、その事実を認めることになってしまいそうだったから。でも徐々に僕の胸の底に落ちていった。午後の仕事は必死に涙をこらえてこなした。自分の部屋に戻り、ふと気が緩んだ瞬間、涙がとまらなくなった。泣きじゃくった。それでも涙は枯れなかった。
2006年6月12日、日本を代表するベーシストの青木智仁が急性心不全のため亡くなった。49歳という若さで、しかも自身の誕生日に。
彼の姿を最後に目にしたのは今年の2月、渋谷AXでのライブ。ほんの4ヶ月前のことじゃないか。そして来週また会えるはずだった。二度とこの世界で彼の演奏している姿を見ることはできない。新しい音楽を聴くこともできない。本当に・・・?
嘘だろう?実はライブにひょっこり出てきて、何事もなかったかのようにバリバリのスラップベースを聴かせてくれるんだろう?ちょっとおどけながらも、すました顔で誰にもできないソロをサクッと決めてくれるんだろう?何かの間違いだよ。間違いじゃなきゃいけないんだよ。悪質な冗談でも許すからさ。もう一度聴かせてよ。もっともっと素敵な音楽を生み出してよ。ほら、みんなが待ってるよ。
・・・でも、もう青木さんはこの世にいないんだよね。彼の残してくれた音楽を聴いてたらそのことがわかってきた。もう新しい彼の音が聞こえてくることはないんだということが。
当たり前だと思っていた世界がほんの一瞬で崩れ去るような、もろい世界で僕らは生きている。一つ一つのことが極めて偶発的で刹那的であり、そして運命的。だからこそ、せめてここからまた何かが始まってくれれば。それだけが今の願い。
青木さん、あなたが残してくれた音楽を、軌跡を、僕はこれからずっと引きずりながら生きていくよ。約束する。もしいつか自分に子供ができたら教えるんだ。「むかしね、青木智仁っていう素晴らしいベーシストがいて・・・」ってね。少しだけれど幸運にも同じ時代を生きることができ、素晴らしいライブパフォーマンスを目にし、あなたの音楽をリアルタイムで聴くことができた僕にできる唯一のこと。
また会えるよね。僕らはいつだって音楽で繋がっているよね。あなたに出会えた僕は幸せ者です。この世界に、この時代に、素晴らしい音楽を残してくれてありがとう。
2006年6月14日から17日まで、やりきれない悲しみとあふれ出てくる涙と共に
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2006年05月01日
One-Way Ticket
written on Dec.24th, 2005

机の引き出しに、使われることのなかった航空券がしまってある。行き先は僕にとって大切な場所。もしかしたら僕らにとって必要だった場所。そんなもの捨ててしまえばいいのだけど、まだ捨てられない。形あるものがそこにあろうがなかろうが、それは僕の心の一部分を占領し続けている。
悔やんでも悔やみきれないこと。僕はこの数年間で一体いくつ抱え込んでしまったのだろう。どれだけ時が経とうとも、周りの環境が変化しようとも、全てがまだくっきりと鮮やかに残っており、ふとしたきっかけで僕を底のない谷底に突き落とす。
自分が築いてきた世界を失うことよりも、君が僕の世界から消えることの方がずっと辛いということを、僕は愚かにも知らなかった。それが軽い気持ちで発せられた言葉でも、思いつきでも、僕がそれを本当のことにしてしまえば良かった。
あれだけ好きだった海から君が遠ざかってしまった理由は、ほんの少しでも僕の中にあるのだろうか。
初めて会ったときの君と同じ歳になったよ。
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2006年04月12日
未来飛行

この前、居酒屋で徳永英明の<未来飛行>を耳にした。ほろ酔い気分の中、つかんだら崩れてしまいそうな彼の歌声に、僕はしばし呆然とさせられた。1995年の作品かな。中学生だった頃、"大人"になるということを僕に意識させてくれた歌だった。
いつの間にか大人になって
次の場所に駆けてくだけで
心休めて空を 綺麗と言えない
時が僕に教えたものは
忙しさに負けちゃいけない
だから今を迎えて あなたにありがとう
中高生のとき、大人になった自分というものを、おそらくは具体性のかけらもなく想像してた。大人になった自分に憧れていたという方が正しいのかもしれない。でも大学に入ったらそんなこと忘れるようになって、気づいたら二十歳を過ぎていて。"大人"であることを意識することなんてただの一度もなかった。
でもこの<未来飛行>を聴いた瞬間、ああ、自分は大人になったのかな、なんて少しだけ感じた。スーツに身を包んで、朝8時半に出社して、会社で研修を受けて。僕は誰かのために仕事をしていくし、きちんとそれに対する対価を受け取る。閉塞した出口のないサイクルで終わるのではなく、この社会に、ほんのわずかかもしれないけど一滴のしずくを落とす。落としてみせる。
この歌には「忙しさに負けちゃいけない」とか「生きることを怠けちゃいけない」なんて、誰でも言えるような、当たり前のことが歌われている。でもそういう当たり前のことを頑張れるのが、きっと大人でもあるんだよね。真面目すぎてスマートじゃないようにも見えるけど、今はそういう真っ直ぐさの格好良さが分かる。
とりあえず忙しさに負けないように頑張ろうと思います。無限に広がる世界で、はるか遠くに忘れ去られた夢の答えを探していきたい。
Ballade of Ballade/徳永英明
2006年03月24日
この瞬間、この想いを忘れないように
今日は研究室の追いコンでした。
これまで2回先輩方を見送ってきたけれど、見送られる側はこんなにも重いのかということを初めて知った。最初から最後までずっと気が沈みっぱなし、酒はほとんど飲まず、料理にも手をつけず。虚空を見つめ続けた。雰囲気をぶちこわしているのは明らかなので2次会には行かずに帰路についた。
研究室に配属されて3年強。ここで僕が何を学んだのか、何を経験したのか、そして何を感じてきたのか。今はまだはっきりしないけれど、そんなに悪い感触もないから、いつか、きっとそれらのことがわかる日がくればいいな、と思う。
研究面では明後日の方向にばかり導いてくれた教授。でも最後の最後まで僕の体のことを心配してくれていた。どうも二人の間の壁が消えるようで結局消えなかった助手。実は他の誰よりも僕のことを見ていてくれた。個性豊かな同期。もっともっと楽しいことをしたかったけど、一緒に頑張れたことを嬉しく思う。かわいい後輩達。僕のくだらない話に付き合ってくれたばかりか、世話になったと僕の名前を何度も挙げてくれた。みんなありがとう。
終わりだね。学部の最初の3年間とは比べものにならないぐらい濃い3年間。本当に、本当に、色々なことがあったよ。それもついに終わり。空が曇っていたから、帰り道、涙がこぼれそうになった。今の、この瞬間の、この気持ちを、いつまでも大切にしていきたいと思う。
明日はいよいよ最後、卒業式。みっともないから泣かないようにしないとね。
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2006年01月10日
それでいいの?
立て続けにブログで2ついい文章に出会ってしまったので、勢いだけで今の思いを綴ってみました。
もう中学生ぐらいのときからその傾向があったのだけど、僕は常に結果や先のことしか見ない、見られない人間だった。今もそう。
冗談でも何でもなくて中学に入った瞬間から高校の入試が心配だったし、それは高校でも大学でも、大学院でも同じだった。ライブでは、すぐにアンコールは何をやるのだろうと考えてしまう。海に潜っていたときは、目の前にある水中世界ではなくて、ボートに上がった後のことの方が気になっていた。女の子とデートをするときも(もう何年前のことだろう…)、この後はどうしたらいいのかな?とか、ずっと僕のことを好きでいてくれるのかな?とか、そんなことばかり考えていた。
結果の出ない、そのときでは出るはずのないものごとに結果を求めてばかりいた。
色々な人と出会って、色々な環境に身を置いて(置くことになって)、色々なことを考えて、多少なりともそんな傾向は薄まった気がしなくもないけど、もしかしたらそれも違うのかなと思う。
当時はわからなかったけど、時間がたった今その答えがわかっただけ。もしくは自分が大切にしなければいけないことが何だかを見失ってしまって、その結果を求めようとする作業を放棄しているだけ。だからやっぱりライブに行ったら僕はいきなりアンコールのことが頭をかすめるし、大切にしたいと思う人間関係では、先のことばかり気にしてしまう。
そんな自分の姿勢が、その後の展開をスポイルしてきたのは、他でもない自分が一番よく知っている。もう少しマシな未来を導くことができたかもしれないし、"その時"をもっと楽しめたのかもしれない。終わってしまったことだから後悔はそこまでないのだけど、ふと思い出したように、もし〜だったらなんて考えてる。それも後悔の1つなのかな。わからない。
もっと今を楽しんだらどうだい?という思いは常に僕の心の中にある。
それで、こんな風に先ばかり気にしている僕は、いつまでこのままなのだろうってたまに考えたりする。僕の人生ってそんな感じで終わるのかな、それで納得できるのかなって。
変われるものなら変わりたいし、変われるスイッチみたいなものがあったら僕は迷わずそれを押すと思う。でも現実問題としてそんなスイッチはなくて、自分に深く根付いてしまっているのだよね、もう。意識的に変わろうと思っていても、振り返ってみれば結局いつもと同じになってる。
それが自分の中だけで完結してくれれば、それもまた背負っていけるのだけど、実際には外にまで影響を及ぼす。僕はもう黙って嘆くしかないのかな。
もちろん必ずしも悪いことばかりだけではなくて、いいことだってたくさんあるのだろう。でもいいことは知らないうちに当たり前のことだと思うようになり、納得できないことだけが残って、どうしようもない、どこにもいかない気持ちを抱え込んでいる自分がいる。やっぱり後悔だね、これは。
多分、どうにかこうにかして変わるよりも、自分を納得させる方が圧倒的に楽。防衛本能だか何だかが、そんな自分を正当に感じられる理由を作り上げ、僕はまんまとそれを信じ込む。「それでいいんだ」って。でも絶対あとになって思う。「それでいいのか、お前は?」って。どっちが本当の自分なのだろう。
自分に正直に、偽ることもなく、問いただしてみる。「それで本当にいいのか?それを望んでいたのか?」と。そこには絶対的な壁があって、何人たりとも侵入は許されない。もし入ってこられるのだとしてもそれは無意識の層で、僕の意識では不可侵の領域。人は誰だって誰かしらの影響を受けているのだけど、それでも排他的な思考、あるいは排他的だと説明されるような考え方をすることが僕はたまにある。
そして今、まさにこの記事を書いている今、その排他的な思考をしながら少し考えてみたのだけど、「良くはないだろうけど、仕方ないんじゃない?」っていうのが僕の答え。
やれやれ。こんなもんなんだよね、僕という人間は。もっと深く「それで本当にいいのか?」に付き合っていくことができたら、少しぐらい何かが見つかるかな。
オチはないです。勢いだけで、思いつきで一気に書いただけだから、言いたいことが何だかわからないし、ここからどうしようということもない。文章としてまとまりも全然ない(ごめんなさい)。2006年1月10日の午前2時前後に、こんなことを考えてたってだけです。そのうち消すかもしれません。
読んでくれた人、ありがとうございました。
2006.1.10 K.Takeda
Steely Dan 『Aja』,『Gaucho』、完璧な音楽を聴きながら
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2005年12月31日
今年を振り返って ―あるがままに―
あるがままに/角松敏生
たった一人の愛する人を取り戻すためだけに作られた、果てしなく透明な悲しみに包まれたアルバム。
角松の作品の中で僕の最も好きなアルバムであり、最もよく聴いた1枚。そして今も。すごくいいアルバムなので、ぜひ聴いてみて下さい。
一度海に潜る楽しみを知ってしまったからね。それを忘れることなんて決してできないんだよ。
今年は短いようですごく長かった。でもその長かった時間に中身など何もなくて、ただただ空白の時間だけが過ぎていった。押しても引いても何も出ない、文字通り「無」の時間が。
本当に辛いのは、苦しいのは、誰かに愛されないことではなくて、誰かを心の底から愛することができないこと。今年はきっと、この言葉が全てだと思う。
君の幸せがいつまでもこぼれませんように
離ればなれになってしまったあなたたちの愛が
再び巡り会えますように
世界がその輝きをまた取り戻せますように
一期一会。出会えたことを1つの奇跡だと思って、その素敵な縁をいつまでも大切にして。
どうかいつまでも変わることのない
穏やかでやさしい時の流れを
そして僕自身、本当の愛と出会えるように、誰かに何かを与えられるように。ゆっくりと歩き続けていきたい。
あるがままに 作詞・作曲・編曲 角松敏生
どんな時でも人は苦しみを誰かのせいに
しては いつでも言い訳を探す
それが本当の愛をきっと遠ざけているから
あるがままの君とあるがままの僕をこのまま
そっと愛し続けていたい I'm saving your life
過ぎた日々が残した傷跡を どうか
そのままにしないで たとえ別れの時にも
出会いの時と同じだけの愛を忘れないように
あるがままの喜び あるがままの悲しみさえも
きっと愛し続けて行ける
夜明けの潮風に
涙を預けてみれば
永遠の“瞬間(いま)”に出会う
遠く消え行く過去は今という未来を創った
君と僕 そのもの
あるがままの”瞬間”をあるがままの“過去(きのう)”とともに
ずっと愛し続けていこう
あるがままの君とあるがままの僕をこのまま
そっと愛し続けていたい
夢 時 人 星 愛の真実
いつまでも君にも届けて夜越えて
Love you forever...
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2005年12月23日
24歳になりました

(Baltimore, Sep.1983)
君は夢と希望を信じきって
生まれてくることを決めたんだね

(Boston, Dec.1983)
君は気づいていただろうか
世界がこんなにも残忍で
そして素晴らしいものであるということを

(Connecticut, June 1984)
色々な人に愛されて始まり
そこからあらゆるものを失っていくんだよ
それでも君は生きていくんだね
そう決めたんだよね
僕がこの世に生を受け
今こうしてここに生きている意味とか
これから遭遇していく運命とか
そんなものないのかもしれないけど
少しだけ信じたいな
2005年12月13日
道を、引く
研究って何だろうな?というお話。
今までずっと結果が全てのような考えをしてきたのだけど、実はそうでもないんじゃないかと思えてきた。もちろん結果が大事なのは言うまでもないが、ものごとの本質は、実はそこにないのではないだろうか。
来年から研究室を持つ人が現在僕の所属する研究室に来ていて、今の修士1年の指導に躍起になっている(そのM1たちは来年その人の研究室に行く予定となっている)。彼らはこれまでに学会発表を1,2回経験しており、さらにこの冬も1回行う予定、中には国際学会で発表する機会があった人もいて(結局辞退したのだけど)、はっきり言って僕は1つ上の先輩として面目丸つぶれ状態である。これについては色々と込み入ったものがあるので割愛するとして、もしかしたら負け惜しみなのかもしれないけど、そいういうのって研究っていうのかな?と単純に疑問に思ったのがことの始まり。
彼らを見ていると、テーマを与えられて、それに忠実に従って取り組み、得られた結果を逐一報告、それに対してまた助言をもらって取り組み・・・という繰り返し。自分のことは棚に上げさせてもらうけど、誰のための研究?という気がしてならない。研究がチームプレイというのはわかっているつもりだけど、これはチームプレイとは言えないだろう。そういう主従関係があるべき姿なのかどうか、僕にはよくわからない。
その一方で、学部4年からずっと放置され続けている同期がいる。研究内容・成果としてはそのM1たちの足下にも及ばないのだけど、これはこれですごいのかもしれない。最近そんな風に思えてきた。というのも彼は、少なくとも2年半以上、僕が知る限りほぼ全てを自分の力のみでやってきた。
やるべきことがわかっていれば楽だ。多少の苦難はあれど、そこに道があるのだから、迷ったり引き返したりしたとしても、最終的にその道の先に進めればいい。でもその道すらもない状態。
本当に大変なのは道を進んでいくことではなくて、道を見つける、あるいは自分で道を引くことではないだろうかと思う。そしてそこに、ものごとの本質があるのかもしれないなと、漠然とだけどそう感じている。
おとなしく指導を仰げば楽だろう。救いの手があるならば、それにすがってしまえばいい。利用できるものは利用し、チャンスは最大限活かせばいい。就職したら、きっと僕はそういうスタンスで研究に臨むことになると思う。そこでは僕の独りよがりの自己満足は許されないだろうから。最善の結果を得るために、自分のためのベスト、そしてグループのためのベストを尽くす。このことは心に決めている。でも大学院では、少なくとも僕の所属する研究室においては、"グループ"が存在しない。正確に言えばしなかった(今は少し違うかもしれない)。
そして僕は、あらゆる意味においてその存在しない部分に入っており、この夏にちょっとしたことがあってから、放置された同期と同じ境遇になることを自ら選んだ。この際結果を残せなくてもいい、僕は自分で自分の道を引ける人間になりたい。強くそう思った。
どこに道を引けばいいのか、あるいは引いた道が正しいのかどうか、それはもう道に迷うどころじゃない。残り2ヶ月弱。なんとか、ぶかっこうでも、1本引いてみせたいと思う。
消えそうで消えない光が、遠くの方から僕を照らしているような気がする。
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2005年11月15日
海に忘れ物
夢を見た。宮古島にいた。眠りに落ちれば、まだ僕は宮古にいける。それは幸せなことなのかなとも思う。どうだろう。
そして僕は、海で、あることをするんだという決意を胸に秘めていた。それはここ最近ずっと考えていたこと。今朝起きて、とうとう夢に出るまでになったのかと思ったが、大学に向かう途中、きっとそれは自分にとって必要なことなのだろうと感じるようになった。
残念ながらしばらく実際に宮古に行くことはできないのだけど、基本的に海であればどこでも問題ないと思う。この気持ちを大切にしたい。自分に正直でありたい。
近々海に行こう。
2005年09月29日
君の街、僕の街
written on Aug. 15th, 2005
当たり前だったことが突如終わりを見せることがあれば、その逆で、終わりだと思っていたことがふとしたきっかけで始まることもある。そんなことを経験した。
こう書くと語弊があるかもしれないけど、基本的に僕の身の回りのことは、僕の思い通りにいくのかもしれない。「終わり」に怯え嘆いている僕は、実は知らないうちにその終わりが来ることを望んでいたのかもしれない。
君の街へ行ってきた。君が見上げた空を、君が好きだった海を、僕はこの目で見てきた。こっそり教えてくれた思い出の地も、この足で歩いてきた。そして確実に、何かが始まった。
今の僕には、まだそれが何なのかはわからない。でも終わりじゃないんだということだけはわかった。そのことが凄く嬉しい。終わりじゃない。終わらない。
2005年09月24日
A Song
written on Apr. 7th, 2005
2ヶ月ぐらい前から、あるいはもっと前からかもしれないけど、僕の心にはぽっかりと穴があいていて、なんとかその穴を埋めようと必死だった。そして多分、僕は最もやってはいけないことをやってしまった。
僕は「今」あいている穴を、「昔」の記憶で塞ごうとしていた。最初は楽だったし、心地よかった。記憶はどこにもいかないし、変わらない。救われた気分だった。でもそれだけだった。
そしてこの1年で18年間の学生生活に区切りがつくのだと意識した時、はっきりと感じたことがある。僕は記憶にすがることでしか生きていけないのか、と。そう思った瞬間、目の前が真っ暗になった。それだけは絶対に嫌だった。
明日が今日よりもいい一日になる可能性が全くないのなら、未来が過去よりも素晴らしいものにならないのであれば、生きていたって意味はないだろうと思う。僕が生きるに足る理由を考え、死について真剣に考えた。もし死ぬのなら、最後に海に潜って死にたいと思った。
誰かが僕の扉を叩き、そっと中に入ってくる。すぐに出て行く人がいれば、しばらくとどまってくれる人もいる。僕はそういう人達に対し、自分のできる限りのもてなしをしようと努める。でも結局、いつかは出て行く。もしかしたら僕が気づかないうちに追い出しているのかもしれない。いずれにしろ、記憶だけを残して皆立ち去っていく。僕にできることはその記憶をかき集めることだけ。いなくなったと認識した瞬間、既に出口の扉は閉ざされていて、決してその扉の向こうに行くことはできない。少なくとも今はまだ。
いつの日か、自分の部屋にとどまってくれる人がいれば、それはそれで言うことはない。でもきっと、僕はこの先、一度出て行った人を何とかして連れ戻すということをしなくてはいけないのだと思う。僕は出口の扉の向こうにいき、再び一緒に入り口の扉を開ける。いつそれができるようになるのかはわからない。でも僕はそれができると信じられるようになった。いや、信じなくてはいけない理由ができてしまった。
そしてもしもそれができたのなら。その時、僕は安らかに終わりを受け入れるだろう。
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2005年09月22日
結婚を考える
written on July 17th, 2005
先日の同窓会では、中学の時はあまり仲が良いというわけでもなく、かといって別に悪くもないというか、早い話あまり関わることがなかった人と席が隣になったのだけど、彼がとんでもなく凄かった。いい話を聞けた。泣けた。今流行りの(?)、全米が泣いた。
23,24歳ともなるとそろそろ「結婚」の二文字が現実味を帯びてくる頃。ほとんどの人はまだだけど、そう遠くない未来にあるものとして考えられ始める頃。
同窓会も終盤、だんだん当たり障りのない近況報告のネタも尽きてくるわけで、中学の時はほとんど話すこともなかった彼とも徐々にそういう話に。すると突然、今年中に結婚する可能性が高いという衝撃的な告白が。しかも10歳年上、さらに元専業主婦、ということはつまり・・・。
いやいや、凄いの一言。男として感心というか尊敬さえする。だってまだ23,4ですよ。将来に対する不安だって山ほどあるし、やりたいことだっていっぱいあるはず。少しは現実を見なきゃいけないのかもしれないけど、夢や希望を見失う・諦めるにはまだ早い年齢だと思う(必ずしも結婚でそうなると言ってるわけじゃないけど)。それなのに、相手のことを思っての結婚だそうだ。
子供を作るなら、遅くなればなるほどあっちが大変になるし、この先何があるかわからないけど、こんな俺でも一人ぐらい幸せにしなきゃいけないなと思うし、とか。しかもまだ結婚のことは自分の親には話していないという。あっちの親御さんにはどう説明するのだろう。式とかは絶対できないよなあ…。なんでそんなに立派なんだよと思う。なんで一人でそんなに抱え込んじゃうんだよと泣けてくる。
そんな彼から衝撃の一言。「いや、タケちゃん(中学時代のあだ名)も俺と同じ匂いがするよ」とか。えええええっ!?勝手に仲間にしないで欲しい・・・。
うーん、どうだろうな。ちなみに担任の先生にも、僕はかなり年上もしくは下かのどちらかになるだろうと言われた。何百人という教え子を見てきた彼が言うのであれば、ひょっとしたらそうなのかもしれない。
でもなんとなくだけど、結婚するなら年上かなとも思う。この年でそんなこと言うのはまだ早いのかもしれないし、自分は社会にも出てない半人前ということはわかっているつもりだけど。僕が求めているものを持っている人ならば年齢なんて関係ないと思うが、なんとなく。
結婚というのは一つの制度であって、それが目的でもなければ、ゴールでもない。結婚をすることによって、お互いに得るものがなければ、特に結婚にこだわる必要もないのではないかと思う。
覚悟を決めた彼は、きっとその何かを見つけられたのだろうな。それは幸せなことなのだろう。僕にはまだよくわからないけど。
なぜかそんなことを考えた、23歳の夜。
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2005年09月11日
グラウンド・ゼロで見たもの
グラウンド・ゼロに行った。フェンスの向こうに広がる変わり果てた光景を目にした瞬間、僕は思わず泣き崩れそうになった。
僕は昔、このなくなった世界貿易センターに上ったことがある。そこにあったビルが、あるはずのビルが、影も形もない。まるで最初からそんなものなかったかのように。変わらないものなんてないのかもしれないけど、これはあまりにも変わりすぎだ。
最初に何の罪もない人達が亡くなった。その次に、正義感が人一倍強い人達が命を落としていった。ねえ、そんなのフェアじゃないよ。
郊外に墜落した飛行機の中に大学生が乗っていたのを覚えているだろうか。彼は僕と同じ大学・学部で、2年生の後期、同じフランス語の授業を受けるはずだった。僕らは最初の授業でそっと黙祷を捧げた。
こんなことが許されていいの?なんで?一体どうして?犠牲になった人たちと、今こうして平和に生きている僕たち。その差はどこからきたの?偶然、運命なんていう言葉はあまりにも勝手すぎる。
In God We Trust.一体どこに神がいるというのだ。
怒りと、悔しさと、悲しさで、僕は涙をこらえきれなかった。思いっきり握りしめたフェンスの感触、見上げた空は、きっとずっと忘れることができないと思う。
綺麗事だろうけど、願わくは愛と平和に満ち溢れた世界であって欲しい。誰かを嫌う、恨む、憎むなんていう負の感情を抱いてはいけない。認められないこと、許せないことだってあるだろう。でもそれは誰かを傷つけるためにあるのではなく、自分の中で処理するもの。闘っていくもの。昇華させるもの。
大きな愛じゃなくても、1つ1つの小さな愛が、今よりもずっと素敵な世界を作り出せるはず。
僕にできることは何もないのかな。でも、何かをしなくちゃいけない。絶対に。今という現在がいかに不安定に成立していて、そして未来という時間がどれだけ不確かなのかを皆わかっていないんだ。心からそう思う。
2005.9.11 K.Takeda
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2005年08月30日
クールダウン
昨日は朝方まで色々なことを考え続けていた。認められたこと、受け入れられたこと。信じていること、大切にしなければいけないこと。いっぱいありすぎて、その1つ1つが段々小さく見えてきてしまってきて。でも今までよりも正面に近いところから向き合うことができたと思う。解決できたことなんて1つもないけれど、こういうプロセスが次に繋がると信じて。
そして1年で一番好きな季節も終わりつつある。だからというわけでもないけど、僕も少しクールダウン。もう少し肩の力を抜こう。風の通り道を作ろう。できるかどうかはわからないけど、ちょっと全体的に一歩距離を置いてみよう。そこから見えてくることもきっとあるはず。
知らない間に撮られた…。こんなもの貰っても使い道がなかったのだけど、せっかくなので活用。それにしても隙だらけだ。クールダウン=気を抜くというわけではないです。はい。
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2005年08月12日
RampIn
日航機墜落から20年。犠牲者・被害者達の冥福を謹んでお祈り申し上げます。
この事故はいつまでも語り継がれるだろうし、語り継いでいかなければいけない。
最後の最後まで必死に生きることを願っただろう
やりきれない色々な思いがあっただろう
翼が落ちた瞬間多くの人たちの夢と希望を奪い去り
全ての人を悲しみと絶望で覆い尽くしただろう
飛行機にはもう何十回と乗っているけど、未だに離陸するときは一種のあきらめみたいな感情があるし、着陸したときはいつだって安心する。空の上というのは、自分ではどうすることもできない環境。航空力学、確率・統計を信じるしかないのだけど、本能として受け入れられないところがある。理論的に大丈夫と言われたって、自動車の事故率と比べれば圧倒的に低いと言われたって、いつどこで例外が発生するか誰にもわからない。僕は何を信じればいい?
もちろん程度問題ではあるが、当たり前のことを当たり前だと受け取ることは危険だと思う。過去を過大視してはいけないが、なかったことにするのはもっと良くない。
日航機の事故が僕らに教えてくれたことは、墜落したという事実以外にもたくさんあるはずだ。その1つ1つを、きちんと考えていかなければいけないのだと思う。
2005年07月30日
また一つ終わりが
形あるものはいつか変わるものだし、形のないもの、例えば人の気持ちなんかも、何かがきっかけで変わってしまう。それはほんの些細なことだったとしても、決定的に。これまで嫌というほど目にしてきた。終わりを味わってきた。そしてまた一つ。
ここのリンクには載せてないのだけれど、僕が密かに楽しみにしていたブログが突然最終回を迎えた。文章も内容も非常に良くて、僕が持っていない何かを、僕の理想の形で持っている人だった。もう二度とその人の文章を読めない。考えていることを知ることができない。そう思うと、単純に寂しいという気持ちでいっぱいになった。
その人はいくらかの教訓を僕らに残してくれた。最後、きちんとした形で幕を閉じた。立派だと思う。でも正直に言えば、そんなのはいらないから、もっともっと色々なことを僕らに教えて欲しかった。僕は本気でその人が目にしている世界を勉強しようと考えていた。人生をかけて挑んでいく価値のあることだと思っていた。
やっぱりこの世に絶対なんていうものはなくて、全ては相対的なことであって、それはあらゆる要素によって不確実な変動を見せていく。だから人生は面白い、なんて言うこともできるのかもしれないが、そんなのは綺麗事で、終わりがきたときは底のない悲しみに包まれる。いつまでも、どこまでも。そんな悲しみをためて、必死にそこから立ち上がって、その結果また悲しみに出会って。
いつか失うことがわかっているのに、なぜ人はそれでも求め続けるのだろうか。
2005年07月10日
世界の終わり
日曜の昼間は、使い道のない時間が流れていく。今日はショパンを流しながら本を少し読んだり、まどろんだりしていたけど、そんな感じで時間が過ぎていくことを思うとどうしようもない気持ちになってくる。せめて雨でも降ってくれれば、それでも許される気になるのだろうけど。
元々僕は積極的に人付き合いをする人間でもなければ、行動的な人間でもない。一人でいることを好むことが多かったし、それに幸運なことに、こんな僕でも必要としてくれる人が少しだけど何人かいてくれた。そんな状況に安心というか、慢心していたところがあったのだろう。
もっと外に目を向ければ、世界はさらなる広がりをみせているのかもしれない。そういう思いがないこともなかったけど、この今が変わってしまうことを知らないうちに恐れていたのだと思う。それと同時に、否が応でもその今が変わってしまう日はくるということを認識していたのに、その事実から目を背け続けてきた。受け入れたくなかったし、受け入れられなかった。当然時が経てばそのことが表面に出てくる。知らないふりをしていた終わりがやってくる。気づいたときには、終わりを迎えている。
明日に希望がないわけではないが、やっぱり二十歳を過ぎたあたりからあらゆることが終わり続けているのだと思う。具体的なことは書かないけど、僕が大切にしたいと思っていたことが、どんどんこの手の届かないところへと遠のき始めている。それは僕が原因であることもあれば、最初からそうなることが決まっていて、元の位置に戻っただけのこともある。いずれにしろ僕にはどうすることもできない。
結局のところ、全てのことは既に始まってしまっていることで、終わりに向かっているのだろう。人はそれを進展と呼び、あるいは退化と呼び、そして喪失と呼ぶ。僕はどうしようもない気持ちで、その1つ1つの終わりを見送り、そして嘆くことしかできないのだろうか。僕にできることは何もないのだろうか。
なんてね。友達でも恋人でも、"振り向けばそこにいてくれる"という存在の人の大切さをしみじみと感じている今日この頃です。
Why do the birds go on singing?
Why do the stars glow above?
Don't they know it's the end of the world
It ended when I lost your love.
(The End of the World/Skeeter Davis)
2005年06月19日
就職活動との戦い
断言しよう。就職活動というものは最悪だと。もちろんこれは僕がそう感じただけであって、この意見を一般化するつもりはない。しかしとにかく、僕にとっては最悪としか言いようがないものだった。二度としたくない。
弱音を吐きたくないけど、2月の終わりから5月の中頃まで本当に辛かった。間違いなく精神的にやばかったと言い切れる。特に4月に入ってからが凄かった。そのときの文章を見れば、なんとなく理解してもらえるのではないかと思う。平静を装ってるつもりでも、実は・・・なんてことだらけ。
まあでも、こういう試練みたいなものも僕には必要だったのではないかとも思う。割と今まで苦労せずにのらりくらりとやってきたから、社会に出る前に一度苦しんでおけよ、ということなのかもしれない。だから就職活動はあらゆる意味で最悪ではあったけれど、それは僕にとって必要なものだったのかもしれないと感じている。今は。
自分は何をやれるのか、何をやったらいいのか。他にないのか、本当にそれでいいのか。そのことでずっと悩み続けた。決まったら決まったでそれに向けて挑んでいくわけだけど、僕らは金持ちの子供に与えられたおもちゃのように扱われ、飽きられたらすぐにポイ。そしてまた新しい子供の元にいって何とか気に入られようとして、またポイ・・・。そんな繰り返し。ちっぽけな自信・期待がくずれるのは時間の問題だった。
僕は何か特別なものを持っているわけではないから、ワンオブゼムに過ぎないわけだが、できるものならこの就活のシステムそのものを非難したい。効率的でも効果的でもないし、歪みだらけである。その渦に巻き込まれてしまうと見えなくなってしまうものだけど、ほとんど狂気の世界と言っても過言ではない。適応能力がないだけなのかもしれないけど。僕は利己的だし、偏屈だしね。思い通りにいかないと気がすまない。
せめてもの救いは、そんな僕でも無事就職できたということぐらいだろうか。
あと、正直に言えば就職活動とは全然関係ないことの方が辛かった。まさかあそこまで人が僕に影響を与えるとは思いもしなかった。就職活動中だったことがどのように関係していたのかはわからないけど、相乗効果というか、どんどん悪い方向へと進んでいったことは確かである。
きっと僕は世界で一番弱くて情けなかったと思う。些細なことに心を奪われ、自分で自分を苦しめた。全ての物事に理由を求めた。不確かな未来に怯え続けた。たしかなものなんて何一つないような気がしたし、今までの僕は一体なんだったのだろうと己の存在を否定したい気持ちでいっぱいだった。何をやっても行き止まり。いつしか、過去の記憶にすがることしかできない自分がいることに気づいた。僕はそんな自分に、失望というよりは絶望した。
今だから言うが、「このチェック項目で当てはまるものが*個以上あったら軽度の鬱病の疑いがあります」なんていうのがあるけど、はっきり言ってほぼ全て当てはまってた。思いっきり体調を崩して3日間寝込んだこともあった。初めて心と体が繋がっているということを知った。自殺は考えなかったけど、「死」について考えることが何度もあった。なぜか宮古の夢を何度も見た。
ただ、こんな自滅みたいな状態に陥った原因が自分ならば、そこから救ったのも自分だった。今日は何も良いことがなかったし、明日もきっとないだろう。でも心のどこかで、あさってに何かあるのではないか、あさってがダメでも1週間後には、1ヶ月後には・・・なんてかすかな光を信じているところがあって、そんな性格に救われたのだと思う。
そして5月終わりあたりから、「大切なものは何か」「自分が大事にしたいものは、しなければいけないのは何なのか」、だんだん考えがこっちにシフトしてきて、その答えのかけらみたいなもの、あるいは答えに繋がる指標が見つかったのかもしれない。少しだけ楽になった。幸せは誰かの中に見出すものではなく、自分で見つけるもの。何となくそんなことを考えた。
就職活動を終えても、まだまだ問題だらけ。そしてきっと、僕の中で確実に何かが始まり、終わった。二度と元には戻れない。そんなもの絶対に受け入れたくないけど、受け入れなければいけない。でも、それでもやっぱり、なんていう気持ちが存在しているのもたしか。
自分の正直な気持ちと真っ正面から向き合って、これからもしばらくは考えていかなければいけないのだと思う。悲しみや苦しみから逃げるわけにはいかないし、逃げたくない。強く、やさしく、フェアに。一貫性を持って。これを胸に、まだまだこれからも。これからもずっと。
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2005年05月10日
忘れられない日
この日を忘れられるはずがない。僕が最後に海に潜った日。重度の減圧症になったが一命を取り留め、沖縄で1ヶ月強入院した。あれから2年が経つ。なんだかずいぶん昔のことのような気もするし、つい先月あたりの出来事だったような気もする。
ありとあらゆる記憶が、無秩序に頭の中に浮かんだ。初めて潜ったときのこと、幻想的な光を見上げたこと、朝から晩まで海のことを考えていたこと。どこまでも蒼い海、満天の星空、心地よい音楽、全てを洗い流す雨、都会のくすんだ夜景、素敵な笑顔。
色々なものが失われ続けている。どうして。こんな風に。誰かの報われないやさしさのことを思う気持ちと、言葉にならない悲しみとで胸がいっぱいになり、一筋の涙が頬をつたった。そのまま止まらなくなり、久々に、本当に久々に声を上げて泣いた。
まだ海に潜りたいんだ。君のことがね、大好きだよ。きっと、これからもずっと。いつまでも。

ここでは何もかもにやさしくなれる
叶うならば君だけのバディになって見つめてあげたい
幾筋もの光の中漂いながら 悲しみさえ泡と消えていく
今僕は何もいらない
(君がやりたかったSCUBA DIVING/角松敏生)
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2005年05月08日
連休の終わりに
長すぎた連休もついに終わり。明日からまた何事もなかったかのように日常が再開する。最後にこんなことを書くのはどうかと自分でも疑問に思ったのだけど、今日はある故人のことを考える機会があったのでここに記しておきたい。
その人は僕の友人の弟の友達ということで、直接的に僕との接点はない。でも彼については何度か友人から話を聞いており、名前が出てくると、ああ彼ねという感じで、僕はその彼を認識することができた。
今から4ヶ月前ぐらい、1月中旬のことだったと思う。冬休みに旅行でヨーロッパに行ってたその彼がスペインで亡くなったという話を、やはり友人の口から聞いた。犯罪に巻き込まれたのか、それとも事故だったのかはわからない。ただ1つ間違いないのは、彼は遺骨になって日本に戻ってきたということ。
僕は彼がどんな人間だったのかも知らないし、顔すらも知らない。とは言うものの、全く知らないというわけでもない。複雑な気分だった。なんとなく名前を、いくつかのエピソードを知っているというだけで、彼は他の人達と違う存在になるのだろうか。
他の人達。天災でも先日の脱線事故でも、何でもいい。数多くの人が僕らの周りで亡くなっている。でも僕は、その犠牲者達のことを考えることはほとんどない。ニュースの画面に映る、メディアで報道される名前は、ただの姓名を示した文字でしかない。その1つ1つが、命を持った存在であったこと、また彼らの周りに様々な生活があったことを、僕は現実のものとしてとらえることができないのだろう。
その彼の死を聞いた時、僕はたしかに悲しい気持ちになった。でも涙が出るほどではなかった。
一方で、この春ヨーロッパ旅行に行ってきた人がいる。スペインにも行ったらしい。僕はこの彼のことがあったからひどく不安だった。そして無事帰ってきたことを知り、安堵のあまり自然と涙が流れ落ちた。今でもときどき、ああ何もなくて良かったなと思うことがある。
こんな自分は一体なんなのだろうか、そんな風に思う。
話をスペインで亡くなった彼に戻す。学年で言うと僕よりも2つ下、まだ二十歳、あるいは二十一歳という若さで亡くなるなんて、例えば彼の家族はどんな想いだったのだろうか。遺体を確認しに現地まで行ったのだろうな。その飛行機の中では一体どういう気持ちだったのだろう。彼らにはスペインという国がどういう風に映ったのだろう。そこにはどんな一連のプロセスがあったのだろう。そして、どれだけの人が彼の死を悲しんだのだろう。
この話をまとめることができないし、まとめてはいけない気もする。何か伝えたいことがあるわけでもなければ、教訓めいたこともきっとない。ただそういう事実があって、僕が上記のように感じたということ、それだけを残しておきたかった。
2005.5.8 K.Takeda
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2005年04月11日
communication chronicle
witten on Dec. 29th, 2004
「僕が君に言いたいことは、その、つまりね、君をとても大事に思っているということなんだ。」
そのことだけを伝えたくて、君ならわかってくれるだろうと信じて、僕は言葉を風に乗せた。
アメリカに行ってた2年間、僕はひどく無口な少年だった。多分周りの人が口にしている言葉が100%わからなかったから、自分が考えている100%のことを伝えられるという自信がなかったから。変なところから誤解が生じるのが不安で、自分を理解してもらえないことが怖くて、僕は口を閉ざすことが多かった。
・・・誤解?理解してもらえない?そんなの日本語に囲まれてる今だってたいして変わらないじゃないか。
中学に入る時、知り合いが誰もいない街に引っ越した。そして一部の友人を除いて、僕は心を開かなかった。半年ほど周りに合わせて不自然なまでに明るく振舞っていたことがある。楽だった。でも何も残らなかった。自分自身が失われてしまいそうで怖かった。気づいたら全体的に一歩距離を置いていた。そんな僕を見て、いつしか周りにクールだなんて言われるようにまでなった。違う。僕は僕でありたいだけだった。周りの人たちが何を考えているのか理解できなかったし、僕が何を言うべきかもわからなかった。
思春期の僕らはやけにたどたどしく、自分の考えていることをうまく言葉にできなかった。言葉を言葉として扱う能力が未熟だった。思いが言葉を圧倒していた。だからお互い無責任に相手を傷つけまくったし、誰も明日のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。僕はそういうことにうんざりしていた。
高校生の時、当時つきあっていた子に考えていることがわからないと言われたことがある。自分が考えていた人とは違うと言われ、別れ話を切り出された。君は僕じゃない僕が好きだった。僕は良い面も悪い面も可能な限り全部見ていきたいし、見せていきたいと思ってた。誰かとつきあうというのは、そういうことだと思っていた。そういうことを受け入れられない君を哀れに思った。そんなことを言われた自分がひどく惨めで情けなかった。
あの頃の僕は先のことばかり、結果ばかり追い求めていた気がする。友人の何気ない、のんびりいこうか、という言葉に救われた。やけに重たい言葉だった。急がなくていい、まわり道をして歩いてもいい。それから僕は、他人がどう思おうと自分は自分だし、理解してもらえなくても別に仕方ないと思えるようになった。1つのターニングポイントになった。
大学に入ってから、ずいぶん系統だった思考をするようになったと思う。熟成されたというよりは、思考がパターン化されてきている。時にそれは論理的で説得力を持つものであり、その相手は他人だけでなく自分でもあった。それは僕が成長しているからなのかもしれないし、もしくは何か大切なものを失っているだけなのかもしれない。他人と自分、共に言葉でアクションに繋げ、喜ばせ、そして傷つけてきた。改めて言葉の持つ意味を、大きさをかみしめた。
そしてこうやってブログを書くようになってから、色々な出会いが会ってから、言葉というものをさらに意識するようになった。何かの本に、コミュニケーションで重要なのは、自分が何を言いたいかでなく相手に何を理解して欲しいかだと書いてあった。そうかもしれない。
実のところ、相手に自分の伝えたいことを理解させるのは、簡単なことではないけれどそこまで難しいことでもない。そのためにはしかるべき術が存在しており、その手順に従って、慎重に前に進めていけばいい。
でもそれとは全く別の次元で、自分の考えていることを、気持ちを伝えたいという相手がいる。自分にとって凄く大切な存在。今の僕には数えるほどしかいない。その人たちに対しては、自分はひどく無力だということをいつになっても痛感する。自分の言葉は相手にどう伝わっているのだろうか。相手の言葉はそのまま受け止めていいのか、それとも僕が単純すぎるのだろうか。自分の不器用さを責め、不安になり、やりきれない気持ちでいっぱいになる。しかるべき手順に則れば楽なのだろうが、僕はそういうことを望んでいない。相手に対しフェアでありたいし、対等な位置にいたい。おそらく言葉を越えた心のつながりを求めている。
そして、多分同じことを相手にも期待している。でもそれはあまりにも自分勝手な考えだし、割り切りが必要だということもよくわかっている。だから心のどこかで、他人と心から分かり合うことなんてできないんだと諦めている部分がある。決定的に。23年間生きてきた中で、そのことを認識できる強さを獲得したと思う。時々それが揺らぐけど、時間をかければ安定させられる。寂しいとは思うが、どうにもならないことだってある。
ただし、それでも。自分が大切に思う人たちと、心から分かり合うことができたらなという思いは消えない。もっともっと心で繋がっていたい。一瞬でもいい。それは生きる喜びの大きな1つのように思える。たとえそれが良い結果に繋がらないとしても。
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2005年03月22日
あるがままに

TOSHIKI KADOMATSU 1993・1・27 FINAL TOUR
あるがままに
角松敏生が音楽活動を凍結させる前の最後のライブを収録したビデオ。これは凄いなんてもんじゃない。何しろ、観客の野次に本気でキレるし、泣きながら歌ってるし、最後はもう全然声が出なくて歌えない。でも、僕はこれを見て角松という人間をますます好きになったのだと思う。
彼が歌うのを辞めたのは女性にフラれたからだという。それまでもくどくどと未練たらたらの歌を歌ってるし、解凍後もそれを引きずっているような感じがしないでもない。彼は自らの血を流し、骨を削って曲を作る。きっとこんなの聴くに堪えないと感じる人もいるのだろう。でも僕は彼の音楽が大好きだし、尊敬さえする。潔いというか本当に自分に正直な姿に、人として惹かれるのである。
心から愛した人が、大切だと思う人が、例え自分の手の届かないところにいってしまったとしても、そう簡単にその想いが消えるわけじゃない。どれだけの時が経とうとも、どんなことがあったとしても。角松はそんな当たり前のことを教えてくれる。
自分勝手かもしれないし、情けなく見えるかもしれないし、滑稽かもしれない。でもね、そんなのどうだっていい。たった一人の人に、この想いのほんの一欠片でも伝えることができればと思う。伝えることができないとしても、どうしようもない想いを消し去ることなんてできない。
今、この瞬間を生きている自分の、精一杯の正直さを、想いを。そのことだけには絶対に嘘をつけない。
相手にとっては甚だ迷惑なだけなのかもしれないし、思いっきり不器用なのかもしれないけど、そんな風にしか生きていくことができないんだ。そういう運命を背負っていくしかないんだ。
この心の痛みがいつか癒えて
望みも予感も消えて
僕が君を忘れる日がきたなら
きっと君をこえていける
I'll be over you
君をこえる日なんて絶対にこないことを、僕は誰よりも知っている。
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2005年03月13日
ある愛の形
こんなこと書いちゃっていいのかな。まあ書いちゃったしいいかな…。
for my dears
4年間付き合ってきた彼女と別れた。
もちろんこれは僕ではなく友人の話。他愛もない話をしていたら、突如いきなり打ち明けられた。なぜだかはわからないけど、僕はそれが凄くショックだった。やりきれない思いでいっぱいになった。
彼はやけにあっさりとしていて、まるでそうなることが運命だったかのようにポツリポツリと語ってくれた。きっと僕に話したくないこともあるのだろうし、うまく言葉にできないこともあるのだろう。いくつか話に矛盾点があることがそれを感じさせた。多分後悔というか、別れたことが正しかったのかどうかまだ迷っている部分もあるのだと思う。だから何となく自分を納得させるように話しているという印象も受けた。
別れた理由は、その子との未来が想像できなかったからだという。倦怠期みたいなものではないらしい。色々とありながらも4年間付き合ってきて、春から社会人になる二人。この後に何かあるとしたら結婚ぐらいだが、その子と家庭を築く姿は全く想像できず、このままズルズルいく前にケジメをつけておきたかったとのこと。タイミング。自分にはやりたいことが色々とあって、相手のことまで考えることができない、結果的に彼女を傷つけるようなことはしたくないとも言ってた。
何かを得るためには何かを捨てなきゃいけないんだよ、何にでも後悔はつきものだよ、と彼は口にした。この話を受け入れてくれた彼女には感謝しているとも。
僕には、彼の気持ちは正直あまりよくわからない。本当にその選択肢しかなかったのか。彼女の方は本当にそれで納得できたのか。僕があれこれ言うことではないので、黙ってひたすらただ話を聴き続けたけれども。
きっとお互い好きだというだけじゃやっていけない部分もあるのだろう。僕らはもう10代ではない、23だ。目を背けたいことから背けてはいけない年なのかもしれない。自分の言葉と、行動と、そして気持ちに責任を持つ必要があるのかもしれない。
もう連絡を取ることはないだろうという。4年間一緒にいたとしても、元々は赤の他人。ふとしたきっかけで近づいて、そして離れて。愛が作られて失われて。僕らは一体どこに行こうとしているのだろう。
変わらないものなんて何一つない。頭を抱えて泣き叫びたい気分だ。一組の小さなカップルの終わりのために、できるものならば僕が代わりに泣いてあげたい。
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2005年03月01日
流れてゆく雲を見ていた
研究室の窓からのんびりと流れてゆく雲を眺めながら。
行くあてもない雲。一体どこで生まれて、どこで消えるのだろう。今見ている雲は、どこから来て、そしてどこに行こうとしているのだろう。雲に寿命というものはあるのかな。たとえ今の形は変わったとしても、僕たちが「雲」と認識できるそのひとかけらがなくなるまでと考えると、一体どれぐらい生きていられるのだろうか。半日?一週間?それとも一年?
そして僕は。僕はどこで産まれたのかわかっているし、どういう過去を過ごしてきたかも知っている。記憶もあるし記録もある。でもこの先一体どこで、いつまで、何をするのか、そんなことは全くわからない。何のために?誰のために?たくさんの人達と出会い、そして別れてきた。始まりがあって終わりがある。僕にだって終わりがある。それを知りながら、人は何かを求め、出会い、そして消えていく。僕は今まで一体何をやってきたのだろう。
これまで23年間生きてきてこれといった後悔もないし、不満もない。割と好き勝手に生きてきたと思う。でも、もしこの後の23年間がまたこの繰り返しであるならば、それは悲劇としか言いようがない。
なんてことをのんびりと進む雲を見ながら、自由気ままに飛んでいる鳥を見ながらぼんやり考えていたら、涙が出そうになってしまった。研究室で一人泣くわけにはいかないのでこらえたけど。弱いなあ…情けないなあ…。
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2004年12月22日
wonderful life
僕はこの1年間、進んだ時計の針を0に戻すような作業をし続けてきた気がする。動いた駒をスタート地点に戻そうとし、掘り続けた井戸の穴を埋めてきた。でもそれで全くの0になるのかと言うと、そうでもない。それまでのことを全部抱えて0に戻る。良いことも悪いことも、全部抱えて、僕はきっと全く新しい世界に飛び込むことを目指している。
人生なんてそんなことの繰り返しじゃないかとも思う。その周期が長いのもあるだろうし、短いのもあるだろう。始まりがあれば終わりがある。おそらくこの作業だけが、始まりはあるけれど決して終わりがない。1つだけ確かなのは、それは既に始まっているという事実だけだ。
その過程で得たものと失ったもの、どちらが多かったかなんて多分考える意味はない。得たものというのはそれが失われたところでまた0に戻るだけの話だし、何もないところから失われることはない。そして得たと感じているものだって、きっといつかは失われる。そのことを考えるとすごく不安だし、怖いけれど、そんなことを考えて生きるには、多分僕たちの人生はあまりに短すぎる。
できれば一瞬、この一瞬を大切にして生きていきたい。ぼんやりとした未来よりも、確実な現在を胸に。そしてそれが確かな未来へと繋がっていくはずだ。もし僕の人生に何らかの意味があるのならば、この膨大な世界を相手に必死に生き抜いていかなければいけない理由があるのならば、終わりのことなんて考えるまでもないのだろうから。
そして僕は、明日23になる。
2004年12月21日
大切な手紙

中学の時の先生なんてはっきりいってほとんど好きじゃなかったけど、一人だけ例外的に好きな先生がいた。中学2年の時の国語の先生。
1年の時の国語の先生が最悪で、答案はひらがなで減点するし、授業中の発言や教科書の単語を調べていくと加点を与えるという先生だった(ちなみに彼は僕が中3の時の担任となった)。で、他のクラスは1年に引き続きそのままこの先生が担当したんだけど、6クラス中なぜか僕らのクラスだけ違ったのである。1年の時と比べたら彼女の授業は本当に楽しかったし、何より僕らを寛大に受け入れてくれた。僕は彼女に全力でぶつかっていったし、彼女も僕を全力で受け止めてくれた。多分今までで唯一僕をきちんと評価してくれた、見てくれた先生。
そして残念ながら、その年を最後に彼女は学校を辞めアメリカに行ってしまった。で、どういった経緯だったかは忘れてしまったが、僕は中学卒業後この先生に手紙を書いた。写真はその返事としてきた手紙。
最後にはこんな言葉が書かれている。
これからもっともっと楽しいことがあるよ!!もし武田くんが、自分の感性を大切に磨いていくならば・・・
僕が感性を磨き続けることができているのかどうかは知らないけど、いつも心の片隅にこの言葉が残っている。
2004年12月20日
22歳の記録
もうすぐ22歳ともお別れ。別に23になった瞬間、新しい自分になるわけではないけど、せっかく時間に区切りというものがあるのだから、今感じていることを大切にしていきたいと思う。21の時に書いてた日記を読み返してみたら、今と感じていることが結構違った。だから来年もまた、今と違う感じ方をしているのかもしれないし。
僕がもう海に潜れないと知ったときのことを話そう。減圧症で入院して2週間、退院予定日、突如父親から今日退院するのは無理だとき聞かされ、それに加えて「もうダイビングはダメだって」と伝えられた。タイミングとしては最悪のような気もするし、ある意味絶妙だったともいえる。そんな感じだったから、退院が延びた方のインパクトが強く、もう僕は潜れないということはあまり気にしてなかった。
改めてそのことを知ったのは、それからさらに約2週間後、退院予定日の1日前。主治医と今後について色々な話をして、さりげなく聞いてみた。やっぱりダメ。そりゃショックだった。僕にとってそれまでダイビングが全てだった。追い求めていた一つの答えだと思ってた。海に潜れれば他に何もいらないとすら思ってた。海の中では、僕は誰よりも自由だった。
本当につらかったのは、見舞いに来てくれた人と「また一緒に潜ろうね」などという約束をしてしまったことを思い出したとき。たとえそれがかなわぬ約束だとお互いわかっていたとしても、これで万に一つの可能性すらなくなってしまった。そして最後、世話になったショップの人にこの事実を告げたとき。それでもまだ僕の居場所はあるだろうと思ってたんだけど、実際にはもうどこにもなかったことを認識したとき。皆同情してくれたし、励ましてくれた。そんな風に気を遣われることが、何よりつらかった。
1年ぐらい、その事実を受け入れられなかった。目を背け続けた。もう自分が二度と海に潜れないなんて思わなかったし、きっと何とかなると思ってた。でもダメなものはダメなんだよね。受け入れるしかない。僕が大切にしたいと思っていたものは、音も立てずにあっさりと崩れ去った。後には何も残らなかった。
何度か自分が潜っている夢を見た。見慣れた景色、見慣れた人達。やっぱり潜れるんだと思い、海の世界を楽しんでたら、突如右手が全く動かなくなった。そのまま浮上したらなぜか医師が待ち構えてて、僕は必死に「海は僕の全てなんだ」と泣きながら訴えた。それとほぼ同じ内容の夢を3回見た。夢の中で減圧症になるまで、僕は海を求めていた。
でも今年、ある瞬間を境にパタリと潜っている夢を見なくなった。潜っている姿を想像することもなくなった。一つ距離を置いて見られるようになったというか、僕が潜っているのではなく、潜っている僕を第三者の視点から見られるようになった。
前に進めてるのかな、後退しているのかな。それとも平行移動をしているだけなのかな。なんとなくふわふわとした感覚はあるんだけど、うまくそれをつかむことができていない。
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2004年11月30日
大空の彼方で見つけたもの
ふとしたきっかけで、僕は秋の澄み切った大空へと投げ出された。自分がどこに向かっているのかもわからないし、上昇しているのか、下降しているのかさえわからない。空には境界がない。どこまでいっても空が続くだけだ。全ての風景がちっぽけに見える。でもここからなら、風の通り道もよくわかる。
最初は抱えているものが多すぎてうまく飛べなかった。胸の痛みに潰されそうになり、どうしようもない気持ちでバラバラになりそうになった。消えていく記憶、それとは無関係に生まれてくる感情。その均衡を保つのは何よりも困難な作業のように思えた。
でも背負ってきた荷物なんて放り出せばいいことに気づいた。原点に戻る。それはとても単純なことで、心の中にあるシンプルな声に耳を傾ければいい。光の強弱を判断し、空気の震えを意識的にとらえた。そして空よりも青い海を眺めに行った。1つのことをできる限り大事に、丁寧に考えようと努力した。
答えらしきものは僕のすぐそばに存在していた。それが正しいのか間違っているのかはわからないけど、僕はそれに向かって飛び続けた。かすかな希望を捨て、大いなる絶望だけを胸に。僕に残されていたものはあまりにも少なく、極めて限定的だった。
そして今、僕は地上に戻ってきている。でも、まるで微熱があるみたいに、ふわふわと少しだけ宙に浮いている。また空に投げ出されるかもしれないけれど、その時は多分、もっとうまく飛ぶことができる。きっと。
2004年10月26日
timing
ものごとにはタイミングというものがある。それはある日突然訪れることもあるし、自らそれを求めていくこともある。僕の少ない経験から言わせてもらえば、人生においては後者の方が圧倒的に多い。正確に言うと、大体の場合においてうまくタイミングをつかめるのは後者であり、前者の場合は後から気づく、気づいたら過ぎていたということがほとんどだ。結果的に後者が多くなるのである。
先日、ようやく仕事が一段落した。ゼミ発表を無難にこなしたし、教授に頼まれてた研究室のパソコンの廃棄もした。もちろん他にもやるべきことはたくさんあるのだろうけど、1つの区切りとして、今日はずっと見たいと思っていた映画を見て帰ることを決めていた。上映スケジュールを調べ、携帯電話は家に置きっぱなしにし(これは単に忘れただけだ)、大学からの帰り道、7年以上単なる通過駅でしかなかった駅で降りた。
僕は映画そのものは好きな方だと思うけど、映画館に足を運ぶということはあまりしない。理由は単純で、面倒だからである。最後に映画館で見た映画は「ロード・オブ・ザ・キング−王の帰還」だし、それだって駅前の銀行に行ったらたまたま友人と出会って、成り行きで見ただけだ。大学に入ってからこれまで映画館に行った回数なんて両手で数えられる程度である。もしかしたら片手で足りているかもしれない。
そんな僕が、あるレビューの文章に強く惹かれ、これは絶対に見たいと心から思い、生まれて初めて、映画館で一人で映画を見てきた。何から何まで凄く良かった。この一言に尽きる。初めて、スタッフロールが流れている時に席を立ってスクリーンを後にした。あえて作品名は挙げない。もったいぶっているわけではないけど、何となく言いたくない。そういう作品だった。
今から2年ぐらい前、本気なのか冗談なのかわからないけれど、「一緒にアメリカ行こうよ、1年間ぐらい」と言われたことがある。もちろんこれだけ聞けば冗談にしか捉えることはできない。でも同じようなことを、僕が記憶している限り合計3度言われた。冗談と断定するには曖昧な数字だ。
そして僕は、これに対して真面目に返答することはできなかった。本音としては、できるものなら一緒に行きたかった。二人でアメリカで暮らせたらどれだけ素敵だろうと思った。でもそれと同じぐらい、今の生活が変わってしまうことを恐れていた。もう少し時間が欲しかった。自分のことしか考えることができなかった。1つだけ言えることは、もしあのとき僕が「行こう」と答えていたら、今の生活は多少なりとも変わっていただろうということである。でも今再び同じことを言われても、おそらく僕はうまく答えられない。もちろんそんなことを今さら言っても仕方のないことだし、どこにも行けないというのは、嫌というぐらいわかっている。全ては終わってしまったことだ。
僕はかなり偏った、狭い世界で生きている。自分の街についてぐらいは知っているのかもしれない。隣の街についてぐらいなら何とかわかるかもしれない。でも2つ隣の街についてはほとんど何も知らない。それぐらい狭い。そして多分、世界というのは圧倒的に広い。
どこかで漠然と、その広い世界に飛び出したいという思いがある。そこで何かを得られることを期待しているのだろう。おそらく心のどこかで、僕がこれまでに失ってきた何か、そして未来に繋がる何かを求めている。実際に得られるかどうかはわからないけど、何もしないで嘆いているよりはマシだろうと思ってる。だがしかし、今ひとつ自信がない。わからない。うんざりするぐらいソフィスティケートされたこの世界で、ちっぽけなこの僕に一体何ができるのか。できることなんて何一つない気がするし、何もしなくていいのかもしれない。だけど、何かをしたいという思いだけは確かに存在している。そのことを今日改めて認識した。これを行動に移すためには、それに値するだけの理由が必要だ。僕は今、その理由を何よりも求めている。
一緒にアメリカに行こうと口にした彼女に、「君は人のためになる仕事をするべきだよ」と言われたことがある。それが何を意味しているのか、まだ僕にはよくわからない。しかし幸いなことに、まだタイミングは失っていない。つかもうと思えばつかめる。あとは僕次第だ。
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