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 縁があるのか、それとも最初からそういう運命だったのか。3年前どうしても行きたくて、でも結局行けなかった札幌の学会に行ってきた。

 1泊2日の強行日程だったのであまりゆっくりはできなかったけど、到着した夜、夕食を食べたお店からホテルまで30分ほど歩いて帰った。それが唯一札幌を満喫できた時間。大通公園を歩きながら、3年前一緒に旅行したイギリスに行ってしまった友人のことや、一人であてもなく彷徨った夜のこと、そしてこっそり教えてくれた思い出の場所に行ったことを思い出した。3年前、この街はいいなと思った。今回も同じだった。

 忘れられない悔しさがある。冗談を本当のことにできなかった情けない自分。不確かな光の未来よりも、つまらない堅実な現在を選んだ。自分は小さな箱の中にいることがわかっているのに、その箱から外に飛び出す術を知らなかった。知らないでいいと思い込ませてた。そうではないことを、悲しみや苦しみが訪れて初めてわかった。それは痛みと一緒に。

 もう一度、もう一度だけでいいから海に潜りたいと思う。そしてあのとびっきり素敵な夏をもう一度。

 全ては変わってしまった。もう後戻りはできない。僕はそうやって大人になっていく。悔いがある。悲しみがある。忘れられない言葉もある。そんなことを全部背負い込んで、何でもないフリをして、前を向いて歩いていく。いつか、それらが、何かに形を変えてくれたらいいなと思う。

 心のときめきをもう一度。


 テレビのコマーシャルで、はっぴいえんどの<風をあつめて>が流れている。おいおい、1971年の『風街ろまん』じゃないか。時代を全て説明するような、奇跡のような音楽。それは30年以上経とうが、今なお、堂々と誇らしく流れ続ける。素敵な音楽とはこういう曲のことを言うのだろう。

 つくづくひどい時代に生まれてきたなと思う。何を信じたら良いのかわからないぐらい情報が溢れる社会の中で踊らされ、そして行く先に光はほとんどない。合い言葉のように、少子高齢化。GDPは減り、中学生でもわかるような破綻しきっている国のシステムはついに崩壊し、それら全ての責任が僕らになすりつけられる。高度経済成長で勢いのある日本というものを感じることもなければ、現実を知りすぎてしまった僕らは、偽りのバブルに引っかかることすらできない。これから僕たちは、一体いくら国のために働いて税を納めなければいけないのか。地球温暖化?大地震?水不足に食料不足?冗談じゃない、僕らの将来を一体何だと思ってるんだ。

 音楽だってそうだ。70年代のような新鮮さに満ちた音楽もないし、80年代のような煌めきもない。全てはもう完成されてしまった。あとはそれを、どうにかこうにかいじくり回すだけ。そしてほとんどの場合、オリジナルを上回る音楽なんかはこの世に存在しない。それは歴史が証明している。懐古主義にはなりたくない。でもなるしかない。だって、昔はたしかに、本物の音楽がそこにあったのだから。

 それでも、僕らは生きなければいけない。この世に生を受けたのだから、それを全うする義務がある。1つまた1つ歳を取り、不毛な生産と消費を繰り返しながら、どうにかこうにか生き続けるしかない。これから先、どれだけの希望と絶望が待ち受けているのかを知ることもなく。きっと初めからそういう風に決まっていた。何もかも最初から。

 僕らに全く救いがないのかと言えば、そうでもない。僕は、光は「ほとんど」ないと書いた。だから全くのゼロというわけではなくて、多分間違いなく、かすかには存在している。そう信じている。それは厚い雲間から差し込む太陽の光のように。

 少なくとも90年以降に生まれた人たちよりはマシだろうと思いたい。90年代には、ほんの僅かかもしれないけど、聴くべき音楽があった。もしそれで不十分だとしても、当然不十分だけど、それより前に素晴らしい音楽があったことを知っている。もしあと10年遅く生まれていたら、それを知ることはなかっただろう。いつまでもレプリカを本物だと信じ込んでいたはずだ。振り返ることのできる道が、僕らにはある。

 光はどこにあるのだろう。待ってても明るくならないのなら、探しに行こうか。焦らなくていい。どうせろくでもない時代だ。少しぐらい見つけるのが遅くなったって、どうってことない。


shinpai.jpg心配/角松敏生

 出会った頃のときめきだとか、どうにもならなくてもどかしい気持ちだとか、手を伸ばせばつかめていたんだという後悔だとか。そういう影も形もないことを、でも僕らにとってすごく大事なことを、最近なんだか忘れてた気がした。

 必要以上に美化された思い出を、いつの間にか思い出すことがなくなったような気がする。手を繋ぐのが当たり前で、その手を離したらどうなってしまうのかを考えることもなかった。一人じゃなくて二人で見る景色。夏から秋、秋から冬、ようやく春がやってきて、そして再び夏が始まること。積みあがっていく料金だけがたしかな証拠だと思い、毎晩電話を握り締めていた日々。それらがどれだけ素敵だったのか、輝いていたのか。

 言いたくても言えなかった言葉を抱えながら、生き続けることは、幸せなことなのかもしれないね。仕事で忙しいから、なんていうことは理由にならないし、してはいけないね。誰にだって明日はあるし、自分のことが一番大切かもしれないね。でもそんなことがどうでも良く思える、そんな感情もきっとある。過去を大切に、今をもっと大切に。


 たとえ世界が崩壊しようと、全てを無にする温かな光に包まれようと、これから先、この日を忘れることはないのかなと思う。君がこの世に生を受けた日。


 その昔、僕は約束にこだわりすぎるところが嫌だと言われたことがある。たしかにその通りで、僕はおそらく人並み以上に約束にこだわります。

 たまにいるかな。約束することを極力避ける人。責任逃れとかそういうことではなくて、そういう体質の人。最初から自分は守らない(守れない)人間だから、などと予防線を張ってしまったり、適当なことを言い続け約束と冗談との区別をつかなくさせてしまう人(自然になのか故意になのかはわからないけど)。言うまでもなく、そういう人たちは僕の世界から知らない間にいなくなっている。きっと約束にこだわりすぎる僕が嫌になったのだろう。

 でも、相手を信じられなくなったらそれで終わりじゃないですか。そんな不安定な世界では僕は生きていけない。約束っていうのは信頼であり、未来であり、そして希望。どんなに辛くたって、約束1つあれば生きていける。その約束が守られると信じているから、あるいは守らなければいけないとこだわるから。だから生き続けられる。

 とてもとても大事な約束をしたことはありますか?絶対、命をかけて守ってやると思える約束はありますか?僕はあります。だから今日も生きていられるんだ。


 そのことを知ったのは、太陽の陽射しを浴びていた昼休みだった。呆然とした。信じられなかった。泣かないようにずっと眩しい空を見上げていた。泣いた瞬間、その事実を認めることになってしまいそうだったから。でも徐々に僕の胸の底に落ちていった。午後の仕事は必死に涙をこらえてこなした。自分の部屋に戻り、ふと気が緩んだ瞬間、涙がとまらなくなった。泣きじゃくった。それでも涙は枯れなかった。


written on Dec.24th, 2005

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 机の引き出しに、使われることのなかった航空券がしまってある。行き先は僕にとって大切な場所。もしかしたら僕らにとって必要だった場所。そんなもの捨ててしまえばいいのだけど、まだ捨てられない。形あるものがそこにあろうがなかろうが、それは僕の心の一部分を占領し続けている。


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 この前、居酒屋で徳永英明の<未来飛行>を耳にした。ほろ酔い気分の中、つかんだら崩れてしまいそうな彼の歌声に、僕はしばし呆然とさせられた。1995年の作品かな。中学生だった頃、"大人"になるということを僕に意識させてくれた歌だった。

いつの間にか大人になって
次の場所に駆けてくだけで
心休めて空を 綺麗と言えない

時が僕に教えたものは
忙しさに負けちゃいけない
だから今を迎えて あなたにありがとう

 中高生のとき、大人になった自分というものを、おそらくは具体性のかけらもなく想像してた。大人になった自分に憧れていたという方が正しいのかもしれない。でも大学に入ったらそんなこと忘れるようになって、気づいたら二十歳を過ぎていて。"大人"であることを意識することなんてただの一度もなかった。

 でもこの<未来飛行>を聴いた瞬間、ああ、自分は大人になったのかな、なんて少しだけ感じた。スーツに身を包んで、朝8時半に出社して、会社で研修を受けて。僕は誰かのために仕事をしていくし、きちんとそれに対する対価を受け取る。閉塞した出口のないサイクルで終わるのではなく、この社会に、ほんのわずかかもしれないけど一滴のしずくを落とす。落としてみせる。

 この歌には「忙しさに負けちゃいけない」とか「生きることを怠けちゃいけない」なんて、誰でも言えるような、当たり前のことが歌われている。でもそういう当たり前のことを頑張れるのが、きっと大人でもあるんだよね。真面目すぎてスマートじゃないようにも見えるけど、今はそういう真っ直ぐさの格好良さが分かる。

 とりあえず忙しさに負けないように頑張ろうと思います。無限に広がる世界で、はるか遠くに忘れ去られた夢の答えを探していきたい。

Ballade of Ballade/徳永英明


僕が目で合図をすると
やさしく微笑み返してくれたから

今度公開される映画を教えたら
一緒に行こうって誘ってくれたから

冷たくなった僕の右手を
そっと左手で握ってくれたから

立ち去ろうとする僕のコートを引っ張り
頬に口づけをしてくれたから

だから僕は頑張れた気がするんだ

小さな力をくれた君に
もう二度と会うことのない君に

心からのありがとうを伝えたい


 今日は研究室の追いコンでした。


 深い眠りの中にいた。その眠りからは、決して僕一人で覚めることはできない。誰かが僕を起こそうとし、そして僕も起きたいと思う。その2つのタイミングがピタリと一致しなければ、僕は眠りから目を覚ますことができない。

 眠りの世界にいる僕は、流れてくる音楽に耳を澄ませ、誰かが置いていった本を読み、気が向いたら研究をする、そんな生活を送っていた。それはそれで悪くなかったけれど、それは失われた時間なのだということを、いつからかはっきりと認識するようになった。そんな時間の流れではいけないということを。

 もしかしたら僕は二度と目を覚ますことができないのではないか。そんな風に、静かな暗闇で怯え続けたことが何度もある。「もうダメなのかな」。諦めるしかないけど、諦めきることもできない。そんな気持ちをずっと抱えてきた。ずっとずっと、本当に長い間。

 それは突然のことだった。目に映る景色との距離が一気に近くなり、世界が僕を飲み込むかのような感覚に襲われた。誰かに肩を揺すられているのだと気づいたとき、僕は海の中にいた。「起きて・・・」という声がする。意識が働きだし、光を感知する。僕はゆっくりとまぶたを上げた。そこにいたのはアキだった。

 薄くぼやけていた世界が徐々に色彩を帯びてくる。目の焦点が合い、アキの顔が、僕の記憶していた顔と一致した。「会いたかった」。喉まで出かかったその言葉を、僕はなんとか飲み込む。雨がしとしとと降り注いでいた。

 「行きなさい」とアキが言う。「君が求めれば、また私が起こすから」。

 僕はそっとうなずき、いつも通りに大学へと向かった。


 立て続けにブログで2ついい文章に出会ってしまったので、勢いだけで今の思いを綴ってみました。


arugamamani2005.jpgあるがままに/角松敏生

 たった一人の愛する人を取り戻すためだけに作られた、果てしなく透明な悲しみに包まれたアルバム。
 角松の作品の中で僕の最も好きなアルバムであり、最もよく聴いた1枚。そして今も。すごくいいアルバムなので、ぜひ聴いてみて下さい。


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(Baltimore, Sep.1983)

君は夢と希望を信じきって
生まれてくることを決めたんだね

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(Boston, Dec.1983)

君は気づいていただろうか
世界がこんなにも残忍で
そして素晴らしいものであるということを

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(Connecticut, June 1984)

色々な人に愛されて始まり
そこからあらゆるものを失っていくんだよ

それでも君は生きていくんだね
そう決めたんだよね


僕がこの世に生を受け
今こうしてここに生きている意味とか
これから遭遇していく運命とか

そんなものないのかもしれないけど
少しだけ信じたいな


 研究って何だろうな?というお話。

 今までずっと結果が全てのような考えをしてきたのだけど、実はそうでもないんじゃないかと思えてきた。もちろん結果が大事なのは言うまでもないが、ものごとの本質は、実はそこにないのではないだろうか。


 夢を見た。宮古島にいた。眠りに落ちれば、まだ僕は宮古にいける。それは幸せなことなのかなとも思う。どうだろう。
 そして僕は、海で、あることをするんだという決意を胸に秘めていた。それはここ最近ずっと考えていたこと。今朝起きて、とうとう夢に出るまでになったのかと思ったが、大学に向かう途中、きっとそれは自分にとって必要なことなのだろうと感じるようになった。

 残念ながらしばらく実際に宮古に行くことはできないのだけど、基本的に海であればどこでも問題ないと思う。この気持ちを大切にしたい。自分に正直でありたい。

 近々海に行こう。


 僕が君に見せたかった世界は最初からどこにも存在しなかったし、そして伝えたかった言葉は風の中に消えた。


written on Aug. 15th, 2005

 当たり前だったことが突如終わりを見せることがあれば、その逆で、終わりだと思っていたことがふとしたきっかけで始まることもある。そんなことを経験した。

 こう書くと語弊があるかもしれないけど、基本的に僕の身の回りのことは、僕の思い通りにいくのかもしれない。「終わり」に怯え嘆いている僕は、実は知らないうちにその終わりが来ることを望んでいたのかもしれない。

 君の街へ行ってきた。君が見上げた空を、君が好きだった海を、僕はこの目で見てきた。こっそり教えてくれた思い出の地も、この足で歩いてきた。そして確実に、何かが始まった。

 今の僕には、まだそれが何なのかはわからない。でも終わりじゃないんだということだけはわかった。そのことが凄く嬉しい。終わりじゃない。終わらない。


written on Apr. 7th, 2005

 2ヶ月ぐらい前から、あるいはもっと前からかもしれないけど、僕の心にはぽっかりと穴があいていて、なんとかその穴を埋めようと必死だった。そして多分、僕は最もやってはいけないことをやってしまった。


written on July 17th, 2005

 先日の同窓会では、中学の時はあまり仲が良いというわけでもなく、かといって別に悪くもないというか、早い話あまり関わることがなかった人と席が隣になったのだけど、彼がとんでもなく凄かった。いい話を聞けた。泣けた。今流行りの(?)、全米が泣いた。


 グラウンド・ゼロに行った。フェンスの向こうに広がる変わり果てた光景を目にした瞬間、僕は思わず泣き崩れそうになった。

 僕は昔、このなくなった世界貿易センターに上ったことがある。そこにあったビルが、あるはずのビルが、影も形もない。まるで最初からそんなものなかったかのように。変わらないものなんてないのかもしれないけど、これはあまりにも変わりすぎだ。


 昨日は朝方まで色々なことを考え続けていた。認められたこと、受け入れられたこと。信じていること、大切にしなければいけないこと。いっぱいありすぎて、その1つ1つが段々小さく見えてきてしまってきて。でも今までよりも正面に近いところから向き合うことができたと思う。解決できたことなんて1つもないけれど、こういうプロセスが次に繋がると信じて。

 そして1年で一番好きな季節も終わりつつある。だからというわけでもないけど、僕も少しクールダウン。もう少し肩の力を抜こう。風の通り道を作ろう。できるかどうかはわからないけど、ちょっと全体的に一歩距離を置いてみよう。そこから見えてくることもきっとあるはず。


 日航機墜落から20年。犠牲者・被害者達の冥福を謹んでお祈り申し上げます。

 この事故はいつまでも語り継がれるだろうし、語り継いでいかなければいけない。

最後の最後まで必死に生きることを願っただろう
やりきれない色々な思いがあっただろう
翼が落ちた瞬間多くの人たちの夢と希望を奪い去り
全ての人を悲しみと絶望で覆い尽くしただろう

 飛行機にはもう何十回と乗っているけど、未だに離陸するときは一種のあきらめみたいな感情があるし、着陸したときはいつだって安心する。空の上というのは、自分ではどうすることもできない環境。航空力学、確率・統計を信じるしかないのだけど、本能として受け入れられないところがある。理論的に大丈夫と言われたって、自動車の事故率と比べれば圧倒的に低いと言われたって、いつどこで例外が発生するか誰にもわからない。僕は何を信じればいい?
 もちろん程度問題ではあるが、当たり前のことを当たり前だと受け取ることは危険だと思う。過去を過大視してはいけないが、なかったことにするのはもっと良くない。

 日航機の事故が僕らに教えてくれたことは、墜落したという事実以外にもたくさんあるはずだ。その1つ1つを、きちんと考えていかなければいけないのだと思う。


 大切な人がいる。忘れられない人がいる。出せなかったメールがあって、消えない気持ちがあって。言えなかった言葉があって、伝えられなかった想いがあって。ずっとずっと。もうどれぐらい経つのだろうな。きっと、これからもずっと。

 そんなことを全部抱えて、僕は君の街へ行こうと思う。


君の街が見えてくる
終わりのない旅を導く
愛しい人にまた会える
目を覚ませもう一度
走り出せあの日のままに生きて
(もう一度・・・and then/角松敏生)


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 携帯の留守電にメッセージが入っていたのでセンターに繋いでみたら、2年半以上前に録音されたメッセージがまだ残っていた。たしか授業中にかかってきた電話で、たいした用件ではなかったのだけど、彼女はメッセージを残しておいてくれた。

 それで久しぶりにその人のことを思いだしてしまった。戻れるならあの頃に戻りたい。君が横で微笑み、僕は海に潜る。そんな夏だった。

 彼女と出会ってなかったら、今の僕はここにいない。精神的にも、おそらく物理的にも。そう断言できるほど僕にとって大切な人。君が僕のためにしてくれたことは一生忘れないよ。僕に見せてくれたやさしさを忘れられるわけがない。絶対に。

 どこかの海で、またいつか。またいつかの夏に君に会えるかな。


 形あるものはいつか変わるものだし、形のないもの、例えば人の気持ちなんかも、何かがきっかけで変わってしまう。それはほんの些細なことだったとしても、決定的に。これまで嫌というほど目にしてきた。終わりを味わってきた。そしてまた一つ。

 ここのリンクには載せてないのだけれど、僕が密かに楽しみにしていたブログが突然最終回を迎えた。文章も内容も非常に良くて、僕が持っていない何かを、僕の理想の形で持っている人だった。もう二度とその人の文章を読めない。考えていることを知ることができない。そう思うと、単純に寂しいという気持ちでいっぱいになった。
 その人はいくらかの教訓を僕らに残してくれた。最後、きちんとした形で幕を閉じた。立派だと思う。でも正直に言えば、そんなのはいらないから、もっともっと色々なことを僕らに教えて欲しかった。僕は本気でその人が目にしている世界を勉強しようと考えていた。人生をかけて挑んでいく価値のあることだと思っていた。

 やっぱりこの世に絶対なんていうものはなくて、全ては相対的なことであって、それはあらゆる要素によって不確実な変動を見せていく。だから人生は面白い、なんて言うこともできるのかもしれないが、そんなのは綺麗事で、終わりがきたときは底のない悲しみに包まれる。いつまでも、どこまでも。そんな悲しみをためて、必死にそこから立ち上がって、その結果また悲しみに出会って。

 いつか失うことがわかっているのに、なぜ人はそれでも求め続けるのだろうか。


 日曜の昼間は、使い道のない時間が流れていく。今日はショパンを流しながら本を少し読んだり、まどろんだりしていたけど、そんな感じで時間が過ぎていくことを思うとどうしようもない気持ちになってくる。せめて雨でも降ってくれれば、それでも許される気になるのだろうけど。

 元々僕は積極的に人付き合いをする人間でもなければ、行動的な人間でもない。一人でいることを好むことが多かったし、それに幸運なことに、こんな僕でも必要としてくれる人が少しだけど何人かいてくれた。そんな状況に安心というか、慢心していたところがあったのだろう。
 もっと外に目を向ければ、世界はさらなる広がりをみせているのかもしれない。そういう思いがないこともなかったけど、この今が変わってしまうことを知らないうちに恐れていたのだと思う。それと同時に、否が応でもその今が変わってしまう日はくるということを認識していたのに、その事実から目を背け続けてきた。受け入れたくなかったし、受け入れられなかった。当然時が経てばそのことが表面に出てくる。知らないふりをしていた終わりがやってくる。気づいたときには、終わりを迎えている。

 明日に希望がないわけではないが、やっぱり二十歳を過ぎたあたりからあらゆることが終わり続けているのだと思う。具体的なことは書かないけど、僕が大切にしたいと思っていたことが、どんどんこの手の届かないところへと遠のき始めている。それは僕が原因であることもあれば、最初からそうなることが決まっていて、元の位置に戻っただけのこともある。いずれにしろ僕にはどうすることもできない。
 結局のところ、全てのことは既に始まってしまっていることで、終わりに向かっているのだろう。人はそれを進展と呼び、あるいは退化と呼び、そして喪失と呼ぶ。僕はどうしようもない気持ちで、その1つ1つの終わりを見送り、そして嘆くことしかできないのだろうか。僕にできることは何もないのだろうか。

 なんてね。友達でも恋人でも、"振り向けばそこにいてくれる"という存在の人の大切さをしみじみと感じている今日この頃です。

Why do the birds go on singing?
Why do the stars glow above?
Don't they know it's the end of the world
It ended when I lost your love.
(The End of the World/Skeeter Davis)


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 世界が徐々にその輝きを失う。大切にしたいと思うものが、この手のひらからどんどんこぼれ落ちる。信じていることが次々と音を立てて崩れていく。それは悲しいことだし、辛いことだし、苦しいこと。だよね?

 多分、君も僕も忘れてしまっているんだ。世界が既に終わっているということを。


 断言しよう。就職活動というものは最悪だと。もちろんこれは僕がそう感じただけであって、この意見を一般化するつもりはない。しかしとにかく、僕にとっては最悪としか言いようがないものだった。二度としたくない。


 今日は空や生い茂る木々がやたら色鮮やかに感じた。もう五月だもんな。そういう季節だ。
 その一方で、僕の周りでは色々なことが立て続けに起こっている。好むと好まざるとに関わらず。僕は川底に落ちている石のように、ただ流れによってコロコロと転がり続け、いつしか角が取れた丸い石になっていくのだろうか。

 昨日の夜、僕が最後につきあった人から来月結婚するという電話があった。


 この日を忘れられるはずがない。僕が最後に海に潜った日。重度の減圧症になったが一命を取り留め、沖縄で1ヶ月強入院した。あれから2年が経つ。なんだかずいぶん昔のことのような気もするし、つい先月あたりの出来事だったような気もする。


 長すぎた連休もついに終わり。明日からまた何事もなかったかのように日常が再開する。最後にこんなことを書くのはどうかと自分でも疑問に思ったのだけど、今日はある故人のことを考える機会があったのでここに記しておきたい。


written on Feb. 9th, 2005

幸せな時間というのは
意外なほど当たり前のように過ぎていって
そして過ぎ去った後に改めて
自分が幸せだったということに気付いて
あとは過去の記憶と未来への想いがごちゃごちゃになり
自分の立ち位置を見失うだけ

僕は割と不器用だからね
そんな繰り返しでしか生きていけないのかもしれない


witten on Dec. 29th, 2004

 「僕が君に言いたいことは、その、つまりね、君をとても大事に思っているということなんだ。」

 そのことだけを伝えたくて、君ならわかってくれるだろうと信じて、僕は言葉を風に乗せた。


unforgettable.jpg君が僕の街について何も知らないのと同じように
僕も君の街については何も知らない

僕の街よりもずっと寒いところなんだろうね
でもきっとその寒さの分だけ
海も空もやさしさにつつまれている

いつか君よりも素敵だと思える人に巡り会えたら
君の街に行ってみようと思う

あのとき感じたときめきにまた出会えるよね

通りすぎてゆく思い出のかけらかき集めて
もう一度出かけようあの街へ
きっと君に会える気がする

Unforgettable/角松敏生


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TOSHIKI KADOMATSU 1993・1・27 FINAL TOUR
あるがままに

 角松敏生が音楽活動を凍結させる前の最後のライブを収録したビデオ。これは凄いなんてもんじゃない。何しろ、観客の野次に本気でキレるし、泣きながら歌ってるし、最後はもう全然声が出なくて歌えない。でも、僕はこれを見て角松という人間をますます好きになったのだと思う。


ずっと気にかけていたことが1つなくなって
ぽっかりと空間ができた

何をそんなに必死になって作っていたのだろうと思う
いつかは壊さなければならないことを知っているというのに

僕はこの隙間に何かをいれるべきなのかな
それとも全部崩してしまうべきなのかな

本当はね
君にこの積み木の城を見せたかったんだ

君だけにね


 こんなこと書いちゃっていいのかな。まあ書いちゃったしいいかな…。


 研究室の窓からのんびりと流れてゆく雲を眺めながら。


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僕の願いなんて何一つ叶わなくていいから
君の無事を西の空に願うよ
僕の想いなんて何一つ伝わらなくてもいいから
君の幸せをずっと東の空に願うよ

そして僕は僕の全てをかけて
君の永遠をいつまでもこの大空に願い続けるよ


 リクルートから送られてきた「大学院生のためのキャリア研究」という冊子を読んでたら、思わず胸が熱くなってしまった。


僕たちは疑わなかった。

できないことなど無いと信じていた。

それはいまも。


僕にもきっとモノづくりの遺伝子がある。
僕は世界のどこにだって行ける気がするし、
やれないことなんてないと思ってる。
自分が望みさえすれば不可能なんてない。

周りや誰かのことを考えなくてもいいのかな。
本当に自分の好きなことをやっていいのかな。


世界で選ばれし20人のドライバー達
あらゆる人の思いと運命を背負って
全てが究極的に研ぎ澄まされた世界に飛び込む

君たちは何のために走るのか
誰のために極限の世界を求めるのか
なぜそこまで己を窮地にさらそうとするのか

辛くて険しい道を走らなければいけない
恐怖と絶望が支配している
ほとんど光の見えない道を

何のために
誰のために

一瞬の輝きにかける思いだけを支えに
全てを超越する強さと
決して揺らぐことのない自信と誇りを持って

守るべきもののために
愛する人のために
己の限界をこえるために


 僕はこの1年間、進んだ時計の針を0に戻すような作業をし続けてきた気がする。動いた駒をスタート地点に戻そうとし、掘り続けた井戸の穴を埋めてきた。でもそれで全くの0になるのかと言うと、そうでもない。それまでのことを全部抱えて0に戻る。良いことも悪いことも、全部抱えて、僕はきっと全く新しい世界に飛び込むことを目指している。
 人生なんてそんなことの繰り返しじゃないかとも思う。その周期が長いのもあるだろうし、短いのもあるだろう。始まりがあれば終わりがある。おそらくこの作業だけが、始まりはあるけれど決して終わりがない。1つだけ確かなのは、それは既に始まっているという事実だけだ。
 その過程で得たものと失ったもの、どちらが多かったかなんて多分考える意味はない。得たものというのはそれが失われたところでまた0に戻るだけの話だし、何もないところから失われることはない。そして得たと感じているものだって、きっといつかは失われる。そのことを考えるとすごく不安だし、怖いけれど、そんなことを考えて生きるには、多分僕たちの人生はあまりに短すぎる。
 できれば一瞬、この一瞬を大切にして生きていきたい。ぼんやりとした未来よりも、確実な現在を胸に。そしてそれが確かな未来へと繋がっていくはずだ。もし僕の人生に何らかの意味があるのならば、この膨大な世界を相手に必死に生き抜いていかなければいけない理由があるのならば、終わりのことなんて考えるまでもないのだろうから。
 そして僕は、明日23になる。


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 中学の時の先生なんてはっきりいってほとんど好きじゃなかったけど、一人だけ例外的に好きな先生がいた。中学2年の時の国語の先生。
 1年の時の国語の先生が最悪で、答案はひらがなで減点するし、授業中の発言や教科書の単語を調べていくと加点を与えるという先生だった(ちなみに彼は僕が中3の時の担任となった)。で、他のクラスは1年に引き続きそのままこの先生が担当したんだけど、6クラス中なぜか僕らのクラスだけ違ったのである。1年の時と比べたら彼女の授業は本当に楽しかったし、何より僕らを寛大に受け入れてくれた。僕は彼女に全力でぶつかっていったし、彼女も僕を全力で受け止めてくれた。多分今までで唯一僕をきちんと評価してくれた、見てくれた先生。
 そして残念ながら、その年を最後に彼女は学校を辞めアメリカに行ってしまった。で、どういった経緯だったかは忘れてしまったが、僕は中学卒業後この先生に手紙を書いた。写真はその返事としてきた手紙。
 最後にはこんな言葉が書かれている。

 これからもっともっと楽しいことがあるよ!!もし武田くんが、自分の感性を大切に磨いていくならば・・・

 僕が感性を磨き続けることができているのかどうかは知らないけど、いつも心の片隅にこの言葉が残っている。


 もうすぐ22歳ともお別れ。別に23になった瞬間、新しい自分になるわけではないけど、せっかく時間に区切りというものがあるのだから、今感じていることを大切にしていきたいと思う。21の時に書いてた日記を読み返してみたら、今と感じていることが結構違った。だから来年もまた、今と違う感じ方をしているのかもしれないし。


 ふとしたきっかけで、僕は秋の澄み切った大空へと投げ出された。自分がどこに向かっているのかもわからないし、上昇しているのか、下降しているのかさえわからない。空には境界がない。どこまでいっても空が続くだけだ。全ての風景がちっぽけに見える。でもここからなら、風の通り道もよくわかる。
 最初は抱えているものが多すぎてうまく飛べなかった。胸の痛みに潰されそうになり、どうしようもない気持ちでバラバラになりそうになった。消えていく記憶、それとは無関係に生まれてくる感情。その均衡を保つのは何よりも困難な作業のように思えた。
 でも背負ってきた荷物なんて放り出せばいいことに気づいた。原点に戻る。それはとても単純なことで、心の中にあるシンプルな声に耳を傾ければいい。光の強弱を判断し、空気の震えを意識的にとらえた。そして空よりも青い海を眺めに行った。1つのことをできる限り大事に、丁寧に考えようと努力した。
 答えらしきものは僕のすぐそばに存在していた。それが正しいのか間違っているのかはわからないけど、僕はそれに向かって飛び続けた。かすかな希望を捨て、大いなる絶望だけを胸に。僕に残されていたものはあまりにも少なく、極めて限定的だった。
 そして今、僕は地上に戻ってきている。でも、まるで微熱があるみたいに、ふわふわと少しだけ宙に浮いている。また空に投げ出されるかもしれないけれど、その時は多分、もっとうまく飛ぶことができる。きっと。


 もし人生を一枚の真っ白な紙に例えるとするなら、日々の僕らはそこに絵を描いているわけでもなければ、線を引いているわけでもなく、ただ点を打ち続けているに過ぎない。それは極めて小さく、均質な点だ。
 意識的に点を打つことがあるかもしれないし、気づいたら既に打っていたということもあるかもしれない。1つ1つの点が何を意味しているのかなんて考えるだけ無駄だ。次はどこに点を打てばいいのかなんて誰にもわからない。
 でも、だからこそ、少しぐらいずれたって、遠くから見たらたいした問題にはならない。元々真っ白な紙だ、どこにどう点を打とうが構いやしない。もしも間違いに気づいたのなら、次はもっとうまく点を打とうという意識をもてばいい。そんなに難しいことではないはずだ。
 そしてその打ち続けた点は、最終的に線となり、きっと1つの絵になる。僕はありったけの思いで、点を打ち続けるしかない。


空白の時間
そこだけ切り出して
その前と後ろをくっつけたとしても
何も変わらない真っ白な時間

空白の時間
時計の針を止めて
自らの手で動かした
まるで最初から存在していなかったような時間

そんな時間を
きっと僕らは
そっと優しく
大切に抱きしめて


 心が満たされている。自分の余計な部分がどんどんとそぎ落とされているのがわかる。単純に、シンプルに。素敵な言葉と、素敵な時間と、素敵な笑顔。周りの景色一つ一つが違って見える。これ以上何を求める?
 ビル・エヴァンスの"MY FOOLISH HEART"。こんなにも綺麗な音楽がこの世に存在しているなんて。
 もっともっと美味しいものを食べに行きたかったな。いい音楽に触れたかったな。僕は一度でも人をきちんと愛することができたのかな。愛されたことはあったのかな。もう一度ぐらい、誰かを強く抱きしめたかったな。
 もし許されるのなら、今が人生に終わりを告げる時の一つかもしれない。


 これは僕の感じていることを、できる限り率直に言葉にしたものである。決して冗談でも、軽い気持ちでもなく、心の底から思っていることだ。確信はもてないけれど、こうやって言葉にすることできっと新しい命が生まれる。これを滑稽だと思う人がいれば、そう思えばいい。君にとっての輝かしいスタートだ、誰が何と言おうが構わない。
 もう1つ、これはフィルタを通すことなくそのまま、そして極めて一方的に書いたものでもある。僕“なんか”なんて言わないでくれと君は言う。でも、僕は自分のことを割とどうしようもない人間だと思っている。少しぐらい救いはあるのかもしれないけど、僕はかなりの場合において後先考えず行動するし、言ってしまった後で後悔することばかり口にしている。誰かに何かを与えることができたという覚えはほとんどない。その代わり誰かを傷つけてきたことは数え切れないほどある。もしかしたら、この文章もそうなってしまうかもしれない。その時は申し訳ないけれど、僕“なんか”の言うことは気にしないで欲しい。でも、それでも、うまく伝えられるかどうかわからないけど、僕は君に伝えたいと思う。そしてもし、ほんの少しでも受け止めてもらえることがあれば、それは僕にとって何よりの喜びだ。


 ものごとにはタイミングというものがある。それはある日突然訪れることもあるし、自らそれを求めていくこともある。僕の少ない経験から言わせてもらえば、人生においては後者の方が圧倒的に多い。正確に言うと、大体の場合においてうまくタイミングをつかめるのは後者であり、前者の場合は後から気づく、気づいたら過ぎていたということがほとんどだ。結果的に後者が多くなるのである。
 先日、ようやく仕事が一段落した。ゼミ発表を無難にこなしたし、教授に頼まれてた研究室のパソコンの廃棄もした。もちろん他にもやるべきことはたくさんあるのだろうけど、1つの区切りとして、今日はずっと見たいと思っていた映画を見て帰ることを決めていた。上映スケジュールを調べ、携帯電話は家に置きっぱなしにし(これは単に忘れただけだ)、大学からの帰り道、7年以上単なる通過駅でしかなかった駅で降りた。
 僕は映画そのものは好きな方だと思うけど、映画館に足を運ぶということはあまりしない。理由は単純で、面倒だからである。最後に映画館で見た映画は「ロード・オブ・ザ・キング?王の帰還」だし、それだって駅前の銀行に行ったらたまたま友人と出会って、成り行きで見ただけだ。大学に入ってからこれまで映画館に行った回数なんて両手で数えられる程度である。もしかしたら片手で足りているかもしれない。
 そんな僕が、あるレビューの文章に強く惹かれ、これは絶対に見たいと心から思い、生まれて初めて、映画館で一人で映画を見てきた。何から何まで凄く良かった。この一言に尽きる。初めて、スタッフロールが流れている時に席を立ってスクリーンを後にした。あえて作品名は挙げない。もったいぶっているわけではないけど、何となく言いたくない。そういう作品だった。


 村上春樹の『1973年のピンボール』に、こんな一節がある。


 「僕は不思議な星の下に生まれたんだ。つまりね、欲しいと思ったものは何でも必ず手に入れてきた。でも、何かを手に入れるたびに別の何かを踏みつけてきた。」
  ・
  ・
  ・
 「・・・そしてこう思ったんだ。もう何も欲しがるまいってね。」


 僕自身が不思議な星の下に生まれたのかどうかはわからない。でも、これまでに程度の差こそあれ、僕も欲しいと思ったものはほとんど全てを手に入れてきた。どういう形であろうとも、最終的には思い通りの点に到着した。そしてここにあるように、その度に別の何かを踏みつけてきた。すぐにそのことを認識できるものもあれば、そうでないものもあった。いずれにしろ、それらは僕をうんざりとさせた。何も求めたくないと思ったことがこれまでに一体何度あったことだろう。
 しかし僕の中では、人はどこまで行っても一人なんだという思いと、誰かを愛して誰かに愛されたいと思う気持ちとが、まるでカバンに入れっぱなしにしておいたイヤフォンのコードみたいに複雑に絡み合っている。これまで、それをほどく作業を一生懸命してきたつもりだった。ある時はそれを自らの手で意図的に絡めたりもしたし、ほどこうとして余計に絡まったこともある。何度も繰り返しほどいているうちに、その作業に少しずつ慣れてきているような気もする。でもそれはたいしたことではない。結局、またカバンにいれたら絡まるのだ。
 人はどんなことからでも何かを学べるとしよう。前に進んでいるかどうか、それが生産的かどうかは別として、少なくとも何かしらのことは学べる。僕はそう信じたい。そしてこれまでにわかったのは、僕はどこまでいってもこの作業から逃げられないということだ。広大な世界からすれば、自分が何をしようとも、それは不確かな動きをするほんの一つの原子でしかない。僕が今この場で何をして、どういうことを思っていようとも、星が一つ潰れようとも、君の生活は何一つ変わらない。例えばそういうことだ。君のために一体僕は何ができるだろう。
 これまで僕が踏みつけてきたもののために、傷つけてきた人たちに対する償いのために。君が流してきた涙のために、溢れんばかりのその笑顔のために。きっと、僕にだってできることがあるはずだ。もしもかすかな救いというものが存在しているのなら。

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take(take@blue-jam.com)
1981年12月23日生まれ
横浜市の端に在住
音楽と夏と海をこよなく愛してます。
強く、やさしく、フェアに

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